ベビーフードブランド『the kindest』は、大手が撤退する市場でなぜ伸び続けているのか【新人さんのためのマーケティング講座 Season9 特別編】

キユーピーが撤退したベビーフード市場で高価格ブランドthe kindestが伸び続ける理由を解剖するマーケティング講座

📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season9

Season8では「機能から情緒へのドメイン再定義」を20社の事例で深掘りしました。
Season9でも引き続き、現代のマーケティングの本質を事例で解き明かしていきます。
今回は特別編。ブランドの当事者への取材をもとに、事例の内側に入ります。

まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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2024年、日本の出生数は約68万人となり、統計開始以来はじめて70万人を割り込みました。*1 顧客が構造的に減っていく市場の代表格が、ベビーフードです。

そして2025年6月、この市場を象徴するニュースが流れました。キユーピーが、1960年から65年間続けてきた育児食事業からの撤退を発表したのです。全72品目の生産を2026年8月末で終了します。*2 SNSには惜しむ声があふれ、継続を求めるオンライン署名は1万3,000件を超えました。*3

ところが、です。そのキユーピーは撤退発表のわずか3か月前、あるベビーフードのスタートアップに5億円を出資していました。*4 出資先の名は、株式会社MiL。「the kindest(カインデスト)」というブランドを展開する会社です。1食あたりの価格は大手の定番品より明らかに高い。それでもサブスクリプションは累計190万食を超え、日本の出生数の約10%にあたる世帯を毎月会員として獲得するまでに成長しています。*5

65年やった大手が降りる市場で、なぜ後発の高価格ブランドが伸び続けているのか。今回は特別編として、MiL代表の杉岡侑也さんへの取材をもとに、この「教科書どおりに解けそうで、最後に解けなくなる」事例を解剖します。

撤退の力学は、教科書どおりに説明できる

まず、大手が撤退する側の力学を整理しましょう。ここは既習のフレームワークで解けます。

顧客数が構造的に減る市場で売上を維持するには、道は2つしかありません。単価を上げるか、シェアを奪うか。杉岡さんは市場の変化をこう振り返ります。「思っていた以上に、みんな辞めて、さらに辞めていった」。単価もシェアも動かせなかったプレーヤーから順に、市場を卒業していったわけです。

撤退した側は、これをどう説明しているのでしょうか。キユーピーのニュースリリースによると、撤退は出生数の低下が直接の原因ではないとのことです。*2 また、東洋経済オンラインなどの報道によれば、市場全体は共働き世帯の増加に支えられて拡大基調にあるなか、同社のシェアは約10%にとどまり、原材料費やエネルギーコストの高騰で採算が悪化していたといいます。*3 *6 市場の側では新しい動きも続いていて、日本経済新聞によれば、森永乳業は高品質路線で離乳食に再参入し、ハウス食品やグリコは1食600円前後の幼児食に参入しました。*7

ここまでの撤退側の整理は、各社の発表と報道をもとにした筆者の見立てです。取材で杉岡さんが他社の状況を語ったわけではありません。そのうえで構造だけ取り出すと、こうなります。

縮んでいるのは「市場」ではなく、「従来のやり方で成立する事業」のほうだった。ここまでは、教科書どおりの構造分析です。

出生数減でもベビーフード市場は拡大基調。縮んでいるのは従来の事業モデルという構造分析のイメージ

5社しかない市場は、顧客が選んだ結果ではなかった

では、MiLはこの市場をどう読んで参入したのでしょうか。杉岡さんは食品業界の出身ではありません。外から入って最初に感じたのは、この産業の特殊さだったと言います。

圧倒的な装置産業で、資金が要る。平気で100年続く会社がいて、長い時間をかけて強いアセットを築いた企業しか参入していない。ベビーフードの売上上位は、アサヒグループ食品(前身は老舗の和光堂)、キユーピー、ピジョン、雪印ビーンスタークといった顔ぶれで長く固定されてきました。*8

杉岡さんはこれを異常だと感じたそうです。アパレルもコスメも、ライフスタイルの多様化とともにブランドが多様化しているのに、なぜベビーフードだけが数社のままなのか。

「つまり、供給側の理由でそうなっている。親はその中から選んでいるだけで、親のニーズで洗練されてあの数社があるわけではないんです」

これは重要な視点です。選択肢が少ない市場を見たとき、私たちは「需要がないから供給も少ないのだ」と考えがちです。でも実際には、参入障壁という供給側の事情が選択肢を絞っているだけで、需要の側は多様化を待っているかもしれない。

MiLが変えたのは、ベビーフードの「使われ方」でした。従来のベビーフードは、外出時に「仕方ない」と使うもの、家であげるなら罪悪感を伴うものだった。そこを、日常で堂々とあげられるスペックのものとして設計し直した。杉岡さんいわく、このコンセプトは7年前の立ち上げから一度も変わっていません。

項目 従来のベビーフードの前提 the kindestの構造
使われ方 外出時に「仕方なく」使う 日常で堂々とあげられる
選択肢の数 供給側の事情で数社に固定 ライフスタイルの多様化に対応
価格の根拠 ニーズから逆算した便益設計 「こだわりたいからこの値段」
顧客との接点 売り場とプロモーション 売り込まないストーリーが口コミを生む

供給側の参入障壁で数社に固定されたベビーフード市場を「日常で堂々とあげられる」設計で変えたthe kindest

「価格は、ニーズの集合体ではない」

ここまでなら、よくできた後発参入のケーススタディです。問題はここからです。

the kindestは、五島列島の魚を使い、トマトをひとつひとつ湯むきするような、手間のかかるものづくりをしています。教科書的に考えれば、これは高価格を正当化する便益、つまりRTB(Reason to Believe)として設計されたはずです。ところが杉岡さんは、取材でこう言い切りました。子どもの発育への直接的な意味は、正直そこまで大きくない。ほぼ我々のエゴだと思ってもらってかまわない、と。

価格についても同じです。

「あの価格も、『皆さんのニーズの集合体があの価格です』ではなくて、『我々がこだわりたいからあの値段になりました』のほうが、もはや正しいとさえ思っています」

顧客ニーズから逆算して便益と価格を設計する。私たちが講座で積み上げてきた原則を、当の本人が否定しています。では、このこだわりは事業として無意味な自己満足なのでしょうか。

そうではないことが、数字に出ています。五島列島の魚の話のような、売り込みではないコンテンツの開封率が際立って高いのです。杉岡さんは「口コミには、そういった特徴的なストーリーというか、『異常さ』みたいなものがうまく機能していると、数字を見ていて思います」と話します。

機能として説明できないはずのこだわりが、開封率と口コミという計測可能な指標を動かしている。「説明できないもの」は、数字の異常値として観測されているわけです。

五島列島の魚など説明できないこだわりが開封率や口コミの異常値を生むthe kindestのブランド構造イメージ

「生きるとは何か」から逆算されたブランド

なぜこんな設計になったのか。種明かしをすると、杉岡さんは市場から発想していません。

MiLの前、杉岡さんは2社のHR企業を経営していました。効率的に働けば稼げる領域です。しかしキャリアという「点」を最大化する支援ではなく、人生を「線」で捉えたときに振り返って良かったと思えるものは何か、という問いに行き着き、取締役をすべて降りてMiLを創業します。生きるとは何か。誰にでもあるものは何か。運動、睡眠、食。そのなかで人の生活習慣を最も変える転機が、子どもが生まれる瞬間だった。だから食を選んだ、という順番です。

その問いを突き詰めた先に残ったのが、機能では説明できないものでした。息子の言い間違いが愛おしい。理由はない。20年後もあの漁港が残っていてほしい。営業利益では説明がつかない。好きだから、落ち着くから、なぜかこだわってしまうから。論理を尽くした先に、論理ではないものが残り、それがブランドの中核になっているのです。

これは、AIの時代にこそ効いてくる構造だと私は考えています。機能的価値の説明、つまり言語化とロジックは、いまやAIが瞬時に、無限に供給してくれます。つまり説明できる価値は、これから最速でコモディティ化していく。最後まで模倣されないのは、高度な論理ではなく、そもそも論理ではないもののほうです。65年の歴史とスケールメリットを持つ大手が降り、説明不能なこだわりを持つ後発が残った。この対比は、その先触れなのかもしれません。

あなたのブランドの「説明できない部分」はどこか

ここからは、自分の仕事に引き寄せて考えてみましょう。

自社の商品やサービスについて、便益を語る言葉はすでに揃っているはずです。では、便益として説明しきれないのに、なぜか自分たちがこだわってしまっている部分はどこでしょうか。会議で「それ、意味あるの?」と聞かれると答えに詰まる、でもやめる気にはなれない。そういう箇所です。

合理化の対象として真っ先に削られがちなその部分が、実は顧客の口コミや開封率のような「異常値」を生んでいないか、一度データを見直してみてください。説明できないこだわりは、コストではなく、模倣されない資産の候補です。

説明できる価値は、いずれ追いつかれる。
説明できないこだわりだけが、最後まで残る。

 

【本記事のまとめ】

1. 縮んでいるのは市場ではなく「従来のやり方」だった
出生数は70万人を割ったが、市場は共働き世帯の増加で拡大基調にあり、大手の撤退と新規参入が同時に起きている。撤退の力学は「単価を上げるか、シェアを奪うか」の二択で説明できる。縮小市場に見えても、縮んでいるのは需要ではなく既存の事業モデルであるケースがある。

2. 選択肢の少なさは、需要ではなく供給の事情だった
ベビーフードが数社しかなかったのは装置産業という参入障壁のためであり、顧客ニーズが洗練させた結果ではない。業界の外から来た目がその前提を無視し、「仕方なく使うもの」を「日常で堂々とあげられるもの」に設計し直した。このコンセプトは7年間変わっていない。

3. 説明できないこだわりが、数字の異常値を生む
五島列島の魚もトマトの湯むきも、便益として設計されたものではなく本人いわく「ほぼエゴ」。しかしその説明不能なこだわりが、売り込まないコンテンツの高開封率と口コミの熱量という計測可能な指標を動かしている。独りよがりかどうかは、顧客側の反応の異常値で見分けられる。

4. AIが言語化を無限供給する時代、説明不能なものが差になる
機能的価値の説明は最速でコモディティ化する。「生きるとは何か」から逆算された、好き、落ち着く、なぜかこだわってしまうという論理の外にあるものだけが、模倣されない中核になる。あなたのブランドの「会議で説明に詰まるが、やめる気になれない部分」を探すことから始めよう。

よくある質問(FAQ)

「説明できないこだわり」と、ただの独りよがりはどう見分ければよいですか?

顧客側の反応に「異常値」が出ているかどうかで見分けられます。the kindestの場合、売り込みではないストーリーコンテンツの開封率の高さや口コミの熱量として観測されていました。こだわりを語ったときに、開封率、滞在時間、UGCの量といった指標が他のコンテンツと明確に違う動きをするなら、それは独りよがりではなく資産です。誰の反応も動かしていないなら、まだ「翻訳」が足りないか、こだわる場所を再考する余地があります。

高価格ブランドは、価格に見合う機能的な根拠がなくても成立するのですか?

機能的な土台は必要です。the kindestも小児科医や管理栄養士と組んだ商品設計という土台の上に立っており、栄養や安全性を軽視しているわけではありません。ポイントは、価格差のすべてを機能で説明しようとしていないことです。京都への旅行に機能的価値がなくても人がお金を払うように、価値には機能で測れない領域があります。機能の土台を固めたうえで、その先の価格差を「思想への共感」が支えている構造だと理解してください。

縮小市場への参入を検討するとき、まず何を確認すべきですか?

「縮んでいるのは需要か、それとも既存プレーヤーの事業モデルか」を切り分けることです。ベビーフード市場は出生数が減る一方で、共働き世帯の増加により市場自体は拡大基調にありました。大手の撤退は需要消滅の証拠ではなく、従来のコスト構造やシェアでは採算が合わなくなった結果です。撤退のニュースが続く市場ほど、供給側の空白が生まれている可能性を疑ってみてください。

(参考)

*1: 厚生労働省「人口動態統計」に基づく報道より。2024年の出生数は前年比5.7%減の約68万人。日本経済新聞|NIKKEI COMPASS「ベビーフード・用品業界」
*2: キユーピー ニュースリリース(2025年6月12日)|育児食の生産・販売終了のお知らせ
*3: 東洋経済オンライン(2025年7月21日)|キユーピーが65年続いた育児食から撤退へ…共働き世帯増加で市場は拡大傾向でも、赤字が続いた理由とは?
*4: 株式会社MiL プレスリリース(2025年3月10日)。キユーピーからの5億円出資により累計調達額は20億円に|株式会社MiLがキユーピー株式会社より5億円、累計総額20億円の資金調達を実施
*5: 日本ネット経済新聞(2023年1月13日)。サブスクリプション累計190万食、日本の出生数の約10%を会員として毎月獲得|ライフスタイルブランド「the kindest」のMiL、5.5億円を調達 累計調達額は15億円に
*6: coki(2025年6月25日)。市場シェア約10%、撤退は「出生数の低下が直接の原因ではない」との説明|キユーピー離乳食終了が映す共働き家庭の現実 市販ベビーフードの課題とは
*7: 日本経済新聞(2026年7月3日)|離乳食「卒業後」に照準 ハウスやグリコ参入、共働き増加でタイパ需要
*8: 日本経済新聞|NIKKEI COMPASS「ベビーフード・用品業界」

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【プロフィール】
岡 健作(おか・けんさく)

株式会社新恵社代表取締役/スタディーハッカー(現(株)イングリッシュカンパニー) 創業者。
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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