「古典」と聞くと、はるか遠く昔に書かれているものの、色々な分野の基本となる学問でいわば必読書のような印象を抱く人も多いのではないでしょうか。一方で、使われている言葉が文語だったりあえて難解な言葉が選ばれていて堅苦しく難解、あるいは「そんな古い知識はもう役に立たないのでは」と最初から敬遠している人も多いでしょう。
しかし読み継がれているのには、それだけの理由があるはず。今回は、単なる表面的な定義だけでは見逃してしまいがちな古典の魅力、学ぶことのメリットをお伝えいたします。

自分自身を定義する手段としての古典

一般的な定義では見落としがちな古典のメリットとは何でしょうか? 20世紀イタリアの国民的作家、イタロ・カルヴィーノは古典を次のように定義します。

「自分だけ」の古典とは、自分が無関心でいられない本であり、その本の論旨に、もしかすると賛成出来ないからこそ、自分自身を定義するために有用な本でもある。

引用元『なぜ古典を読むのか』

「自分だけ」という言葉で形容されていることからも分かるように、彼の定義からすれば、自分自身が興味関心を抱いた本であればどんな本でも古典となり得る、ということです。

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考え、対話するきっかけとしての古典

ですが後半には、「賛成でいないからこそ古典になりうる」とも書かれています。これはつまり「賛成出来ない点がない本は古典とはなりにくい」ということ。
これには、ランキング上位を席巻しているビジネス書籍やハウツー本等、いわゆる新刊実用書が該当します。これらの書籍は主に読者の抱える問題解決のための知識を提供し、すぐに役立つ点を伝えているので、多少の違いはあったとしても「これは賛成出来ない!」という強い感情を生み出すほどのものではありません。

ハウツー本は内容が具体的で理解し易く、行間を読む必要性が薄く想像力を要しない、言い換えれば自分に問いかけしぶとく考える必要が生じません。それゆえ「賛成出来ない点がない」という意味で古典とはなりにくいのですね。

情報に振り回され単なる知識の波に溺れないためには、必要な情報を区別し自分自身で判断する知恵を身につける必要があります。そのためには自分自身を定義する=知る必要があり、自分と対話するきっかけとなる書籍、即ち古典はその道具として適切なのです。

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興味を持てる、抽象度の高い本

自分自身に深く訴えかけ、場合によっては自分の今までの常識を全て覆し混乱を生じさせるような「古典」は、抽象度が高く手強く感じる書籍です。筋肉を鍛えるためには自力を超える負荷が必要なように、頭を鍛えるためには自分の理解力を超えた素材、つまり古典が必要であり、その結果自分自身を定義する、判断の軸を獲得できるのです。

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いかがでしたか?
最初に挙げた定義のように、一般的に古典といわれる書籍は確かに難解でその読書中頭を抱えることも少なくありません。生みの苦しみとも言うように、最初こそ自分の能力を超えているのですから勿論、頭への負荷も相当でしょう。
ですが一度自身の世界観を確固たるものにすれば、外部に振り回されず、自分にとっての大きな武器になることでしょう。

(参考)
Michel de Montaigne 『essais』Folio
ショーペンハウアー 鈴木芳子訳『読書について』光文社古典新訳文庫
イタロ・カルヴィーノ 須賀敦子訳『なぜ古典を読むのか』河出文庫
ビジネス速読研究所 古典を読むべきたった一つの理由
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