私たちは様々な仕方で評価を受けています。 試験では知識量や処理能力の高さを測定します。 勤務評定では業務の達成度や勤務態度などで評価をします。
しかし、どれも結果から見た一面的な評価と言わざるを得ません。 試験で点数が取れても凡庸な人は少なくありませんし、頭がよくなくても足で稼いで仕事で業績を残すことはできます。 では、その人をより総合的に判断できる指標は何でしょうか。
どんな質問ができるか
小説家・森博嗣は『すべてがFになる』の著者として有名ですが、国立N大学工学部で教鞭をとる大学教授でもあります。森先生は大学の講義でちょっと特殊な成績の付け方を採用しています。 試験をせず、レポートも課題も出さない代わりに、毎回講義の後に質問を提出させてそれによって出席と成績をつけるというものです。
建築材料や力学の授業を担当してきた。その中で、学生全員に毎回質問をさせている。学生たちはノートの切れ端を破って、短い質問を提出する。それらを集め、すべてワープロで打ち直し、個々に短い回答をつける。それを次週の授業のときにプリントで配って説明している。
疑問点を見つけようとすれば積極的に講義の理解を深め、考えなくてはなりません。これはうまい方法です。 (しかも、教員にとっては試験問題やレポート課題を作るという手間も省ける!)
もっとも森博嗣は「いい質問をする人=できる人」とは明言していません。そのかわり、このように述べています。
人は、どう答えるかではなく、何を問うかで評価される
つまり試験でどれだけ答えられるか、レポートでどんな意見を述べられるかよりも、どんな質問をできるかによって、人を評価できるということ。 言われてみると、凡庸な質問/鋭い質問/ユニークな質問などからは質問者の姿が見えてきそうです。
問題解決より問題発見
質問をできるということは ・ひと通りきちんと理解している ・自分の頭で考えている ・与えられた枠組みに縛られずに対象を捉えられている ということです。
たしかに目の前の問題の答えを導き出せる、問題解決が得意な人は重宝されます。しかし、それでは教科書をマスターしたり既存の仕事を完了させるところまでしか行き着きません。イノベーションを生むような大きな成果をあげるには、問題を発見する能力が重要になります。
「どこかおかしなところはないか」を探しながら学ぶことはその先へ進む手助けとなりますね。 何かを問うことは ・(大学では)クリティカルな研究課題を発見すること ・(企業では)新たなビジネスチャンスを創出すること に繫がります。 より難しいことですが、より大きなインパクトを持ちます。
森博嗣先生は学生に質問をさせることを通じて、彼らの学力だけでなく伸びしろも涵養しようとしているのではないでしょうか。
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4月になれば、新たな勉強を始めたりスキルを身につける方も多いかと想像します。そのとき「何かを問う」姿勢は、学習効率を上げるだけでなく、学ぶ人を飛躍させる原動力になることでしょう。
自分は2015年度の抱負を「『なにか質問ありますか?』と聞かれたときにうつむいて目を逸らさない」にする予定です。
引用: 森博嗣『臨機応答・変問自在——森助教授 vs 理系大学生』(集英社新書、2001年)。

