読書がたいせつである。そんなことはもう、耳にたこができるほど聞いてきたと思います。 しかし、忙しい生活を送っていると、なかなか読書する時間が取れないというのも事実。たまに書店にいって、興味のわいた本を買ったとしても、それを読まずにいつまでも放っておいてしまう、いわゆる「ツン読」をいつもしてしまう、という人は多いのではないでしょうか。
そんなみなさんに朗報です。 一冊の本を読破するのではなく、たくさんの本を、つまみ食いするように読むという読書法によって創造力を鍛えることができるかもしれません。
「乱読」が知識の化学反応を呼ぶ
乱読のメリットは、セレンディピティを生むということにあります。
セレンディピティ(serendipity) 思いがけないことを発見する能力。とくに科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。セレンディピティ。[おとぎ話 The Three Princes of Serendipの主人公がこの能力をもっていることから。イギリスの作家H・ウォルポールの造語](大辞林)
多くの人は、本を選ぶ際にその本が自分にとって面白いか、役に立つかを考えます。一つのテーマに基づいた、体系的な読書をすることもあるでしょう。 しかし、全く新しい物とは、それまでになかった組み合わせによって生まれてくるもの。そのため、あえて無関係な分野の本を何種類も読むことで、新しいアイディアが生まれやすくなるのです。蓄積された知識が、化学反応を起こすように結びつくということですね。
本の質にはこだわらなくて大丈夫
現在、毎日200冊もの新刊が出版されていると言われています。町に出れば、さまざまな啓蒙書の類が宣伝されています。そうなると、いざ読書をしようとした時に何を読むべきかわからない、という事態にも陥りかねません。 しかし、『乱読のセレンディピティ』の著者である外山滋比古氏は、本選びをこだわらないことを、以下のように肯定しています。
悪書にひっかかるのを怖れていれば、本など読めるものではない。雑書、俗書、不良本などだって、おもしろいものはあるだろう。おもしろくなければ捨てればいい。 読者はきわめつきの良書、古典のみを読むべきだというのは窮屈である。そういう価値ある本をもとめて苦労するのは愚かだ。 よさそうだと思ったのが、案外食わせものだった、ということだってあるが、それでも心ある読者ならなにかしらを得ることはできる。 読者が本の家来になるのではなく、年下の友人であるという自己規定をすると、たとえつまらぬ本でも、なにがしかの発見は可能になる。
本の偏食が思考力をむしばむ!?
ショウペンハウエルという哲学者をご存知でしょうか。彼は、『読書について』という著書の中で、本を読みすぎることの悪影響について言及します。曰く、「読書は、他人にものを考えてもらうことである」。すなわち、一つの分野についての知識を蓄え過ぎると、自分で思考することが少なくなり、既存の知識の受け売りのような考えにしかならなくなってしまうというのです。多くの書物を読むということは非常に大切ですが、それが偏っていたりしては、創造性をかえって失うことにつながりかねません。 一方で、幅広い知識に触れ、それらを自分の力でつなぎ合わせていくというのが、乱読という読書法です。多くの本を読みつつも、創造性を伸ばすことができるという観点で、乱読は非常に有効な方法であるといえるでしょう。
*** いかがでしょうか。画期的なアイデアの多くは、異なる分野の知識が偶然結びつき生まれたものです。音楽や、絵画は、その繰り返しで発展してきたといえる部分が大いにあります。是非皆さんも、乱読によって自分だけのアイデアを生み出していってください。
参考文献 乱読のセレンディピティ 外山滋比古 扶桑社
書物からの回帰|ショウペンハウエルの、『読書について』が面白い! http://ameblo.jp/mytec/entry-10091960536.html