「この勉強って将来の役に立つの?」
たまに耳にする、「それ、役に立つの?」という質問。 「文学部の学問は役に立たない」というような発言をする人がいます。 古文の文法や微分積分法を習いながら、「この勉強は何の役に立つんだろう」と疑問に思っている人もいるでしょう。
自分はなぜ勉強しているのか、ということを考えるのは、自分の人生の目的を改めて考えたり、勉強のモチベーションを維持したりするのに重要です。 そこで今回は、「学問は役に立つのか論争」について考えてみたいと思います。
そもそも「役に立つ」って何なの?
「役に立つ」ってそもそもなんだろう、というところから考えてみます。 誰/何にとって役に立つのか、どのように役に立つのか。 「役に立つ」のとらえ方はいろいろあります。 ここでは、誰/何にとって役に立つのか、という視点から考えていきます。 大きく3つに分けてみました。
◆◇自分の役に立つ◇◆ 自分の役に立つ場合、自分の外側に対して役に立つのか内側に対して役に立つのかの2通りが考えられます。
・外側に対して 自分が他者を含む社会とやりあっていく武器として役に立つ場合がこれ。 わかりやすい例が学校の先生。学問が直接生活の糧になっています。 統計学をビジネスに活かす、というような場合もこれに該当するでしょう。
・内側に対して 学んだことが自分の心の支えになったり、考え方の基礎になったり。 脳が鍛えられる、という側面もあります。
◆◇社会の役に立つ◇◆ これは社会の発展に貢献するという意味です。 プログラミング言語や医学などを思い浮かべるとわかりやすいでしょう。
◆◇学問の役に立つ◇◆ 今は100年前より、多くのことが明らかになっています。学問が深化しています。 「学問のための学問?」 役に立たない学問を深めても意味がないと思う人もいるかもしれませんが、「すぐに」役に立つとは限らないですし、自分基準の「役に立つ」とは違った側面で役に立っている可能性があることを忘れないでください。
役に立っているような気がしないのはなぜか
・「すぐに」役に立つとは限らないから 学問が、「今すぐに」役に立つとは限りません。 「いつか」役に立つときがくるのです。
・単体で役に立つとは限らないから 今学んでいることそれ自体が、それ単体で役に立つとは限りません。 極端な例ですが、this という英単語を頑張って覚えて、それが単体で役に立つことはあまりないでしょう。 でも、様々な英単語を覚え、文法もマスターしたとき、英語で読み書きができるようになったり、英語で会話ができるようになったりし、世界が広がります。
・間接的に役に立っているから 学問を通して人生が豊かになることもあります。 たとえば大学生なら、大学の友達と知り合えたことも間接的な勉強のメリットと言えるでしょう。 勉強を効率的に行うために工夫したことが、日常生活にも活かせるノウハウになるかもしれません。
・わかりやすい形になっていないから 勉強することによって脳が鍛えられた場合や、勉強して得た知識が考え方の基礎になっている場合、確実に役に立っているのに、自分では気づきにくいです。 自覚していなくても、自分の役に立っていることはあります。 学問を学問として使う場合もあれば、学問がもとになっていて、違う形で現れる場合もあるのです。
役に立つ必要性はあるのか
このように考えてみると、どんな学問も役に立ちそうな気がしてきますよね。 ただ、役に立つかどうかで学問の価値を計るのはナンセンスだという意見もあります。 役に立つから学ぶということも大切かもしれませんが、役に立つか立たないかに関係なく学んでいる人もいます。 興味があるから学ぶ。知りたいから学ぶ。学ぶことが楽しいから学ぶ。 自分が好きなこと・興味があることはとことん追求していきたくなりますよね。 そのときに「これは役に立つから」と考えて学んでいるでしょうか。 おそらく、ただ面白いから学んでいるのだと思います。 好奇心で学んでいる時間はとても幸せな時間です。
以上、「学問は役に立つのか論争」について考えてみました。 みなさんの“役に立つ”コラムになっているでしょうか……?
【参考文献】 池谷裕二、2014年『受験脳の作り方 脳科学で考える効率的学習法』新潮文庫

