
「あなたの市場価値は、正直それほど高くありません」。転職を考えて相談に行った先で、年下の担当者にそう告げられる——。
先生として、公務員として、看護や介護、保育の現場で、何年も誰かを支えてきた人が、やってきたことすべてを否定されたような気持ちで帰ってくる。そんな場面が、いたるところで起きています。
そうした人たちに向けて、ある起業家が、SNSにこう書きました。
たしかに、未経験での転職には一定の厳しさがあります。しかし、本当に先生たちの経験には価値がないのでしょうか?そんなことはない、あなたがやってきたことの価値が、ゼロのわけがない。
書いたのは、森實泰司(もりざね だいじ)さん。先生や公務員をはじめとする"支える仕事"に特化した、転職を前提としないキャリアコーチング「クジラボ」の代表です。
森實さんが日々向き合っている当事者たちに向けたこの一文に、たくさんの「いいね」が集まりました。たった一文がこれほど届いたのは、それだけ多くの人が、まったく逆のことを言われ、声を上げられずにいたからにほかなりません。
全2回でお届けする連載の第1回では、この一文がこれほど届いた理由——支える仕事に就く人がキャリアで行き詰まる「本当の理由」と、それに向き合うクジラボというサービスの正体に迫ります。
構成・取材・写真/STUDY HACKER編集部
【プロフィール】
森實 泰司(もりざね だいじ)
株式会社クジラボ 代表取締役。1986年、福岡生まれ。ソフトバンク、リクルートを経て、ITベンチャーのキュービックで人事責任者を務め、組織を3年で30名から300名へと拡大。2019年に学校法人の事業承継に携わり、教育の現場へ。2021年に株式会社クジラボを設立する。「支えるひとをささえる。」をビジョンに掲げ、先生・公務員・看護・介護・保育など、誰かを支える仕事に就く人のためのキャリアコーチングを手がける。
- 「先生、社会を知らないんですもんね」
- たった一文が、堰を切った
- 行き詰まるのは、あなたのせいではない
- 「辞めると続けるは、何対何ですか」
- 悩みを、誰にも言えない
- 答えではなく、「内側の羅針盤」を渡す
- 6割が「残る」。それでも満足度は98%
- 残る・辞めるの、その外側にある道
- まず、ひとりで抱えないこと
「先生、社会を知らないんですもんね」
あの一文が、なぜこれほど多くの人に刺さったのか。それを知るには、支える仕事の人たちがふだん、何を言われてきたかを振り返る必要があります。
キャリアに迷い、思い切って転職エージェントの扉を叩く。けれど、相談したことで、かえって落ち込んで帰ってくることがあります。クジラボには、そうして傷ついた人たちが相談に訪れます。
「『私がやってきたことの価値がないんだ、認められないんだ』という受け止めになる。年下の、社会人3年目の、25、6歳の若者に『厳しいですね』と言われて」
長年かけて積み上げてきたものを、数十分の面談で「市場価値」という物差しに当てられ、低く見積もられる。「あなたは社会を知らない」と言わんばかりのまなざしを向けられ、やってきたことすべてを否定されたような感覚だけが、後に残ります。
あの一文は、こうして傷ついてきた人たちに向けられた、「そんなことはない」という返答でした。
たった一文が、堰を切った
その反響を、森實さんはこう振り返ります。
「現場で頑張ってきた人たちが、『ダメです、社会を知らないんですもんね』と言われ続けてきた。それに対する『そんなことない』という気持ちを、言葉が代弁したときに、バーッと反響がついた。それが印象的でした」
市場という物差しで測られる価値と、その人がやってきたことの価値は、本来まったくの別物です。「ゼロ」と言われたのは市場価値であって、その人の価値ではない。多くの人が「いいね」を押したのは、ずっと言葉にできずにいた思いを、代わりに言ってもらえたからでした。

行き詰まるのは、あなたのせいではない
では、なぜ支える仕事の人は、これほどキャリアで行き詰まりやすいのか。森實さんは、それを本人の努力不足ではなく、構造の問題だと捉えています。
ひとつは、市場価値の測られ方です。転職エージェントで面談を担当するキャリアアドバイザーの仕事は、本質的にスキルのマッチングだと森實さんは言います。一般の企業は、営業、総務、経理、人事といった職種の枠で人を採る。民間どうしの転職なら、たとえ業界が変わっても、営業の経験は営業へ、経理は経理へと、同じ職種が受け皿になって移っていけます。
ところが、その枠のどこにも「教師」はありません。先生の仕事も、個別に合わせた対話や、問いを投げて考えさせる力など、抽象化すれば他の職種に通じるスキルではある。けれど、それをそのまま受け止めてくれる職種が、企業側にないのです。
だから、経験をどの枠に当てればいいのか分からず、「未経験」として一から見られてしまう。これが、ほかの業種へ移るのとは違う、支える仕事に特有の難しさです。
もうひとつは、支える仕事そのものが持つ事情です。
「人の気持ちや感情にアンテナがあるからこそ、その仕事をしている。それがモチベーションにもなるし、心を苦しめる要素にもなる。どんな保護者と当たるか、来年度どんな子と当たるかは、もう運なんです。自分ではコントロールできない」
感受性の高さは、支える仕事の強みであり、同時に消耗の入り口でもあります。行き詰まりは、本人が弱いからでも、頑張りが足りないからでもなく、構造から来ているのです。
「辞めると続けるは、何対何ですか」
あの一文に救われた人たちは、いまもキャリアの真ん中で揺れています。森實さんが、相談に来た人にまず投げかける問いがあります。
「私が必ず聞くのは、『辞めると続けるは、何対何ですか』ということです。8対2や9対1で来る人は、ほとんどいません。6対4とか、4対5とか……『先週は7対3でした。でも今週ちょっとあって、5対5くらいですね』。そういう方がすごく多いんです」
白黒がついていれば、悩みません。多くの人は、ちょうど真ん中で揺れていて、「私はどうしたらいいでしょうか」と、外に正解を求めてやってきます。
なぜ、自分で決められないのか。背景には、進路の選び方の違いがあります。中学の卒業文集に「先生になりたい」と書き、その夢を信じて真っ直ぐ歩んできた。あるいは、親に勧められた道を、自分の道として引き受けてきた。そうして一本の道を進んできた人は、いくつもの選択肢を並べて「自分はどうしたいか」を測る機会が、そもそも少なかったのです。
転職や副業を当たり前に比較しながら働いてきた人とは、出発点が違うだけ。だからこそ、いざ迷ったとき、その答えを自分の外に探しに行く。これが、宙ぶらりんの正体の入り口です。
悩みを、誰にも言えない
この悩みが厄介なのは、相談相手が見つからないことです。職場では「自分が抜けたら迷惑がかかる」。そして家庭には、また別の壁があります。
「ウェビナーをやると、画面オフの方がめちゃくちゃ多いんです。自分が誰かということを、他人に知られないようにしている。家庭でも、『まさか、辞めたりしないよね……』と、不安げに言われる。でも、本当は悩んでいるんです」
先生であること、公務員であることが、家族にとっての安心や誇りになっている。だからこそ、揺れている本音を打ち明けられず、悩みを抱えていること自体を、隠さなければならない。この孤立が、宙ぶらりんをさらに長引かせます。

答えではなく、「内側の羅針盤」を渡す
キャリアコーチングは、ここ数年で広まってきた、比較的新しいサービスです。求人を紹介して転職へ導く転職エージェントとは違い、仕事を斡旋しません。その人の話をじっくり聞き、対話を通じて、本人が自分で進む道を決められるよう支える。クジラボが立っているのは、こちら側です。
森實さんがいちばん価値を置いているのは、その人自身が自己決定できるようになることだといいます。「続けるか、続けないか」という究極の問いに対して、自分が納得して「こうだ」と決められる。その状態をつくることが、クジラボの目指すところです。
答えを求めてやってくる人に、森實さんたちが手渡そうとするのは、別のものです。
「外に答えを探しに来た人に、本当に必要なのは、内側の羅針盤です。だから、縦に深く掘る。その人の感情や、本当の課題は何なのかを特定しに行くんです」
その違いは、ビジネスの構造そのものにも表れています。転職エージェントが報酬を受け取るのは求職者を採用した企業からで、転職が決まって初めて売上になります。だから構造上どうしても転職という結論に傾きます。一方クジラボが報酬を受け取るのは相談に来た本人からです。転職してもしなくても変わらないので、残るも辞めるも中立でいられるのです。
企業から報酬を得るエージェントは、構造上、転職という結論に傾きやすい。一方、個人から報酬を得るクジラボは、残るも辞めるも中立でいられます。だからこそ、「どうすればこの人が納得できるか」だけに向き合えるのです。
6割が「残る」。それでも満足度は98%
クジラボがキャリアコーチングである以上、転職を選ばない人がいるのは自然な成り行きかもしれません。プログラムを受けた人の約6割は、結果として「残る」ことを選びます。目を引くのは、その満足度です。残った人も含めて98%が「受けてよかった」と答えています。
転職もしていない。年収も上がっていない。それでも「受けてよかった」と言って終わる。ここで、何が起きているのか。森實さんは、ある卒業生の言葉を紹介してくれました。
「総会で、プログラムを受けた方が登壇して話してくれたんです。『そんな考え方があるなんて知らなかった。それがすごく重要だと知って、これからどう生きたらいいか、何を大事にしたらいいかが分かった』と」
同じ「残る」でも、その中身はまるで違います。モヤモヤを抱えたまま「明日もまた学校か」と続けるのと、自分なりの理由で「だから続ける」と決めて続けるのと。同じ"続ける"でも、質が違う。納得して選び直した今日は、流されて迎えた昨日とは、別の一日になります。

残る・辞めるの、その外側にある道
クジラボが扱うのは、「残る」か「辞める」かの二択だけではありません。当事者からはなかなか見えない、その外側の選択肢を一緒に探します。
非常勤に切り替えて、空いた時間で副業をする。あるいは、自宅でスクールを開く。先生は「子どもの課題は家庭の課題だ」とわかっているぶん、保護者向けのコンサルティングにはすごくニーズがある——不登校の相談などは、まさにそうだと森實さんは言います。
選択肢を広げる過程では、あえて民間企業の人と話してもらうこともあると言います。しんどいときほど、隣の芝は青く見えるものです。リモートワークができていい、服装も自由でいい、もっとのびのび働けるはずだ。そんなふうに外に答えを求めたくなる。けれど実際に関わってみると、その印象は少しずつ変わっていきます。
「しんどいときは、外に答えを求めたくなる。でも、実際に民間企業の人と関わると、『想像以上に数字に追われている』とか『結果を出さないと待遇もよくならない』と見えていない部分もはっきりと見えてくる。今の環境の利点もメタ認知できるんです。海外に一ヶ月行って、日本のよさに気づくのと同じなんです」
隣の芝が青く見えていただけなのか、それとも本当にそちらが合っているのか。頭の中で想像するのではなく、実際に確かめてから決める。だから、出した結論に納得が宿ります。
まず、ひとりで抱えないこと
この記事を読みながら、「これは自分のことだ」と感じている人へ。最後に、まず何から始めればいいのかを聞きました。
「まずは、誰かに話してみることです。言語化できないモヤモヤを、プロが整理する。整理されただけで、あなたから見えていなかったものが可視化されて見えてくるんです」
自分のことを、自分だけで理解するのは、構造的に難しい。だからこそ、ひとりで抱え込まないこと。揺れている自分を、誰かと一緒に言葉にしてみる。その一歩が、宙ぶらりんを終わらせる入り口になります。
そして、あの一文——「あなたがやってきたことの価値が、ゼロのわけがない」。それは慰めの言葉ではなく、たくさんの現場を見てきた人間の、確信から出た言葉でした。
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支える仕事のキャリアが行き詰まる理由と、それに向き合うクジラボというサービスの輪郭を見てきました。次回は、視点を変えます。
先生でも公務員でもなく、民間で生きてきた森實さんが、なぜこの言葉にたどり着き、この仕事を選んだのか。その理由をたどることが、「この人たちになら話してみてもいい」と思えるかどうかの、もうひとつの手がかりになるはずです。

【森實泰司さん インタビュー連載】
- 第1回 「あなたがやってきたことの価値が、ゼロのわけがない」——支える仕事の人を救った、たった一文(本記事)
- 第2回 なぜ、民間で生きてきた自分が、先生たちの隣に立つのか——クジラボ・森實泰司が事業に込めたもの
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社 代表取締役/株式会社スタディーハッカー創業者。1977年生まれ、福岡出身。2014年、メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ。以後運営に携わる。
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/ 著書(amazon)