カプセルの特許は2012年に切れている。それでも、ネスプレッソの商売は崩れなかった【新人さんのためのマーケティング講座 Season9 vol.12】

ネスプレッソが入口のマシンを広く開放し出口のカプセルを直販で握る40年続くD2C収益設計の解剖

📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season9

Season8では「機能から情緒へのドメイン再定義」を20社の事例で深掘りしました。
Season9でも引き続き、現代のマーケティングの本質を事例で解き明かしていきます。

まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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朝、まだ頭が起きていない時間。マシンにカプセルを入れてボタンを押すと、豆を挽く手間も、お湯の温度を測る手間もなく、クレマをまとった一杯ができあがります。

もともとエスプレッソは、粉の量、湯温、圧力、抽出時間を操る熟練バリスタの技術が必要な飲み物でした。それを誰の家庭にも持ち込んだのが、ネスレの社員だったエリック・ファーブル氏が考案したカプセル方式です。*10

1986年、当時のネスレ社員5人がネスプレッソ社を設立し、世界初のカプセル式コーヒーシステムをスイス、日本、イタリアのオフィス向けに発売しました。*1 2026年、ネスプレッソは40周年を迎えています。*2

ここで、ひとつ不思議なことがあります。ネスプレッソのマシンは、家電量販店でもECサイトでも普通に買えます。*8

ところが継続的に買い続けるカプセルは、直営ブティック、公式サイト、アプリ、フリーダイヤルといった自社の窓口を通じて販売されています。*5 スーパーやコンビニの棚には並ばず、売り手は常にネスプレッソ自身です。入口のマシンは誰にでも開き、出口のカプセルは自社で握る。この40年続く設計を解剖します。

入口は開き、出口は握る

最初の鍵は、収益の作り方とチャネルの分け方にあります。

ネスプレッソの収益構造は、いわゆる替え刃モデルです。本体を手頃に売り、消耗品の継続購入で収益を積み上げる型で、カミソリのジレットが原型とされます。

カプセルは、最も手頃なもので1杯あたり約103円。*6 仮に1日2杯を飲む家庭なら、カプセル代は年間で7万円あまり。10年続けば70万円を超える計算になります。マシン本体の何倍ものお金が、買ったあとに流れ続けるわけです。

ただ、替え刃モデルだけならほかにもあります。ネスプレッソが独特なのは、その替え刃をどこで売るかの設計です。入口となるマシンは、家電量販店やECという最も広いチャネルに開放して、顧客との接点を最大化する。*8 一方、出口となるカプセルは直販に限定する。

会員組織「ネスプレッソクラブ」への登録を起点に、ブティック、ウェブサイト、フリーダイヤルで注文を受ける。2018年時点の限定商品の販売経路を見ても、全国のブティックとネスプレッソクラブのみという徹底ぶりです。*7

直販を貫くと、三つのものが手元に残ります。中間流通に渡すはずだった利幅。誰が、いつ、何を、どれだけ買ったかという顧客データ。そして、マシン登録や会員特典を通じた顧客との直接の関係です。

ネスプレッソは1996年に家庭用マシンを発売すると同時に、初のウェブサイトを開設しています。*1 D2Cという言葉が生まれる四半世紀も前から、メーカーが顧客と直接つながる仕組みを作っていたわけです。2004年に開いた日本初のブティックの場所も、家電売場ではなく高島屋大阪店でした。*1 カプセルを買いに行くことを、日用品の買い足しではなく、少し特別な体験にする置き方です。

原理はこうまとめられます。入口の広さと、出口の握りは、二者択一ではない。接点を作るチャネルと、収益と関係を積み上げるチャネルを分けて設計すれば、両立できるということです。

ネスプレッソが特許切れ後にブランド・ヴァーチュオ新技術・B Corp認証で参入障壁を三重に築き直した戦略

特許が切れた日から、参入障壁を築き直す

もうひとつの鍵は、この仕組みを守ってきた参入障壁の話です。

カプセルとマシンの仕組みは、長らく特許の束で守られていました。しかしその基本特許は、2012年から順次期限を迎えます。日本でも、カプセルの基本特許(特許第2784293号)が2012年5月に権利消滅しました。*3

この日を境に、他社がネスプレッソのマシンで使える互換カプセルを合法的に作れるようになり、実際に安価な互換品が各国の市場に流入します。替え刃モデルは、替え刃を他社に作られた瞬間に崩れます。事業の土台が揺らぐ危機でした。

ここからの対応が、この会社の面白いところです。失った特許を嘆くのではなく、性質の違う参入障壁を三つ築き直しました。

一つめは、ブランドの障壁です。ブランドアンバサダーのジョージ・クルーニー氏を起用したキャンペーンを世界で展開し、百貨店のブティックでの接客体験と合わせて、ネスプレッソを「安く済ませる道具」ではなく「少し贅沢な習慣」の側に置き続けました。*2 純正と互換品が価格で比較される土俵から、どちらが自分の生活にふさわしいかという意味の土俵へ、比較軸をずらしたわけです。

二つめは、技術の障壁です。2014年、北米市場から新システム「ヴァーチュオ」を投入しました。*1 カプセルを高速回転させる遠心力抽出法を採用し、カプセルの縁のバーコードをマシンが読み取って、湯量や湯温などの抽出設定をカプセルごとに最適化する仕組みです。*4 方式そのものを変えた新システムには、新しい特許の束が付いてきます。特許の時計を、新しい技術で巻き戻した格好です。日本でも2020年から展開が始まっています。*1

三つめは、意味の障壁です。2003年にNGOと共同でコーヒー農家を支援する調達プログラムを始め、日本では2020年に使用済みカプセルの回収を開始。回収されたカプセルは、コーヒーかすが堆肥に、アルミニウムが再生素材に生まれ変わります。*1 2022年には国際認証「B Corp」も取得しました。*9 味と価格だけでなく、生産者と環境への向き合い方まで含めて、選ばれる理由にする。互換品が真似しにくいのは、カプセルの形状よりも、こうした積み重ねのほうです。

法律の壁が消えたら、ブランド、技術、意味という別の壁を築き直す。参入障壁は一度作って終わりの防御ではなく、メンテナンスし続ける仕組みだということを、この10年余りのネスプレッソは示しています。

項目 従来のコーヒービジネスの常識 ネスプレッソの構造
売り方 豆や粉を小売店の棚で売る カプセルを直販だけで売る
顧客との関係 売った時点で関係が終わる 会員組織で関係が続く
利益の出どころ 本体や豆の一度きりの販売 消耗品の継続購入
強みの守り方 特許が切れたら価格競争へ ブランド・新技術・意味で参入障壁を築き直す

入口と出口を分けて設計し直販で顧客データと関係を握るネスプレッソ型ビジネス設計から学ぶマーケティング視点

自分の商品の、入口と出口はどこか

この連載のvol.1で、カルディを取り上げました。コーヒー豆を目当てに、お客さんが何度も店へ通いたくなる設計の話です。

ネスプレッソは、同じコーヒーで正反対のことをしています。マシンを家に置いてもらい、その後のすべての一杯を、自社の直販へ流し込む。人を店に運ぶか、売上を家から自社へ運ぶか。同じ商材でも、設計次第でビジネスの形はここまで変わります。

そのうえで、新人マーケターへの問いは二つあります。

一つめは、「自分の商品の入口と出口を、分けて考えられているか」。入口、つまり顧客との最初の接点は、どこまで広く開けているか。出口、つまり継続的な収益と顧客との関係は、誰が握っているか。もし出口を流通任せにしているなら、利幅もデータも関係も、自社には残っていないかもしれません。入口と出口を同じチャネルで考える必要はない、というのがネスプレッソの教えです。

二つめは、「自社の強みを守っている参入障壁は何か。それが崩れたときに築き直せる障壁を用意しているか」。特許、独占契約、先行者の地位。いま効いている障壁には、たいてい期限があります。崩れてから慌てるのではなく、ブランド、技術、意味といった性質の違う障壁を平時から仕込んでおく。担当商品の企画書に「この強みは何年もつか」という一行を足すだけでも、視界は変わるはずです。

カプセル直販と会員組織で継続収益を設計したネスプレッソ40年の構造まとめと新人マーケターへの問い

 

【本記事のまとめ】

1. 入口は開き、出口は握る
マシンは家電量販店やECという最も広いチャネルで売って接点を最大化し、継続収益源のカプセルはブティック・公式サイト・アプリ・電話という直販だけで売る。替え刃モデルにチャネルの二重設計を重ねることで、利幅・顧客データ・関係性を自社に残した。1996年の初ウェブサイト開設以来、D2Cという言葉が生まれる前からのD2Cである。

2. 特許が切れたら、参入障壁を築き直す
仕組みを守ってきた基本特許は2012年に権利消滅し、互換カプセルが合法になった。ネスプレッソはブランドの障壁(クルーニー氏の起用とブティック体験で比較軸を価格から意味へ)、技術の障壁(バーコードと遠心力抽出の新システム「ヴァーチュオ」で特許の時計を巻き戻す)、意味の障壁(カプセル回収やB Corp取得)を築き直した。参入障壁はメンテナンスし続ける仕組みである。

3. 自分の商品の、入口と出口はどこか
最初の接点はどこまで広く開けているか、継続的な収益と関係は誰が握っているか。入口と出口を同じチャネルで考える必要はない。あわせて、いま効いている参入障壁の期限と、崩れたときに築き直せる障壁を平時から点検しておこう。

よくある質問(FAQ)

替え刃モデルは、どんな商品でも使える型なのでしょうか?

前提が二つあります。一つは、本体と消耗品の間に技術的なつながりがあり、消耗品が繰り返し買われる頻度を持つこと。もう一つは、その消耗品を自社で供給し続けられることです。消耗品が汎用品なら、顧客は最も安い供給者に流れてしまいます。ネスプレッソが専用カプセルという規格を作り、特許とブランドで守り続けたのはそのためです。自社の商品に「買ったあとに繰り返し発生する支出」があるかをまず探し、それを誰が供給しているかを確かめるところから始めてみてください。

カプセルを直販に限定すると、買いにくさで顧客を逃しませんか?

短期的には、その通り機会損失が生まれます。コンビニで買えたほうが便利に決まっています。それでも直販に限定するのは、利幅・顧客データ・関係性という三つの資産が、買いやすさと引き換えにするだけの価値を持つからです。大切なのは、不便さを放置しないことです。ネスプレッソはウェブ、アプリ、電話、ブティックと直販の中の選択肢を増やし、会員向けの特典やサポートで「直販で買う理由」を積み上げてきました。直販の限定は、囲い込みではなく、直販が一番心地よい状態を作る努力とセットで成立します。

特許が切れる前に、企業は何を準備しておくべきですか?

特許の期限は出願時点で分かっている、予測可能な危機です。だからこそ、期限から逆算して代わりの参入障壁を仕込めます。ネスプレッソの例に沿えば、方向は三つあります。顧客が価格以外の理由で選び続けるブランドを育てること、次の特許の束を生む新しい技術や方式を開発しておくこと、そして品質認証や環境対応など模倣に時間のかかる取り組みを積むことです。新人のうちは特許戦略そのものに関わる機会は少ないはずですが、「この商品の強みには期限があるか」という視点で担当商品を見る習慣は、今日から持てます。

▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season9

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【プロフィール】
岡 健作(おか・けんさく)

株式会社新恵社 代表取締役。
1977年生まれ、福岡県出身。同志社大学文学部英文学科卒業。2010年に株式会社恵学社(現・株式会社イングリッシュカンパニー)を創業。2014年に学習メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ、編集長を通算10年以上務める。STUDY HACKERは最大で月間500万PV、STUDY HACKERのInstagramは月間700万PV、フォロワー28万人(2026年10月7日時点)。2026年に新恵社を設立し、自社のメディアで読者と直接つながる「広報のD2C」を掲げる。著書に『勉強の戦略』(朝日新聞出版)など。
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