スマホの時代に、売上48億ドル。マウスの会社ロジクールは、机の上に何を見つけたのか【新人さんのためのマーケティング講座 Season9 vol.4】

ロジクールMX MASTER 4——台数が伸びないPC周辺機器市場で売上高48.4億ドルを達成した単価戦略とプロの仕事道具への再定義

📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season9

Season8では「機能から情緒へのドメイン再定義」を20社の事例で深掘りしました。
Season9でも引き続き、現代のマーケティングの本質を事例で解き明かしていきます。

まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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あなたの机の上にあるマウス、いくらでしたか。

10年前なら「1,000円くらいの消耗品」という答えが多かったはずです。ところが今、周りを見渡すと1万円、2万円のマウスを仕事道具として使っている人が珍しくありません。スマホ全盛でPCは売れないと言われ、「マウスは死ぬ」とまで言われ続けた10年の先に、この変化は起きています。

そのマウスとキーボードの会社、スイスのロジテック・インターナショナル(日本では商標の関係で「ロジクール」ブランド)は、2026年3月期に売上高48.4億ドル(前年比6%増)、Non-GAAP営業利益9.11億ドル(同18%増)という業績を発表しました。*1

市場が縮むと言われた場所で、なぜこの会社は成長を続けているのでしょうか。答えは「台数」ではなく「単価」と「回数」にあります。

台数が増えない市場で「単価」を上げた。マウスは「PCのおまけ」から「一日中触れる仕事道具」へ

PCの出荷台数が伸び悩めば、マウスやキーボードの販売台数も大きくは増えません。ロジクールが選んだのは、台数を追うのではなく、1台あたりの価値と価格を引き上げる道でした。

その象徴が「MXシリーズ」です。2015年に初代「MX MASTER」が登場し、2019年に「MX MASTER 3」、2022年に静音モデルの「MX MASTER 3S」、そして2025年10月には6年ぶりのフルモデルチェンジとなる「MX MASTER 4」が発売されました。ロジクール自身が「ワークパフォーマンスを最高レベルまで引き上げるフラッグシップモデル」と位置づけるこのシリーズの公式オンラインストア価格は、21,890円(税込)です。*2

1,000円の消耗品だったマウスに、なぜ2万円超を払う人が増えたのか。ここに重要なインサイトがあります。マウスとキーボードは、椅子と同じく「一日中、身体が触れ続けているモノ」だという事実です。

リモートワークが定着し、机の前で過ごす時間が長くなった現代人は、身体との接点に対する出費を惜しまなくなりました。数万円の椅子が売れるのと同じ理屈で、毎日8時間握り続ける道具への投資は「贅沢」ではなく「合理的な仕事環境の整備」に変わったのです。ロジクールはこの変化を捉え、「PCのおまけ」だったマウスを「プロの仕事道具」というカテゴリーに置き直しました。市場の台数が伸びなくても、客単価の上昇で成長できる仕組みです。

項目 従来の周辺機器メーカー ロジクール
製品の位置づけ PC本体のおまけ 一日中触れる仕事道具
成長の軸 台数を追う 単価を上げる
売り方 一人に一つ売る 同じ机に何度も売る
売った後 ハードを売って終わり ソフトで囲い込む

ロジクールのマルチブランド戦略——MX・Logicool G・Blue Microphones・Streamlabsが同じ一人の机の上を仕事・ゲーム・配信の場面ごとに獲得する設計

同じ一つの机に何度も売る。マルチブランド・マルチカテゴリの設計

ロジクールのもうひとつの強さは、「一人の顧客に一つ売って終わり」にしない構造です。

同社は仕事向けの「MX」シリーズに加え、ゲーミングの「Logicool G(海外ではLogitech G)」、マイクの「Blue Microphones」、配信ソフトの「Streamlabs」、そしてWebカメラや会議室向けのB2B機器と、ブランドとカテゴリを分けて展開しています。*1 *3

重要なのは、これらが「別々の顧客」に向けたものではないという点です。昼はMXのマウスで仕事をし、夜はLogicool Gのヘッドセットでゲームをし、週末はBlueのマイクで配信をする。同じ一人の、同じ一つの机の上を、複数のブランドで何度も獲得する設計になっています。

そしてこの10年、机の上には新しい機材の「置き場所」が生まれ続けました。リモートワークが始まればWebカメラとヘッドセットの場所が生まれ、ゲーム実況が文化になればマイクと配信機材の場所が生まれ、Web会議が日常になれば会議室にもカメラの場所が生まれる。生活の変化が起きるたびに新しい売り場が机の上に出現し、そこには必ずロジクールのどれかのブランドが用意されている。この網羅が、台数の伸びない市場での「回数」の成長を支えています。

さらに、ハードを売って終わりにしない仕掛けもあります。設定アプリ「Logi Options+」では、アプリごとのボタン割り当てやショートカットを細かくカスタマイズできます。*2 自分好みに育てた設定は、他社製品への乗り換えをためらわせる見えない壁になります。ハードにソフトを組み合わせることで、次もまた同じブランドを選ぶ理由を作っているのです。

Logi Options+による設定カスタマイズとロジクールの資産型囲い込み——ユーザーが育てた環境が乗り換えをためらわせる見えない壁になる仕組み

「市場が伸びない」と嘆く前に。単価と場面という2つの問い

ロジクールの事例が新人マーケターに投げかけるのは、次の2つの問いです。

ひとつめは「単価を上げられる文脈はないか」。市場の台数が伸びないことと、自社が成長できないことは、同じではありません。マウスが「消耗品」から「一日中身体が触れる仕事道具」に再定義された瞬間、比較対象は1,000円のマウスではなく、数万円の椅子になりました。自社の商品にも、価格の基準が変わるような「別の文脈」が眠っていないでしょうか。

ふたつめは「同じ顧客の生活の別の場面に入り込めないか」。新規顧客の獲得だけが成長の道ではありません。すでに自社を選んでくれた顧客の一日には、仕事・趣味・休息といった複数の場面があり、それぞれに財布が開く瞬間があります。ロジクールが同じ机の上を何度も獲得したように、既存顧客の別の時間帯に自社の出番を作れないでしょうか。

まずは、自社の商品が顧客の生活のどの時間・どの場面に触れているかを、紙に書き出してみてください。触れている時間が長いのに安く売っているものはないか。まだ触れていない場面はどこか。その空白こそが、台数の伸びない時代の成長余地です。

台数が伸びない市場での成長戦略——単価を上げる文脈の再定義と既存顧客の別の場面を獲得するロジクール流マーケティングの2つの問い

 

【本記事のまとめ】

1. 台数が増えない市場で「単価」を上げた。マウスを「一日中触れる仕事道具」に再定義した
PCの出荷が伸び悩むなか、ロジクールは台数ではなく1台あたりの価値と価格を引き上げた。MXシリーズ(2015年初代から2025年のMX MASTER 4まで)は実売2万円前後の「プロの仕事道具」として定着。マウスとキーボードは椅子と同じく一日中身体が触れ続けるモノであり、リモートワーク時代の人々は身体接点への出費を惜しまなくなった。この文脈の転換が、売上高48.4億ドル・営業利益9億ドル規模(Non-GAAP)という業績を支えている。

2. 同じ一つの机に何度も売る。マルチブランドとソフトの囲い込み
仕事のMX・ゲーミングのLogicool G・マイクのBlue・配信のStreamlabs・会議室向けB2B機器というマルチブランド展開は、別々の顧客ではなく「同じ一人の机の上」を複数回獲得する設計だ。リモートワーク・ゲーム実況・Web会議と生活が変わるたびに机の上に新しい機材の置き場所が生まれ、そこに必ずブランドが用意されている。設定アプリLogi Options+で育てた自分好みの環境が、乗り換えをためらわせる壁になる。

3. 「単価を上げられる文脈はないか」「同じ顧客の別の場面に入り込めないか」
市場の台数が伸びないことと自社が成長できないことは同じではない。価格の基準が変わる別の文脈を探し、既存顧客の一日の別の時間帯に自社の出番を作る。自社の商品が顧客の生活のどの時間・どの場面に触れているかを書き出すことから始めよう。

よくある質問(FAQ)

高価格化すると、安い競合製品に顧客を奪われませんか?

価格帯を分けて両方を押さえるのが実際の答えです。ロジクールは2万円前後のMXシリーズを展開する一方で、1,000円台からの手頃なマウスも売り続けています。高価格帯は「一日中使う道具に投資したい人」、低価格帯は「とりあえず動けばいい人」と、顧客の文脈ごとに選択肢を用意しているのです。重要なのは、高価格帯の存在がブランド全体の信頼を引き上げ、低価格帯の製品も「あのMXを作っている会社の製品」として選ばれやすくなるという相乗効果です。単価向上は全製品の値上げではなく、高い文脈に応える選択肢を追加することから始まります。

「同じ顧客に何度も売る」戦略は、押し売りと何が違うのですか?

顧客の生活に新しい場面が生まれたとき、そこに選択肢が用意されているかどうかの違いです。ロジクールは同じ人に同じマウスを2個売っているのではなく、仕事・ゲーム・配信・会議という異なる場面それぞれの必要に応えています。顧客側から見れば「ゲームを始めたらゲーミングブランドがあった」「配信を始めたらマイクがあった」という自然な出会いです。押し売りは顧客に必要のないものを売り込むことですが、この戦略は顧客の生活の変化を先回りして待つことです。起点を自社の売上ではなく顧客の場面の変化に置くことが、両者を分ける線になります。

ソフトによる囲い込みは、顧客に嫌がられませんか?

「囲い込まれている」と感じさせたら失敗で、「手放したくない」と感じさせたら成功です。Logi Options+の設定は、ユーザーが自分の意思で時間をかけて育てたものです。アプリごとのボタン割り当てやショートカットが自分の仕事の型になっているとき、それを捨てて他社製品に移るのは損失に感じられます。この心理はデータの人質化ではなく、使い込むほど価値が増える設計から生まれています。ポイントは、囲い込みの中身が「解約や移行への障壁」ではなく「顧客自身が積み上げた資産」になっているかどうかです。資産型の囲い込みは、顧客満足と継続の両方を高めます。

(参考)

*1: Logitech International公式IR|Logitech Announces Q4 and Full Fiscal Year 2026 Results
*2: ロジクール公式プレスリリース|ロジクール、次世代のフラッグシップマウス『MX MASTER 4』を発売
*3: Wikipedia|ロジクール

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【プロフィール】
岡 健作(おか・けんさく)

株式会社新恵社 代表取締役。
1977年生まれ、福岡県出身。同志社大学文学部英文学科卒業。2010年に株式会社恵学社(現・株式会社イングリッシュカンパニー)を創業。2014年に学習メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ、編集長を通算10年以上務める。STUDY HACKERは最大で月間500万PV、STUDY HACKERのInstagramは月間700万PV、フォロワー28万人(2026年10月7日時点)。2026年に新恵社を設立し、自社のメディアで読者と直接つながる「広報のD2C」を掲げる。著書に『勉強の戦略』(朝日新聞出版)など。
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