
市場価値はゼロかもしれない。でも、あなたがやってきたことの価値が、ゼロのわけがない——。前回紹介した、森實泰司(もりざね だいじ)さんの言葉です。
意外なのは、これを語る森實さんが、市場価値の世界のど真ん中で生きてきた人だということです。ソフトバンク、リクルート、そして人材ベンチャーで人事を率い、組織を急拡大させてきた。人を市場でどう評価するかを、誰よりも知る側にいました。
その人が、市場価値では測れないものを語り、先生や公務員のために会社をつくった。なぜなのか。
連載の第2回では、あの言葉の出どころをたどります。
構成・取材・写真/STUDY HACKER編集部
【プロフィール】
森實 泰司(もりざね だいじ)
株式会社クジラボ 代表取締役。1986年、福岡生まれ。ソフトバンク、リクルートを経て、ITベンチャーのキュービックで人事責任者を務め、組織を3年で30名から300名へと拡大。2019年に学校法人の事業承継に携わり、教育の現場へ。2021年に株式会社クジラボを設立する。「支えるひとをささえる。」をビジョンに掲げ、先生・公務員・看護・介護・保育など、誰かを支える仕事に就く人のためのキャリアコーチングを手がける。
- 「黒船が来た」と言われた日
- 自分の中にあった「民間マウント」
- 確信は、現場から来た
- 成長を「正義」にしない
- なぜ、横文字も早口も持ち込まないのか
- 100人に1人しか、コーチにしない
- 支えるひとを、ささえる
「黒船が来た」と言われた日
森實さんが教育の世界に入ったのは、家業である学校法人の事業承継がきっかけでした。ビジネスの世界で培った成功体験と論理を、そのまま持ち込もうとした。けれど、それは歓迎されるどころか、警戒される登場でした。
最初の職員室の挨拶で、森實さんは「変化が必要だ」と語ったといいます。世の中はこう変わっている、だからここも変わらなければ、と。その瞬間のことを、こう振り返ります。
「変化が必要です、みたいなことを言ったんです。その瞬間、先生たちの心がピシャッと閉じたのが分かりました。言うなれば、黒船が来た、という感覚だったと思います」
去年こうだったから今年もこうする。あの先生がそう言うから、こうする。そうした現場のやり方が、当時の森實さんには許せなかった。本質はそこじゃないだろう、と。怒りに近い感情を抱えながら、すごく嫌われもしたし、うまくもいかなかったと言います。
民間の論理を武器に乗り込んだ人間が、最初に味わったのは、手痛い挫折でした。
自分の中にあった「民間マウント」
うまくいかないなかで、森實さんは深く内省したといいます。なぜ、自分にこんなことが起きるのか。考えていくうちに、ある事実に行き当たりました。
「自分が生きてきた世界こそが正義で、そうじゃない世界は劣っている、ダメなものだ。そういう価値観を、自分が持っていたと気づいたんです。しかも、それは自分だけじゃなかった」
森實さんは、それを「民間マウント」と呼びます。横文字を使い、早口で、ロジカルに話す。そうした民間の作法を身につけた人が、無意識のうちに教育や公的な仕事の人を見下している。「あなたたちは社会を知らない」と言わんばかりに。
そして気づいたのは、過去の自分こそ、その民間マウントを持っていた一人だった、ということでした。この気づきが、いまの仕事の出発点になっています。
確信は、現場から来た
長く現場にいるうちに、森實さんは少しずつ、彼らの大切にしているものがわかってきたといいます。あの言葉が生まれたのも、机の上の論理ではありませんでした。
「医療従事者の方は、朝から晩まで、人の命と向き合っている。凄まじいと思うんです。もう尊敬しかない。それに比べて自分は、パソコンの前でキーボードを叩いて、偉そうにしているだけかもしれない。どっちが偉いんだろう、と感覚的に思うんです」
この感覚は、現場で人と向き合い続けた時間が刻んだものです。頭で考えた理屈ではなく、実際に支える仕事の人たちと接するなかで、少しずつ積み重なってきた。

成長を「正義」にしない
森實さん自身、もともとは「成長」の世界の住人でした。リクルートで実績を積み、人材ベンチャーでは組織を30名から300名へと拡大させた。成長や成功を信じ、それで評価もされてきた人でした。
では、なぜそこから降りられたのか。森實さんは、痛い目を見たことが大きいといいます。
「成長、成長、成長と走ってきて、あれは何だったんだろう、と。心のどこかに、ずっと違和感はあったんだと思います。でも、それを願わないなんて、口が裂けても言えない世界でしたから」
成長を願わざるを得ない構造の中にいると、その違和感には名前がつきません。だからこそ森實さんは、クジラボでは成功や成長や挑戦を「正義」として押しつけない、と決めています。成長を望むかどうかは、本人が決めることであって、誰かが正解として渡すものではないのです。
なぜ、横文字も早口も持ち込まないのか
クジラボが大切にしていることのひとつに、当事者に横文字や早口で接しない、という姿勢があります。一見すると細かすぎる気配りですが、ここに森實さんの核心があります。
「10年やってきた先生や看護師さんには、絶対に、その人の尊厳や誇りがあります。それが、ちょっとしたことで踏みにじられる。そこに対して、なめんなよ、という気持ちがあるんです」
相手が何に傷つくかが分かるのは、森實さん自身が、傷つけられる側の痛みを知っているからかもしれません。だからこそ、支える仕事の人を、けっして粗末に扱わない。その一点に、クジラボはこだわっているのです。

100人に1人しか、コーチにしない
その預け先となるコーチを、クジラボは厳しく選んでいます。応募者のうち、コーチになれるのは、およそ100人に1人だといいます。何を、そこまで見ているのか。
「いちばん見ているのは、人に向き合うスタンスです。ここに命をかけているような人がいい。案件をこなして稼げればいい、という人は、絶対に採用しません」
森實さんは、自分たちを「技術者集団」だと捉えています。よりよい支援のために技術を磨き続けることを、おもしろいと思えるか。
相談に来た人に、誰を担当として組み合わせるかも、丁寧に考えます。たとえば20代の女性が抱える悩みは、50代の男性コーチにはうまく汲み取れないこともある。だからこそ、その人の悩みに合うコーチを選んで組み合わせる。これは、ひとりで活動する個人のコーチには難しい。組織だからできることです。
相談に来た人を任せる相手を、ここまで選んでいる。それ自体が、ひとつの誠実さのかたちです。
支えるひとを、ささえる
森實さんが、クジラボを通じて見たい景色があります。それは、誰かを支える仕事の人が、自己犠牲ではなく、ちゃんと豊かに、長く働き続けられる社会です。
「そういう人たちが、社会から必要な存在として認められている。べつにリスペクトされたくてやっているわけじゃないけれど、ちゃんとリスペクトを得ながら働けている。そんな社会になったらいい」
もし、いま辞めるか続けるかを、ひとりきりで抱えている人がいたら。森實さんは、最後にこう語りました。
「あなたにとって何が幸せで、何がいちばん豊かなのか。それを100パーセント一緒に考えます。それ以外の意図はないので、安心して、話を聞かせてほしいんです」
市場価値とその人の価値は、別物だ。その確信のもとで、支えるひとを、ささえる。この人たちになら、話してみてもいいかもしれない。そう思えたなら、その一歩が、宙ぶらりんを終わらせる入り口になるはずです。
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全2回にわたって、支える仕事のキャリアと、それに向き合うクジラボ・森實泰司さんの考えをたどってきました。市場価値だけでは測れないものが、確かにある。その当たり前を、もう一度、自分の足元で確かめてみてください。

【森實泰司さん インタビュー連載】
- 第1回 「あなたがやってきたことの価値が、ゼロのわけがない」——支える仕事のキャリアを、市場価値だけで測らないために
- 第2回 なぜ、民間で生きてきた自分が、先生たちの隣に立つのか——クジラボ・森實泰司が事業に込めたもの(本記事)
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社 代表取締役/株式会社スタディーハッカー創業者。1977年生まれ、福岡出身。2014年、メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ。以後運営に携わる。
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