前回、石渡一輝さん(株式会社オンライズ代表取締役CEO)は、転職でつまずく原因は経験の量ではなく「現在地のズレ」にあると語りました。経験より、変わり続けられること。その言葉には、妙な実感がこもっていました。
それもそのはずで、石渡さん自身、20歳になるまで、自分で何かを選んだことが一度もなかったといいます。
進路も、住む場所も、休み時間の過ごし方さえ、自分では決められなかった。そんな人が、なぜ「人は誰でも変われる」と言い切れるのか。
第2回は、その言葉の出どころへ降りていきます。
構成・取材・写真/STUDY HACKER編集部
【プロフィール】
石渡 一輝(いしわた かずき)
埼玉県秩父市出身。株式会社オンライズ代表取締役。高校卒業後、医療機関の事務職に就き6年間勤務。その後、通信業界で訪問営業を2年経験し、IT・Web領域へ転身。DMM.com Groupではwebマーケティング領域とエンジニア領域におけるキャリア支援、新規事業の立ち上げなどに携わる。人材紹介部門の責任者としてチームを牽引し、社内アワードも多数受賞。2021年4月に株式会社オンライズを創業。現在は若手特化の転職支援とキャリアコーチングを手がけている。
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道端の雑草が、夕飯のおかずだった
石渡さんの実家は、もともと牧場でした。乳牛が30頭、ポニーやウサギ、モルモット、孔雀までいて、母親が切り盛りするレストランも併設されていた。埼玉県・秩父の、にぎやかな牧場です。
その暮らしが、9歳のころに一変します。
「急にお金がなくなって。あとから知ったんですが、借金が一億円くらいあったんです」
そこから20歳すぎまでの10年あまり、石渡さんの家は、とても貧しかった。
古い本家の家は、灯油でしか風呂が沸かせない。その灯油が買えず、沸かせないまま水風呂に入った。電気代も止まり、朝は陽が昇るとともに起き、夜は陽が沈むとともに眠る。宿題は、ろうそくの灯りで片づけた。
母親は調理師の腕があり、食卓のおかずはいつもおいしかった。けれど、ある日の野菜炒めだけは、見たことのない葉が入っていた。
「『なんて野菜?』って聞いたら、『道端に生えてる雑草』って。スベリヒユっていう草なんですけど、いまでも覚えてます」
笑い話のように語りますが、10年続いた暮らしです。

柔道場の隅で、ひとりだけマット運動をしていた
貧しさと並んで、もうひとつ、石渡さんの少年時代を縛ったものがあります。母親が深く信仰していた、ある宗教の戒律です。
その教えには、さまざまな禁止事項がありました。たとえば、争いごとは許されない。だから中学一年の体育で、みんなが柔道場に向かうなか、石渡さんだけは隣でひとり、マット運動をしていた。
「友達に『なんで柔道やらないの?』って聞かれて。『ちょっと体調悪くて』なんて言いながら、倒立前転をしてるんです(笑)」
国歌も校歌も、歌うことを禁じられていた。崇拝にあたる、という理由です。そのため、中学の音楽の成績はずっと「1」のままでした。
進路も、自分では選べません。家にお金がないから、進学は難しい。そのうえ「親元を離れたら縁を切る」と言われていた。離れれば、目が届かなくなるからです。
だから石渡さんは、家から通える近所の病院がたまたま職員を募集していたので、そこで医療事務員として働きはじめます。
進路も、住まいも、休み時間の過ごし方も。20歳になるまで、自分の意思で決めたものは、何ひとつありませんでした。
輝いている大人が、いた
転機は、21歳のときに訪れます。
医療事務の資格を取る際に一緒に学んだ年上の女性が、バーベキューに誘ってくれた。集まったのは、石渡さんより4つ5つ年上の、秩父で働く人たち10人ほど。
彼らは、楽しそうでした。「こういうことがやりたい」「こんな趣味を始めたい」と、自分の人生の話をしていた。
「こんなに輝いてる大人がいるんだ、って。その瞬間に、『僕は、僕の人生を歩まなきゃいけない』って、すごく強く思ったんです」
家に帰り、石渡さんは母親に告げます。もう20歳を超えた、僕は僕の人生を歩みたい、と。そうして信仰の戒律を抜け、人とのつながりを広げ、やがて都内へ出る決断にたどり着きます。
初めて、自分で自分の進む先を選んだ瞬間でした。

何も持っていないから、動けた
そこからの石渡さんは、立ち止まりません。
医療事務員として働くうちに、「30歳までに会社を作りたい」という思いが芽生える。社長になるなら、まず商売の基礎である営業だろう——そう考えて、わざわざ「一番きつい」と言われる通信会社の飛び込み営業に飛び込みます。来る日も来る日もインターホンを押し、怒鳴られ、上司と謝りに回る日々です。
転機になったのは、同い年の仲間との集まりでした。いい大学を出て有名企業に入った友人が、「仕事がおもしろくない」とこぼした。叩き上げで働いてきた石渡さんには、その言葉が衝撃だった。
「いい大学を出ていい会社に入っても、その人が幸せかどうかとは、イコールじゃないんだって。そのとき気づいたんです」
人のキャリアを支える仕事がしたい。そう決めて飛び込んだのが、未経験者を短期間でエンジニアへと育てるスクール、DMM WEBCAMP(DMM.comグループ)の人材事業でした。「3年で独立するつもりですが、それまで誰よりも働きます」と言い切って入社します。
入社して十か月でリーダーになり、新規事業の立ち上げも任された。武器は、特別な経歴ではありません。わからないことは恥を捨てて聞きまくり、試し、直す。その回転の速さだけでした。
異なる業界・職種を渡り歩いてきたこの軌跡を、石渡さんはこう振り返ります。
「何も持っていなくても、これからの行動次第で、人生はどうにでも変えていける。本気でそう思っているんです」
第1回で語られた「経験より現在地」という言葉は、ここから生まれていました。経歴という持ち物を一度も頼れなかった人が、たどり着いた結論だったのです。

不快な場所に、自分から立つ
とはいえ、「人は変われる」と言われても、すぐに動ける人ばかりではありません。変わりたいのに動けない、という人に、石渡さんはどう声をかけるのでしょうか。
返ってきたのは、意外なほど身もふたもない答えでした。
「満足してるから、動けないんです。今の生活でも、不快じゃないから。不快だったら、動かざるをえないじゃないですか」
ここで思い出すのは、かつて落語界で「孤高の天才」とも呼ばれた立川談志の言葉です。
「行動とは、不快感の解消である」
人が動くのは、何かを得たいからではない。いまが不快だからだ——談志はそう見抜きました。
裏を返せば、現状に不快を感じていない人は、動かない。望んでいるのに動けないのではなく、本当はその欠落を、不快とすら思えていないのです。
孤高の天才がたどり着いたこの人間観に、石渡さんの実感は重なります。ただし石渡さんは、もう一歩だけ踏み込む。不快がないと動けないのなら、不快は自分でつくればいい、と。
具体的には、自分の周りに、あえて不快な環境を用意する。居心地のいい場所に留まっているかぎり、人は変わる理由を持てない。逆に、引き返せない場所に身を置けば、動くしかなくなる。
かつて、戒律と貧しさという「動かざるをえない場所」から抜け出した人の言葉だと思うと、重みが違います。一度は否応なく立たされた不快な場所に、今度は自分の意思で立つ。それが、変わるということなのでしょう。
胸を張れる人を、増やしたい
石渡さんが会社の理念に掲げるのは、「誰もが胸を張れる世界」という言葉です。なぜ、この言葉なのか。
「渋谷を歩いている人10人に『いまの人生に胸を張れますか』って聞いたら、何人が『はい』と言うと思います? 2人か3人じゃないか、って」
そしてもうひとつ、この言葉には、石渡さん自身の来歴が重なっています。何も選べなかった少年が、自分の意思で人生を選び始め、ここまで歩いてきた。その実感が、根っこにある。
「どんな状態からでも、本気で変わると決めたら、人生はどこからでも変えられる。それが、この言葉に込めた思いなんです」
取材の最後に、いまは胸を張れますか、と尋ねた。石渡さんは、力強く「はい」と答え、こう付け足した。
「社員のみんなの前で、僕が胸を張っていなければ」
水風呂と、道端の野菜炒め。柔道場の隅のマット運動。そこから始まった人生を知ると、「経験より現在地」も「人は変われる」も、きれいごとではなくなります。
何も持たないところから動き続けてきた人にとって、それは理屈ではなく、自分の歩いてきた道そのものなのですから。

【オンライズ 石渡一輝さん インタビュー連載(全2回)】
- 第1回 AI時代、転職で本当に効くのは「経験」ではない──3,000人を見たプロの結論
- 第2回 かつて何も選べなかった少年が、「行動が人を変える」と語るキャリアのプロになるまで(本記事)
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社 代表取締役/株式会社スタディーハッカー創業者。1977年生まれ、福岡出身。2014年、メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ。以後運営に携わる。
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