
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season6
Season5では、身近な事例を通じてマーケティングの原則を深掘りしました。
Season6でも引き続き、「なぜこのブランドは選ばれ続けるのか」を事例で解き明かしていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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「キーエンスの営業は怖い」——そんな話を聞いたことはないでしょうか。
実態は少し違います。創業者・滝崎武光氏はこう言っています。「飛び込みなど汗をかきながら体力を使う営業や、接待など顧客の情に訴えて買ってもらう営業がしたい人は受けないでください」。*1 キーエンスが目指すのは「一流の医者のような営業」です。
医者は患者に「何が欲しいですか?」と聞きません。症状を観察し、検査し、患者自身が気づいていない病因を特定する。キーエンスの営業もそれと同じです。工場の現場に入り込み、作業者が「面倒くさいな」と感じている瞬間を探す。その言葉にならない不満が、次の「世界初」製品の種になります。
新商品の約70%が「世界初」または「業界初」。*2 営業利益率51.9%。*3 なぜこんなことが可能なのか。今回は、キーエンスのビジネスモデルを解剖します。
営業担当者が「研究開発部門」を兼ねている
多くのメーカーでは、研究開発部門と営業部門は分離しています。開発者は製品を作り、営業はそれを売る。この構造では、顧客の生の声が開発に届くまでに時間と歪みが生じます。
キーエンスはこの構造を逆転させました。
営業担当者が顧客の工場に足を運び、現場を観察し、課題を特定する。そのデータを開発部門に直接フィードバックする——このサイクルが、「世界初」を量産する仕組みの核心です。
注目すべきは研究開発費の低さです。2021年3月期の研究開発費は売上比率わずか3%。*4 一般的な製造業と比べると驚くほど低い。しかしこれは、開発への投資が少ないのではありません。営業担当者の人件費が、実質的な研究開発費として機能しているのです。
顧客に「何が欲しいですか?」と聞いても、答えは出ません。顧客自身、自分が何を欲しいか言語化できていないからです。だからキーエンスは「行動」を観察します。何度も同じ作業を繰り返している、測定に時間がかかっている、検査漏れが頻発している——そういう「現場の淀み」の中に、潜在ニーズが眠っています。

「一社の深い悩み」を「全業界の標準品」に変える
潜在ニーズを発見したとして、次の問いがあります。「その課題は、その会社だけのものか、それとも業界全体のものか」。
キーエンスは特注品を作りません。
一社の困りごとを解決する製品を作っても、それは特定顧客向けのカスタム品になる。そうではなく、「この工場が抱えている課題は、同じ業界の他社でも起きているはずだ」と考え、より汎用性の高い標準品として設計し直す。一社の深い悩みを入口に、全業界が使える製品を作り出す——これがキーエンスの商品開発の核心です。*2
この発想の巧みさは、スケーラビリティにあります。一社向けに開発しても売上は限定的です。しかし「A社の課題」を「製造業全体の課題」として抽象化できれば、同じ開発コストで何万社もの顧客に届けられる。
「世界初・業界初」が量産される理由はここにあります。競合他社が顧客の「言葉にした要望」に応えている間、キーエンスは顧客の「言葉にならない行動」を観察し、業界横断的な課題として定式化している。だから、誰も作っていないものができ上がります。

直販・ファブレス・バリュープライシングが生む「情報の純度」
この仕組みを支える3つの構造があります。
①直販——情報の鮮度と純度を守る
代理店を介すと、顧客の生の声に「代理店のフィルター」がかかります。課題が薄められ、ニュアンスが失われ、開発に届く頃には別の情報になっている。キーエンスが直販にこだわる理由は、マージンの問題ではなく、情報の純度を保つためです。*2
②ファブレス——「何を作るか」だけを考える自由
自社工場を持つと、「この設備で作れるか」という制約が商品企画に入り込みます。ファブレスは、その制約を外します。開発・企画・営業に経営資源を集中し、製造は外部の最適な工場に委託する。調達コストは売価の約2割——残り8割が付加価値です。*4
③バリュー・ベース・プライシング——コストではなく「顧客の利益」で値付けする
多くのメーカーは「コスト+マージン」で価格を決めます。キーエンスは違います。「この製品を導入すると、顧客の工場でどれだけの利益が生まれるか」から逆算して価格を設定します。高単価でも買われる理由は、顧客が「価格」ではなく「投資対効果」を見ているからです。
| 一般的なメーカー | キーエンス | |
|---|---|---|
| 製品開発の起点 | 顧客の「要望」 | 現場の「行動の淀み」 |
| 販売チャネル | 代理店経由 | 直販(情報の純度を保つ) |
| 製造 | 自社工場 | ファブレス(外部委託) |
| 価格設定 | コスト+マージン | 顧客利益からの逆算 |
この3つが組み合わさることで、「最小の資本と人で最大の付加価値をあげる」というキーエンスの経営理念が実現します。*2
最高のマーケティングデータは、Googleの検索窓にはありません。顧客が「あー、面倒くさいな」とつぶやく現場に落ちています。顧客の言葉をうのみにせず、その行動を観察すること——キーエンスが証明したのは、そのシンプルな原則の威力です。

【本記事のまとめ】
1. 営業担当者が「実質的な研究開発部門」として機能している
研究開発費は売上比率わずか3%。その代わりに、現場に入り込む営業担当者が潜在ニーズを発掘し開発に直結させる。「顧客に聞く」のではなく「顧客の行動を観察する」ことで、顧客自身が言語化できない課題を見つける。
2. 「一社の悩み」を「業界の標準品」に変える商品開発
特注品は作らない。一社の課題を入口に、同業他社にも共通する潜在ニーズを抽象化し、汎用性の高い標準品として設計し直す。これが「世界初・業界初」が新商品の約70%を占める理由。
3. 直販・ファブレス・バリュープライシングが生む高収益構造
直販で情報の純度を保ち、ファブレスで企画開発に資源を集中し、顧客利益からの逆算で高単価を維持する。3つが連動することで営業利益率51.9%という異次元の数字を実現している。
よくある質問(FAQ)
キーエンスの「潜在ニーズ」の発掘は、どのように行われているのですか?
代理店を介さない直販体制のもと、専門知識を持った営業担当者が顧客の工場現場に直接足を運びます。そこで「何が欲しいか」を聞くのではなく、作業の流れを観察し、頻繁に繰り返されている手作業、測定に時間がかかっている工程、エラーが頻発しているポイントなど「現場の淀み」を特定します。このデータが開発部門に直接フィードバックされ、次の製品開発の起点になります。顧客が言語化できていない課題を、行動観察によって先に言語化するのがキーエンスの核心です。
「バリュー・ベース・プライシング」は、どんな業種でも使えますか?
使えます。重要なのは「自社のコスト」ではなく「顧客が得られる価値」を起点に価格を考えることです。たとえば業務効率化ツールなら「このツールで月に何時間削減できるか、その時間の価値はいくらか」から逆算します。価格を下げることなく高付加価値に見せるのではなく、そもそも提供価値を顧客の利益で測り直すことが出発点です。コスト競争に巻き込まれている場合、まず「顧客にとってこの製品・サービスの価値は何か」という問いを立て直すことが有効です。
キーエンスのビジネスモデルを中小企業が真似することはできますか?
完全な複製は難しいですが、本質的な発想は応用できます。特に「顧客の言葉より行動を観察する」「一社の課題を業界横断の標準解として設計する」というふたつは、規模に関わらず実践可能です。また直販の発想——代理店や中間業者を介さずに顧客と直接対話することで情報の鮮度を保つ——は、小規模であればあるほどやりやすい。大企業が代理店頼りになりがちな部分で、小規模事業者が優位に立てる領域でもあります。
*1|創業者・滝崎武光氏の言葉。「キーエンス徹底解剖」(note)より。「飛び込みなど汗をかきながら体力を使う営業や、接待など顧客の情に訴えて買ってもらう営業がしたい人は受けないでください」「一流の医者のような営業を目指す」
*2|キーエンス公式サイト「事業内容」。「新たに生み出す商品の約7割が世界初・業界初」「代理店を介さないグローバルダイレクトセールス」「ファブレス生産」「最小の資本と人で最大の付加価値をあげる」
*3|sellwell「キーエンスとは何の会社?」。「2024年度には営業利益率51.9%」
*4|Diamond Online「売上高営業利益率50%!キーエンスの強さ」。「研究開発費は売上比率わずか3%(2021年3月期160億円)」「調達コストは売価の約2割」
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season6
「なぜこのブランドは選ばれ続けるのか」を事例で深掘りしていきます。
- 第1回:なぜイソップの茶色いボトルは、すてきな空間に行くたびに現れるのか
- 第2回:なぜティファールは、電気ポットメーカーが気づかなかった「前提」を崩せたのか
- 第3回:なぜPlayStationは絶対王者任天堂と肩を並べるブランドになれたのか
- 第4回:なぜキーエンスは、顧客に「何が欲しいか」を聞かないのか(本記事)
- 第5回:近日公開
▶ Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで
▶ Season2(全15回)はこちら|PL翻訳術、弱者の戦略、広告評価、インタビュー技術まで▶ Season3(全20回)はこちら|現場で使える顧客心理・ブランド戦略・価格設計の本質
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岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社代表取締役/スタディーハッカー(現(株)イングリッシュカンパニー) 創業者。
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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