6月某日、備蓄米を求めて大行列ができている様子が話題になりました。
5kgで2,000円という破格の価格設定に、開店前から長蛇の列ができる様子は、たしかに「お得感」を感じさせます。しかし、もし3時間並んで手に入れた場合、時給換算してみると決して合理的な買い物とは言えません。
なぜ私たちは、このような非合理的な行動を取ってしまうのでしょうか?
じつは、「備蓄米に並ぶなんて非効率だ」と冷静に判断できる人も、日常では同じような「損な選択」をしている可能性があります。
スマホゲームの課金、ポイント失効前の慌てた買い物、「みんなが使っている」という理由だけでのサービス契約……。これらの背景には、私たちの「非合理な意思決定」が隠されているのです。
今回は「備蓄米に並ぶ心理」を入口に、私たちの判断のクセについて、行動経済学の視点から紐解いていきます。
なぜ人は「明らかに損」な選択をしてしまうのか?
5kgで2,000円の備蓄米。ニュースでは、開店前から長蛇の列ができている様子が連日放送されていました。
この光景を見て「3時間も並ぶなら、時給換算で完全に赤字では?」と疑問を感じた方も多いはずです。実際に計算してみましょう。時給1,200円で働く人が3時間を費やした場合、3,600円分の時間を使って2,000円の商品を手に入れることになります。純粋に数字だけで判断すれば、1,600円分の時間を費やした計算になるのです。
もちろん、実際に並んでいた人々には「手持ちの現金を節約したい」「今月の家計を少しでも抑えたい」といった切実な事情があったでしょう。そうした個別の合理性を否定するつもりはありません。この記事で注目したいのは、「備蓄米購入の是非」ではなく、そこに現れる「人間特有の判断パターン」です。
じつは、「備蓄米に並ぶなんて非合理的だ」と考える人も、日常では同じように「非合理的な行動」をとっていることがあります。
たとえば、年会費1万円のクレジットカードを「ポイント還元率が高いから」という理由で持ち続けているものの、年間の利用額では到底元が取れていない。期間限定セールで「50%オフ」の表示に惹かれて、本来必要のない商品を購入してしまう。これらも本質的には同じ構造です。
なぜこうしたことが起きるのでしょうか。
それは、企業が行動経済学や心理学の知見を巧みに活用したマーケティング戦略によって、私たちの判断が巧妙に誘導されているからです。
本当に合理的な判断ができているかを見直すためにも、「非合理的に見える選択の裏に、どんな仕組みがあるのか?」を知ることはとても重要です。次項では、日常に潜む「非合理的な行動」とその背景にある心理について解説していきます。
あなたもやってるかも? 日常に潜む「非合理的な行動」
プロスペクト理論——「損をしたくない」気持ちが判断を狂わせる
「課金はもうやめよう」と思いながらも、スマホゲームでついつい次のガチャを回してしまう。そんな経験はありませんか?
ここまでで3,000円使ったし、いまやめたら損な気がする……
次にSランクが出れば元が取れるんだ……!
こうした行動の背景にあるのが、「プロスペクト理論」と呼ばれる行動経済学の代表的な概念です。一般社団法人日本経営心理士協会は、プロスペクト理論を以下のように定義しています。
つまり、人は「得をする喜び」よりも「損をする痛み」を強く感じるというわけです。これにより、客観的には不利な選択であっても、「損失を避けたい」という感情が合理的判断を上回ってしまうのです。
前述のゲームの例で言えば、「それまでの課金額を無駄にしたくない」という損失回避の感情が、「このまま続けても目当てのアイテムが出る保証はなく、さらに出費がかさむリスクがある」という冷静な分析を上回ってしまうのです。
備蓄米の行列についても、家に十分な米があるにも関わらず「いま買わないと価格が上がって損をするかもしれない」という損失への恐れが、「3時間並ぶ時間コストを考えれば割に合わない」という合理的判断を覆した可能性があります。
じつはこのプロスペクト理論は、マーケティングでもよく活用されています。「これはプロスペクト理論を活用したマーケティングだな」と客観視できれば、「損をしたくない」という感情に振り回されることなく、本当に自分にとって必要かどうかを冷静に判断できるようになるでしょう。
バンドワゴン効果——「並んでいる=価値がある」と思ってしまう
TikTokやってなかったけど、周りがみんな始めたから登録しちゃった
新商品のカップ麺、どんな味かわからないけど『めちゃめちゃ売れてます!』のポップを見てつい買い物カゴへ……
こうした経験に心当たりはありませんか? これらの行動には、共通する心理的メカニズムが働いています。
私たちは「多くの人が支持しているなら、きっといいものに違いない」と無意識に判断する傾向があります。行列ができているラーメン店を見て「美味しいに違いない」と思い込んだり、口コミサイトでレビュー数の多い商品を選んだり、フォロワー数の多いSNSアカウントを信頼したり——こうした行動の背景には、「バンドワゴン効果」が働いていることがあります。
グロービス経営大学院教員の嶋田毅氏は、バンドワゴン効果を以下のように定義しています。
人は、多くの人が支持しているものを「いいもの」「正しい選択」と感じやすい傾向があるのです。
興味深いのは、この効果が特に「不確実性の高い状況」で強く働くことです。嶋田氏は「人間は、特に自分があまり自信を持てないことに関しては、多くの人の行動に従うという心理」も強く働いていると述べています。*2 たしかに、自分に十分な知識や経験がない場面では、他者の選択を参考にするのは自然な行動です。
備蓄米の行列についても、「これからどうなるかわからない」「どのくらい備蓄すれば適切なのか判断できない」といった不確実性のなかで、「多くの人が並んでいるのだから、きっと必要なことなのだろう」とバンドワゴン効果が働いた可能性があります。
バンドワゴン効果も、マーケティングでよく活用されています。
企業がこのように「自分だけ取り残されたくない」「みんなが選ぶものなら間違いない」という心理を巧妙に刺激していることを理解すれば、冷静な判断ができるようになります。
バンドワゴン効果を知っておけば、魅力的なキャッチコピーを目にしても「本当に多くの人が支持しているのか?」「仮にそうだとしても、自分にも必要とは限らない」と、一歩立ち止まって考えることができるでしょう。
認知的不協和理論——「あれで正解だったんだ」と思い込もうとする
本当は欲しくなかったのに、セールの勢いで買ってしまった。でも、ずっと使えるからお得だよね
このように、すでに終わった選択をあとから正当化しようとした経験はありませんか?
似たような例は身の回りにあふれています。高額なジム会費を払い続けながら「いつか通うようになるから」と言い訳をする。転職活動で内定を断ったあとに「あの会社は自分には合わなかった」と理由をつける——これらはすべて「認知的不協和理論」の現れです。
人は、心のなかに矛盾が生じたとき、それを解消するために自分の考えや行動をあとから調整してしまうのです。
冒頭の例でいえば、「衝動的に買ってしまった後悔」と「すでにお金を払ってしまった現実」という矛盾を調整するため、「ずっと使えるものだし、お得だろう」と無理やり自分を納得させています。これが認知的不協和理論なのです。
備蓄米に並んだ人のなかにも「朝早くから3時間も並んで疲れ果てた」という体験と「本当にそこまでする必要があったのか」という疑問の矛盾を解消するため、「いざというときの備えは大切だから正しい判断だった」と自分を納得させた人もいるかもしれません。
また、認知的不協和は、時間的・金銭的・心理的な投資が大きいほど強くなる傾向があります。法政大学大学院政策創造研究科教授の真壁昭夫氏は「意思決定に対するコミットメントが強いほど、不協和もより大きなものとなる傾向がある」と述べています。*4
「このプロジェクトには既に多額の予算を投入している」「ここまで頑張ってきたのだから、今さらやめるわけにはいかない」といった思考パターンは、まさに認知的不協和の典型例です。
重要な決断を迫られたとき、特に現状維持を選択したくなったときこそ、この理論を思い出してみてください。「本当に客観的に判断しているか?」「過去の選択を正当化するために、都合のいい理由を探していないか?」と自問することで、より合理的な判断ができるはずです。
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「なぜ、あんな非合理的な行動を?」
こんなふうに他人事だと思っていても、意外と私たちも非合理的な行動をしているものなのです。仕組みを知っておけば、一度立ち止まって、冷静な判断をすることができますよ。
*1 一般社団法人日本経営心理士協会|プロスペクト理論
*2 ダイヤモンド・オンライン|優れたマーケターは人間の無意識を活用する
*3 心理学用語集サイコタム|認知的不協和理論
*4 ハーバード・ビジネス・レビュー|【書籍拝見】行動経済学入門 失敗を認められない私たち コミットメント、認知的不協和
柴田香織
大学では心理学を専攻。常に独学で新しいことの学習にチャレンジしており、現在はIllustratorや中国語を勉強中。効率的な勉強法やノート術を日々実践しており、実際に高校3年分の日本史・世界史・地理の学び直しを1年間で完了した。自分で試して検証する実践報告記事が得意。