
電車のなかで、ふいに肩を叩かれます。"Excuse me?" 振り向くと、背の高い外国の人が立っている。
何か答えなければと思うのに、口から出てくるのは「あっ、いや、僕、英語は……」というモゴモゴした声だけ。背中をじんわり汗が伝う。相手も察して、"Sorry." と去っていく——。
時吉秀弥さんの新刊『とてつもなくおもしろい英文法の世界』(Gakken)は、英語が大の苦手な少年ユウの、この場面から始まります。学校で何年も英語をやってきたのに、いざ生身の英語が目の前に立つと、体が固まって逃げてしまう。身に覚えのある人は、少なくないはずです。
なぜ私たちは、こんなにも英文法が嫌いなのか。そして、その「嫌い」はどこから来るのか。『英文法の鬼100則』(明日香出版社)で知られる時吉さんに聞いていくと、つまずきの正体は「努力不足」でも「センスのなさ」でもないことが見えてきました。
「英文法が嫌いになる原因は何かというと、それが無意味なルールの集まりに見えるからなんです」
嫌いの正体は、ルールの裏にあるはずの「意味」が語られてこなかったことにある——。第1回は、英文法が嫌いになる本当の理由と、知識はあるのに使えない「つまずきの正体」に迫ります。
構成・取材・写真/STUDY HACKER編集部
【プロフィール】
時吉 秀弥(ときよし ひでや)
兵庫県出身。神戸市外国語大学外国語学部英米語学科卒。米国ルイジアナ州チューレン大学にて国際政治を学ぶ。落語家の弟子、コント芸人、ラジオパーソナリティという異色の経歴を経て、予備校で20年以上にわたり英語を教える。独自に築いた英文法観が認知言語学に通じると知り、東京言語研究所にて池上嘉彦・西村義樹・尾上圭介各氏らのもとで認知言語学・日本語文法などを学ぶ。2010年、同所で理論言語学賞を受賞。著書『英文法の鬼100則』『英熟語の鬼100則』(明日香出版社)ほか、シリーズ累計10万部を突破。自称「英語職人」。新刊に『とてつもなくおもしろい英文法の世界』(Gakken)。
なぜ「逃げる」場面から始まるのか
主人公ユウが逃げ出すこの冒頭を、時吉さんは意図して置いています。英語が苦手な人の状態を、これ以上ないほどよく言い表しているからです。
「英語がわからない。英語の何がわからないのかもよくわからない。だからもう逃げるしかない。シャッターを降ろして自分を閉ざしているんです。」
ここで時吉さんが見ているのは、知識の不足そのものよりも、「何がわからないのかが、わからない」という状態です。つまずいている場所が自分でも見えないから、手のつけようがない。
対処の糸口がどこにもない。だから人は、逃げてしまう。ユウが電車から逃げ出すのは、その「糸口のなさ」のメタファーなのだと言います。
「裏を返せば、糸口さえ見つかれば、人は逃げなくて済みます。本書が物語のかたちをとっているのも、ここに理由があります。」
ストーリーをたどっていくうちに、「自分のわからなかったことは何だったのか」が少しずつ解きほぐされ、最後にはゴールにたどり着く。漫然と知識を並べるのではなく、迷い込んで、出口を見つける。この読書体験そのものが、英語嫌いをほどく仕掛けになっているのです。

「だから何?」——英文法が嫌いになる、本当の理由
時吉さんは、英文法が嫌われる理由を、こう言い切ります。例に挙げたのは、数えられる名詞と数えられない名詞(可算名詞・不可算名詞)でした。
机や本は数えられる名詞だが、水は数えられない。そうルールを示されても、と時吉さんは続けます。
「『だから何?』ってなるわけです。日本語にはそんなものないし、文字通り意味がわからないというリアクションになる。これは慣用句としての『意味がわからない』ではなくて、教える側が現実に、文法が表す意味を説明していないということなのです。」
ここで時吉さんが「意味」と呼ぶものが、話の鍵になります。意味とは、頭のなかに浮かぶ映像のこと。
しかも静止画ではなく、動画です。認知言語学者のラネカーは、これを「意味は概念化である」と表現しました。
私たちは単語については、これを自然にやっています。「犬」と聞けば、頭のなかに犬の姿がパッと浮かぶ。ことばと映像が、初めから結びついています。
ところが文法になると、その映像が抜け落ちてしまう。けれども本当は、どんな文法のルールにも、それが表そうとしている映像がちゃんとあるのです。
数えられる名詞・数えられない名詞という区別にも、本来は「何を見ているか」という像があります。それを説明しないまま、「水は数えられない、本は数えられる」とリストにして覚えさせる。
だから、おもしろくない。理由のわからないまま頭に入れた知識は、当然、身体になじみません。
「その『だから何』、つまりそれが何を意味しているのかという部分を明確にしていく。なおかつ、それを言葉で説明すると理屈っぽくなって頭に入らない場合も多いので、それをスパッとイラストで説明しているというのが、この本の最大のセールスポイントだと思います」
言葉で理屈を重ねれば、わかる人にはわかります。けれども、英文法から逃げてきた人にとっては、その理屈こそが壁でした。
映像なら、理屈を飛び越えて直感に届く。「わかった」よりも先に「見えた」が来る。無意味に見えていたルールの裏側にある「映像」を、絵で一気に手渡す——それがこの本の根っこにある発想です。
専門家も、英語から逃げ出したくなった
意外に思われるかもしれませんが、認知言語学の知見で英文法を解き明かしてきた時吉さん自身にも、英語から逃げ出したくなった時期があります。
「一番逃げたくなった時期は、高校生のときです」
時吉さんにとって英語学習の原点は小学校高学年。ネイティブの先生がいる英会話教室で、よくわからないなりに「会話するのはおもしろい」と感じていたといいます。
中学英語もその延長でやれていた。ところが高校に入り、文法が一気に複雑になると、ついていけなくなります。
「英文も読めなくなって、もう逃げたい……自分が好きだった英語はこんなんじゃなかったはずなのに、っていうのがありました」
これは、いまの小学生が中学英語の壁にぶつかる構図と、そっくり重なります。小学校での「楽しい英語」の延長で来たところに、ある日突然複雑な文法が立ちはだかる。時吉さんは、その壁を高校で経験したわけです。
立て直すきっかけになったのは、高校二年のとき、サンフランシスコ郊外で過ごした一ヶ月のホームステイでした。そこで時吉さんは、「英語でコミュニケーションができて、それが楽しいんじゃん」という最初の感覚を思い出します。
選んだのは、とにかく単語を覚えることと、『試験に出る英文法』という一冊をやり込むこと。やり方そのものは、ごく愚直な勉強です。けれども出発点にあったのは「テストで点を取るため」ではなく、「ちゃんと英語を話せるようになりたい」という、あのホームステイで取り戻した気持ちでした。
英語の専門家もまた、かつては同じ壁の前で立ちすくんでいた。この事実は、いま逃げ腰になっている読者にとって、小さくない救いになるはずです。そして本書のまなざしの温度も、おそらくこの原体験から来ています。

知識はあるのに、なぜ口から出てこないのか
冒頭のユウは、知識がないわけではありません。それでも、いざとなると固まってしまう。ここに、日本人の英語学習者がつまずく、一番深い場所があります。
「パッと使おうと思ったときに、『こういうことが言いたい』というのがまずあります。で、そのときに『じゃあどんな文法を使えばいいんだ』となる。時制は現在形か、現在完了か、過去形か。a をつけるか、the をつけるか……。『どういうルールを当てはめれば正解なのか』っていう思考になったら、もうこれ、喋れないわけなんです」
正解か不正解か。そう考え始めた瞬間に、ことばは出てこなくなります。本来は「何を言いたいか」から始まるはずなのに、ルール選びの計算に頭を奪われてしまう。言いたい気持ちが先にあって、それを表すために文法を選ぶ——その順番が逆さまになっているのです。
ではどうすればいいのか。時吉さんが挙げるのは、再び単語の覚え方との対比です。
a dog と言えば、犬が一匹、頭にパッと浮かびます。それと同じことが、文法でも起きていなければならない。
「単語の意味と同じように、英文法の意味っていうのがパッと頭に浮かぶ状態を作っておかないと、やっぱり喋れないわけです」
文法項目を丸暗記しても使えるようにならないのは、このためです。ルールが「意味=映像」と切り離されていると、テストの答案の上では動いても、現実の会話では固まってしまう。
時吉さんが一貫して「丸暗記では使えるようにならない」と言い続けてきたのは、ここに理由があります。覚える量が足りないのではなく、覚えたものに映像がともなっていない。それが、知識はあるのに口から出てこない、という現象の正体です。
「暗記しなくていい」という話ではない
ここで、ひとつ誤解を解いておく必要があります。「丸暗記では使えない」と聞くと、「では暗記はしなくていいのか」と受け取られがちですが、時吉さんの考えは違います。
「よく誤解されるんですけど、『暗記をまったくしなくていいのか』というと、それは間違っています。意味のない丸暗記をするのを、少しでも減らそうということです。暗記は最終的にしないといけません。覚えないと使えませんから」
なくすべきなのは「暗記」そのものではなく、「意味のない丸暗記」のほうです。時吉さんは、これをスポーツの指導にたとえます。「こう動いたらこうなるよね、だからこう動いたほうが効率がいいよね」と、理由とセットで体に入れていくのと、「このときはこうする、あのときはこうする」と決まりだけを並べて「さあやってみろ」と言うのとでは、同じ反復でも、身につき方がまるで違う。
意味、つまり映像を入り口にすれば、覚えるべきことの総量は、ぐっと減ります。そして、それでも残る「どうしても覚えるしかないこと」は、意味に支えられているぶん、ずっと定着しやすくなる。
丸暗記か、感覚か、という二者択一ではありません。どちらを先に置くか、という順番の問題でした。
覚える英語から、わかる英語へ
外国人に話しかけられて、固まって逃げてしまうのは、知識が足りないからではありません。覚えた文法が、それが本来表している「映像」と切り離されているから、肝心なときに口が動かないのです。
だとすれば、必要なのは、もっとたくさん覚えることではありません。ひとつひとつのルールが「何を見ているのか」を、取り戻すこと。覚える英語から、わかる英語へ。この本の物語が主人公ユウを連れていくのは、まさにその世界です。
次回は、その旅の最初の課題——「ここはどこ?」を英語でどう言うか——から、英語という言語そのものが持つ「ものの見方」に分け入っていきます。無意味に見えたルールが、一本の線でつながっていく。その瞬間を見ていきましょう。

✎ コラム①|なぜ私たちは「丸暗記」に追いやられたのか
そもそも、なぜ英文法はこれほど「意味のないルール」として教えられてきたのでしょう。背景には、言語学そのものの歴史があります。
時吉さんによれば、「文法が意味を表す」という考え方が言語学に取り入れられたのは、1980年代中盤、認知言語学の登場以降のこと。それ以前に主流だったのは、チョムスキーが提唱した生成文法でした。生成文法では、文法は意味とある程度関係しつつも、基本的には意味から独立した「一種の計算機構」と考えられていました。「文法が意味を表す」という発想は、そこにはなかったのです。
「そうなると当然、英文法のルールっていうのは意味を表すものではないですから、とりあえず覚えなきゃいけない。その影響は、80年代ぐらいまでの英文法には特にあったと思います」
生成文法が本格的に広まったのは1960〜70年代。その影響は日本の英語教育界にも大きく及びました。「文法とは、意味とは独立した、ルールとして覚えるもの」——私たちが学校で出会った英語の手ざわりは、この時代の名残でもあるわけです。逃げ出したくなったのは、あなたのせいだけではなかった、ということでもあります。
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嫌いの正体は、ルールの裏にあるはずの「意味=映像」が語られてこなかったこと。ならば、その映像を取り戻せば、英語はまるで違って見えてくる。
次回はいよいよ、本書の旅の最初の課題から、英語という言語の「ものの見方」そのものへ。"Where am I?"——たったこのひとことに、英語の見方のすべてが詰まっています。
【時吉秀弥さん インタビュー連載】
- 第1回 英文法が嫌いなのは、あなたのせいではない——『とてつもなくおもしろい英文法の世界』著者・時吉秀弥に聞く(本記事)
- 第2回 英語は「外から自分を眺める」言語だった——Where am I? に宿る、ものの見方(※近日公開)
- 第3回 AIが翻訳してくれる時代に、なぜ英語を学ぶのか(※近日公開)
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社 代表取締役/株式会社スタディーハッカー創業者。1977年生まれ、福岡出身。2014年、メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ。以後運営に携わる。
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