
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season8
Season7では「なぜこの構造(仕組み)は崩れないのか」を20社の事例で深掘りしました。
Season8でも引き続き、現代のマーケティングの本質を事例で解き明かしていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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2026年5月12日、富士フイルムホールディングスが2026年3月期の通期決算を発表しました。売上高3兆3,570億円・営業利益3,502億円・純利益2,767億円——すべて過去最高更新。売上高4期連続・営業利益5期連続・純利益6期連続での過去最高更新という驚異的な数字です。*1
この好業績を支える2本柱の一つが「半導体材料」、もう一つが「instax(チェキ)」でした。*1 スマホのカメラで完璧な写真が撮れる2026年に、なぜ「その場でプリントされる小さな写真」がイメージングセグメント全体を14.6%増の成長に牽引しているのでしょうか。
- 「失敗できない」時代に、「失敗するかもしれない」カメラが売れる理由
- 「本体で惹きつけ、フィルムで稼ぐ」——100年変わらない消耗品ビジネスの美しさ
- 自社の「弱み」を「エモさ」に変えられるか——2026年の逆張りインサイト
- よくある質問(FAQ)
「失敗できない」時代に、「失敗するかもしれない」カメラが売れる理由
チェキ(instax)の歴史は、一度の「敗北」から始まります。1998年に日本で発売されたチェキは初期に人気を博しましたが、2000年代のデジタルカメラの台頭で一時低迷しました。高画質・何枚でも撮れる・すぐ確認できる——あらゆる点でデジカメに劣るチェキが、なぜ世界100か国以上で累計1億台を突破するまでに復活したのでしょうか。*2
答えは「性能で戦うのをやめた」ことにあります。*3
チェキが提供する体験は、デジタルカメラやスマホとは根本的に異なります——「消せない」「加工できない」「失敗するかもしれない」。この三つの「不自由さ」が、すべてを思い通りにコントロールできるデジタル社会において、逆に「かけがえのない一枚」という価値に転化します。
| 比較軸 | スマホカメラ | チェキ(instax) |
|---|---|---|
| 写真の性質 | 何枚でも撮れる・消せる・加工できる | 一枚限り・消せない・加工できない |
| 顧客の感情 | 「後で見返せばいい」という安心感 | 「この一瞬しかない」という緊張と愛着 |
| 写真の行き先 | クラウドに保存・見返さないことも多い | 手元に残す・飾る・誰かに渡す |
| 2026年の価値 | 無限に複製できるデジタルデータ | 世界にたった一枚のフィジカルなもの |
さらにチェキはファッションアイテムとしての文脈も獲得しています。*3 Y2Kカルチャー(1990年代末〜2000年代初頭のポップカルチャー)の波を追い風に、カラーバリエーション豊富な本体をバッグにぶら下げる行為自体が「自己表現」になりました。グローバルタグライン「don't just take, give.™(とるだけじゃない、あげたいから。™)」が示す通り、チェキプリントは「渡す」「飾る」というコミュニケーションの道具として再定義されています。*2

「本体で惹きつけ、フィルムで稼ぐ」——100年変わらない消耗品ビジネスの美しさ
チェキのビジネスモデルは、実は古典的な「ジレット・モデル」の完璧な実装です。
ジレットが安全剃刀(カミソリ本体)を安価に普及させ、替刃(消耗品)で継続的に稼ぐモデルを確立したように、チェキは本体を比較的購入しやすい価格で普及させ、フィルムのリピート購入で継続的なキャッシュフローを生み出します。*3 世界的な需要拡大に対応するため、富士フイルムはinstaxフィルムの生産設備増強まで発表しました。*1
さらに2026年のチェキが巧みなのは、デジタルを「敵」ではなく「お供」として取り込んだ点です。スマホで撮った写真をチェキサイズにプリントできる「instax Linkシリーズ(スマホプリンター)」は、「スマホかチェキか」という二択ではなく「スマホで撮って、チェキで渡す」というハイブリッドな使い方を提案しています。*2 デジタルの利便性とフィジカルな温かさを融合させたこの設計が、ライトユーザーへの間口を大きく広げています。
「推し活」との相性も見逃せません。コンサートや撮影会でチェキを使い、プリントを大切な人やファン同士で交換する文化が、若い世代を中心に根付いています。「推しの写真をチェキで撮る・印刷する・交換する」という体験は、デジタルデータでは代替できない物理的な価値を持っています。

自社の「弱み」を「エモさ」に変えられるか——2026年の逆張りインサイト
チェキの復活から学べる最も重要な視点は、「スペック競争から降りる勇気」です。
競合との「性能・画質・スピード競争」に疲弊していないでしょうか。テクノロジーが進化すればするほど、人間はそこからこぼれ落ちる「手触り」や「不完全さ」に飢えていきます。チェキの画質はスマホカメラに遠く及びません。しかしその「劣っている部分」こそが、人々の心に刺さる価値になりました。
自社の弱みと思えるアナログな部分を「エモさ」に変えられないか疑ってみましょう。手書きの温かみ、多少の遅さ、予測不能な偶然性——これらはデジタル化が進む現代において、むしろ希少価値を持ちます。
2026年のマーケティングは、顧客を便利にすることだけではありません。時にはあえて「不自由な体験」を提供することで、一生忘れられない愛着を生み出すことです——チェキが世界1億台を達成した事実が、その証明です。

【本記事のまとめ】
1. 「失敗できない」時代に「失敗するかもしれない」不自由さが価値を持つ
消せない・加工できない・一枚限りという制約が、デジタルで無限複製できる時代だからこそ「世界に一枚だけの特別さ」に転化した。Y2Kカルチャーの追い風も受け、チェキはカメラではなく「自己表現のファッションアイテム」として再定義され、累計1億台を達成した。
2. 「本体で惹きつけ、フィルムで稼ぐ」ジレット・モデルの現代的実装
世界的な需要拡大に対応するためフィルム生産設備を増強するほどの成長が続く。instax Linkシリーズでデジタルを「敵」ではなく「お供」として取り込み、「スマホで撮って、チェキで渡す」というハイブリッドな使い方を提案した。推し活との親和性も需要を後押ししている。
3. 「スペック競争から降りる勇気」——自社の弱みを「エモさ」に変えられるか
テクノロジーが進化するほど人間は「手触り」や「不完全さ」に飢えていく。チェキの低画質という弱みが最大の差別化要因になったように、自社のアナログな部分を「エモさ」として再定義できないか問い直すことが、2026年の逆張りマーケティングの出発点だ。
よくある質問(FAQ)
チェキとポラロイドの違いは何ですか?
どちらも「撮ってすぐプリント」できるインスタントカメラですが、いくつかの違いがあります。フィルムサイズはチェキのミニサイズ(54mm×86mm)がクレジットカードとほぼ同じ大きさで携帯性が高い一方、ポラロイドは少し大きめのサイズが主流です。ブランドの文脈も異なり、チェキはアジア発祥でY2Kカルチャー・推し活・ファッションとの親和性が高く、ポラロイドはアメリカ発祥でアーティスティック・ヴィンテージな文脈で支持されています。フィルムのコストや入手しやすさも異なりますが、どちらも「デジタルでは得られない物理的な一枚」という価値で市場を広げています。
「消耗品ビジネス(ジレット・モデル)」は、どんな業種でも使えますか?
使えますが、成立条件があります。本体(初期費用)と消耗品(継続費用)がセットで機能すること、消耗品の購買が習慣的に発生すること、そして消耗品の代替品に切り替えにくいことが条件です。チェキの場合、フィルムは富士フイルム製のものしか使えないため代替品への切り替えが難しく、旅行・イベントのたびに購入するという習慣的需要もあります。家庭用プリンターのインク・コーヒーメーカーのカプセル・ゲームのサブスクリプションも同じ原理です。自社のサービスで「本体(入口)」と「消耗品(継続)」という構造を作れないか考えてみてください。
AIによる画像生成が進む中、写真の価値はどう変わりますか?
AIで「完璧な画像」が無限に生成できるようになるほど、「実際にその場にいた人間が撮った本物の一枚」の価値は逆に上がると考えられます。チェキプリントは「その瞬間にその場で起きた」というアリバイを持つ物理的な証拠です。AIが生成した完璧な画像には、その場の空気・偶然の笑顔・少しブレた背景という「本物の不完全さ」がありません。富士フイルムが「don't just take, give.™」というタグラインで「渡すもの」としてチェキを位置づけているように、写真の価値はコンテンツとしての完成度から「人と人をつなぐコミュニケーションツール」へとシフトしていくのではないでしょうか。
*1|ITmedia MONOist「富士フイルムが営業利益で過去最高、『半導体材料』と『チェキ』好調」(2026年2月10日)。2026年3月期第3四半期でイメージングセグメントが前年同期比14.6%増・営業利益12.9%増・instax mini EvoとInstax mini 99の販売好調・instaxフィルム生産設備増強発表・半導体材料とinstaxが富士フイルムの2本柱であることを確認
*2|富士フイルム公式プレスリリース「instax™"チェキ"累計販売台数が1億台を突破」。1998年日本発売・世界100か国以上展開・累計1億台突破・グローバルタグライン「don't just take, give.™(とるだけじゃない、あげたいから。™)」・アナログインスタントカメラ・ハイブリッドインスタントカメラ・スマホプリンター(instax Linkシリーズ)という多彩なラインアップを確認
*3|電波新聞デジタル「富士フイルムHDの26年3月期、過去最高の業績 半導体材料など好調」(2026年5月)。2026年3月期通期決算:売上高3兆3,570億円(前期比5.0%増)・営業利益3,502億円(前期比6.1%増)・純利益2,767億円すべて過去最高更新・「半導体材料やデジタルカメラの販売が好調」・半導体材料・instax・バイオCDMOという成長事業が全体を牽引・instaxがY2KカルチャーとともにファッションアイテムとしてZ世代に支持されている事実を確認
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season8
現代のマーケティングの本質を事例で深掘りしていきます。
- 第1回:「消せない・加工できない・失敗するかもしれない」——そのカメラが、なぜ世界で売れ続けるのか(本記事)
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社代表取締役/スタディーハッカー(現(株)イングリッシュカンパニー) 創業者。
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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