
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season9
Season8では「機能から情緒へのドメイン再定義」を20社の事例で深掘りしました。
Season9でも引き続き、現代のマーケティングの本質を事例で解き明かしていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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いまお使いのスマホは、何年目でしょうか。まだ動くのに、電池のへたりや新機種の発表を機に買い替える。引き出しの奥には、前のスマホが眠っている。2年に一度のその習慣に、薄い罪悪感を覚えたことはないでしょうか。
2026年7月31日、その習慣の前提を変えるルールが、EU全27カ国で適用開始になりました。「修理する権利」指令です。メーカーは部品や工具を適正な価格で提供することを求められ、修理を妨げる設計や契約は禁じられます。*1 *2 欧州議会での採決は、賛成584に対して反対3。ほぼ全会一致でした。*1
世界のスマホメーカーはいま、部品の供給体制や修理情報の開示など、この法律への対応に追われています。ところが、ここで求められていることを13年前から実践してきた会社があります。
オランダ・アムステルダムのFairphone(フェアフォン)。2013年に生まれた、販売台数では大手の何百分の一という小さなメーカーです。
業界の大半が「規制に追われる側」に立つなか、この会社だけは「規制が追いついてきた側」に立っている。なぜ小さな会社が、業界のルールを先取りできたのか。そして、それは何の得になるのか。今回はこの構造を解剖します。
「買い替えてほしくない」スマホメーカー
まず、スマホ業界の収益構造を確認しておきましょう。メーカーの売上の中心は端末の販売で、収益は買い替えのサイクルに支えられています。2〜3年で新機種に乗り換えてもらうことが、業界の前提になっているわけです。
Fairphoneは、その前提の逆を張りました。この会社が掲げるのは、「最も環境負荷の低いスマホは、新しく作られないスマホ」という考え方です。自社の製品をできるだけ長く使ってもらい、買い替えを遅らせること自体を目的にしています。
2025年発売の最新機種、Fairphone (Gen. 6)を見てみましょう。価格は599ユーロ。ドライバー1本で電池や画面など12の部品を自分で交換でき、5年保証と、2033年までのソフトウェア更新が付きます。*3
電池がへたったら、本体ではなく電池だけを買う。画面が割れたら、画面だけを替える。ユーザーが長く使うほど、メーカーの端末販売は減ります。普通に考えれば、商売の否定ですね。
では、何で成立させているのか。一つは部品やアクセサリーの販売です。もう一つは、価格そのものです。599ユーロという値付けは、性能表だけを見れば割高です。中身は中位クラスの部品だからです。その差額が何の対価かといえば、5年の保証と8年の更新、そして「作られ方」です。
Fairphoneは、フェアトレード認証の金や、重量の50%を超えるフェア・リサイクル素材を使い、製造工場の労働者には生活賃金との差額をボーナスとして払っています。その総額は、これまでに125万ドルを超えました。*4 鉱山から工場まで、誰がどう作ったかを開示する。その透明性自体を、製品の価値にしているのです。
英国の消費者誌Ethical Consumerは、Fairphoneを「世界で最も倫理的なスマートフォン」と評し、推奨製品に選んでいます。*5 スペックの表で競えば、同じ価格でもっと速いスマホはいくらでもあります。しかしこの会社は、性能とは別の物差しを売り場に持ち込みました。倫理と透明性で選ばれる構造を作ったのです。

市場のシェアではなく、ルールのシェアを取る
ここまで読むと美談ですが、数字は正直に見ておきましょう。Fairphoneの2025年の販売は、過去最高を更新しても15万台弱です。*4 世界では年間10億台を超えるスマホが出荷されますから、市場シェアとしては誤差の範囲と言っていい規模です。
ただし、伸び方は別です。2025年、世界のスマホ市場が縮小するなかで、Fairphoneのスマホ販売は前年比42%増。売上も35%増の7,330万ユーロでした。*6 小さいながら、商売として成立し、成長しているのです。
そして、この会社の本当の成果は、販売台数ではありません。「修理できてフェアなスマホは、商業的に成立しない」という業界の前提を、実物で反証し続けたことです。
大手が修理しにくい密閉型の端末を作り続けるあいだ、その理由は「技術的に難しい」「ビジネスにならない」と説明されてきました。Fairphoneの存在は、この説明を13年かけて無効にしていきます。現に売られ、現に成立している会社が、目の前にあるからです。
EUが「修理する権利」を立法していく過程で、Fairphoneは「できる」ことの生きた証拠として機能しました。理屈やロビイング以上に、市場で実際に売られている実物こそが、いちばん反論しにくい主張だったのです。
そして2026年7月31日、法の適用が始まりました。部品の供給、修理情報の開示、修理妨害の禁止。*1 業界の全員が、Fairphoneが13年前から立っていた土俵に、義務として引き込まれたことになります。
ここで、力関係が入れ替わります。後追いで義務をこなす側と、思想として13年積み上げてきた側。修理を前提にした設計のノウハウも、部品供給の体制も、顧客との長い関係も、先行者にはすでにあります。同じ規制が、後発にはコストとして、先行者には追い風として働くわけです。
市場のシェアでは勝負にならない挑戦者が、市場の外側にあるルールのシェアを取りにいく。Fairphoneがやってきたのは、そういう戦い方でした。
| 項目 | スマホ業界の常識 | Fairphoneの構造 |
|---|---|---|
| 収益の源泉 | 買い替えサイクルで稼ぐ | 長く使ってもらい、部品と関係で稼ぐ |
| 製品の設計 | 密閉して修理させない | ドライバー1本で開けられる |
| 選ばれ方 | スペックで比較される | 倫理と透明性で選ばれる |
| 規制との関係 | 規制は対応すべきコスト | 規制は先行者の追い風 |

市場のシェアの前に、ルールのシェアがある
この事例が新人マーケターに残してくれるのは、「市場のシェアの前に、ルールと基準のシェアがある」という視点です。
業界の慣習や規制の方向を、観察してみてください。環境、労働、情報開示。世の中の要請がどちらへ動いているかは、法案や業界団体の議論として、かなり前から公開されています。自社の理想がいずれ義務になる見込みが高いなら、先に実践しておく。義務化された日に、それまでの対応コストは競争優位に変わります。
もう一つは、「できない」への反証の仕方です。会議室で「それは無理です」と言われたとき、理屈で言い返すより、小さくても動く実物を作って見せるほうが強い。Fairphoneが業界とEUに対してやってきたことは、その最大版です。あなたの企画が「前例がない」と止められているなら、必要なのは説得の資料ではなく、小さな前例そのものかもしれません。
そして、買い替えに頼らない関係の設計です。自分の商品やサービスは、顧客に「また買わせる」ことと「長く付き合う」ことの、どちらで収益を立てているでしょうか。長く付き合う設計は、価格の高さを正当化し、信頼をそのまま資産に変えていきます。
あなたの業界で、「そのうち義務になりそうなのに、まだ誰もやっていないこと」は何でしょうか。それを最初に始めた会社が、次のルールの上ではいちばんの古株になります。探すところから、始めてみてください。

【本記事のまとめ】
1. 「買い替えてほしくない」スマホメーカー
買い替えサイクルが収益源のスマホ業界で、Fairphoneは長く使ってもらうこと自体を目的にした。ドライバー1本で12部品を交換でき、5年保証と2033年までの更新が付くFairphone (Gen. 6)は599ユーロ。割高な分の対価は保証と更新、そしてフェアな作られ方の開示であり、倫理と透明性という別の物差しで選ばれる構造を作った。
2. 市場のシェアではなく、ルールのシェアを取る
販売は年15万台弱と世界市場では誤差だが、「修理できてフェアなスマホは成立しない」という業界の前提を実物で反証し続けたことが本当の成果である。EUの「修理する権利」の適用開始により、業界全員がFairphoneの土俵に義務として引き込まれた。同じ規制が、後発にはコスト、13年先行した側には追い風として働く。
3. 市場のシェアの前に、ルールのシェアがある
規制や慣習の方向は前から公開されている。自社の理想がいずれ義務になるなら先に実践すれば、義務化の日に対応コストは競争優位へ変わる。「できない」には理屈でなく小さな実物で反証する。そして、買い替えに頼らず長く付き合う設計は、価格を正当化し信頼を資産に変える。
よくある質問(FAQ)
割高で台数も少ないのに、ビジネスとして成功と言えるのですか?
物差しによります。台数や時価総額で測れば、成功とは言えません。ただ2025年は縮小する市場で販売42%増、売上35%増と、成長する事業ではあります。そして忘れてならないのは、この会社の設立目的が「業界を変えること」だという点です。その物差しで見れば、15万台のメーカーがEU全体のルールを動かした費用対効果は計り知れません。自社にとっての成功の定義を先に決めることが、戦略の出発点になります。
規制の先取りは、体力のない会社には無理ではないですか?
全部を先取りする必要はありません。方向がほぼ確実な一つに絞ることです。規制は突然は生まれず、草案や業界団体の議論の段階から公開されています。自社の強みと重なる一点だけを、義務化の2〜3年前に実践しておく。それだけで、義務化の日には「すでに対応済みの会社」として選ばれる側に回れます。むしろ体力のない会社ほど、大手と同じ土俵で戦わずに済むこの方法が向いているとも言えます。
倫理や環境を打ち出すと、説教くさくなりませんか?
順番の問題です。Fairphoneの売り方は「長く使える良いスマホが、フェアでもある」という順番で、顧客の罪悪感には訴えていません。顧客が買っているのは我慢ではなく、電池を自分で替えられる実利と、持つことの小さな誇りです。倫理を製品の弱点の言い訳に使った瞬間、それは説教になります。実利を先に、思想はその後ろに。この順番を守るかぎり、倫理は押しつけではなく選ぶ理由になります。
*1: 欧州議会公式|Right to repair: Making repair easier and more appealing to consumers
*2: Right to Repair Europe|The Right to Repair Directive: what changes on 31 July?
*3: Fairphone公式|Switch to fair. Switch to The Fairphone (Gen. 6).
*4: Fairphone公式|Summing up our 2025 Impact Report
*5: Ethical Consumer|How ethical is Fairphone B.V?
*6: Fairphone公式|Fairphone's Smartphone Shipments Surged by 42% in 2025 - Despite Shrinking Global Smartphone Market
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season9
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岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社 代表取締役。
1977年生まれ、福岡県出身。同志社大学文学部英文学科卒業。2010年に株式会社恵学社(現・株式会社イングリッシュカンパニー)を創業。2014年に学習メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ、編集長を通算10年以上務める。STUDY HACKERは最大で月間500万PV、STUDY HACKERのInstagramは月間700万PV、フォロワー28万人(2026年10月7日時点)。2026年に新恵社を設立し、自社のメディアで読者と直接つながる「広報のD2C」を掲げる。著書に『勉強の戦略』(朝日新聞出版)など。
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