人は誰もが「幸せでいたい」と願うものですが、そのためには社会のなかでの生きやすさを見出していかなければなりません。では、そこでなにが大事になってくるのでしょうか。
脳科学者の中野信子さんは、「言語スキル」の重要性を説きます。言語スキルが高ければ、社会的生物である “人” がもっとも悩む、人間関係においての問題を多く改善できるかもしれません。そして、「言葉」は自らを守ってくれる強い武器にもなり得るそう。
構成/岩川悟(slipstream) 写真/佐藤克秋
人間関係の悩みは言語スキルで解消できる
「幸せ」な環境をつくるために、多くの人の悩みやストレスの原因となっている「人間関係」について考えてみます。
そもそも、なぜ人はこれほど人間関係に悩むのかといえば、さまざまな原因が考えられますが、やはり人は「社会的生物」だからというのがひとつの答えになるでしょう。ただ、わたしがここでみなさんにお伝えしたいのは、多くの人が人間関係の問題だとしているものは、実は「自分がいいたいことをうまく表現できない」ことに原因の多くがあるということ。
このときの「自分がいいたいこと」というのは、別に人生の目的といったような大層なものではありません。たとえば、自分は早く帰りたいのに上司が帰らないから居残ってしまったり、やりたくない仕事をやらされて手柄はいつも取られたりするようなときに、適切なタイミングで効果的な意見を伝えられない場合のことをいいます。
「どうしてわたしにばかり難しい案件を振るのですか?」
「手柄はいつも先輩のものですよね」
そんなひとことがいえなかったり、不満を表明できなかったりするわけですね。このように、ちょっとしたことでも、ダイレクトに伝えると状況がより難しくなることもあるし、かといって我慢していればストレスは溜まるばかり。つまり、ときと場所に応じた言語スキルをうまく使いこなせないために、割を食っていることがとても多いのです。
でも、逆にいえば、話がうまくなくても人間関係の機微に通じていなくても、言語スキルを高めることで人間関係を改善することはできる。別にあなたの性格が悪いわけでも、コミュニケーション能力が低いわけでもなく、ただ日本語の能力不足や学習不足の問題だということなのです。
その意味では、社会人として生きていくには「国語力」が極めて重要といっていいでしょう。よく英語の必要性が叫ばれますが、たとえどれだけ英単語や英文法を覚えても、言語スキルがなければ適切な主張も相手を思いやることもできず、外国人とまともなコミュニケーションは取れません。
それよりも、わたしは「自分がいいたいこと」を的確に伝えるために、まずは母国語である日本語の運用方法や、とっさの身のかわし方などをもっと覚えるべきだと思います。たとえば、相手に侮辱されたときにどう切り返すのか。どのように相手の論理の穴を見つけて突くのか。
不本意な攻撃を受けたときに、うまいかわし方や逃げ方とともに、こちらからカウンターを出すやり方も押さえておく。
そんな武器としての言語スキルを磨くべきなのです。
言語スキルはテレビで学べる
言語スキルといっても、なにも難しく考える必要はありません。いまからそんな「国語力」を伸ばすなら、たとえば、テレビで活躍している芸人さんやコメンテーターの真似をしてみることをおすすめします。
テレビには、会話の切り返しがもの凄くうまかったり、きらりと光るような言葉を使ったりする司会者やタレントさん、芸人さんがたくさん出ています。これらを丹念に分析し真似してトレーニングをしてみることは、かなり役に立つはずです。
「あの人なら、こんなときどういうだろう?」
そんな想像をするだけでも、ふだん何気なく使っている言葉への意識が高まり、人間関係の問題を回避できるヒントが得られるかもしれません。
日本の学校では、書き言葉についてはかなり学びますが、音声言語のトレーニングはあまり行われません。いま教育現場では、ようやくそれを改善していこうとする動きも出てきていますが、日本人がディスカッションを苦手とするのは、そもそも若いころからトレーニングをしていないからです。
日本の討論番組は、ときにただの口喧嘩になっていることも多く、もっとしっかりした議論が観られる環境があればと願うばかりです。ただ、日常生活や仕事において、ちょっと降りかかった火の粉を払う程度の場面であれば、バラエティ番組からでも十分学べると考えます。
たとえば、タレントの指原莉乃さんはやっぱり言語の運用能力が高いなとお見かけするたびに思います。ファンとの交際騒動があったときに、ある先輩タレントさんから「好みのタイプは?」と聞かれて彼女はなんと答えたでしょうか。ふつうの人なら返答に困ってしまうと思うのですが、指原さんはすかさず、
「秘密を守る人」
と答えたのです。
それを聞いたとき、わたしは「この人は本当に凄い!」と鳥肌が立ちました。そして、どちらかといえば崖っぷちの状態にあると思われていたその状況をあっという間に覆し、瞬く間にトップクラスの人気スターになっていったのです。彼女がそうできたのは、ただ頭がいいというだけではなく、ただ可愛いというだけでもなく、言語の非凡な運用能力があったからだとわたしは考えています。
切り返しの鋭さとともに、ユーモアも素晴らしい武器になります。相手の警戒心を解き、まわりに信用してもらえることで、たとえ悪感情を持たれていても一瞬で逆転させることができるのです。
お笑いタレントの東野幸治さんや有吉弘行さんも、とても言語の運用能力が高い人たちですよね。彼らを見ていて感じるのは、人がどのように振る舞っているか、感じているか、考えているかを、怖いほど冷静に観察していること。
自分の意見にこだわるより、相手をじっくり観察し、鋭くいじったりネタにしたりする能力は図抜けています。もちろん、日本でも有数の能力のある人たちですから、彼らを簡単に真似することはできないでしょう。ただ、その一部だけでも、たとえば相手の言動をじっくり観察することからはじめてみるなどして、少しずつ真似をしていくことはできます。テレビで面白いといわれている人たちは、才能やセンスといった言葉で片づけられがちですが、みんな鋭い「観察力」と、それを表現するための豊富な「ボキャブラリー」の持ち主ばかりです。
このように、テレビ番組は、会話での切り返し方やとっさのひとことが本当に上手な人がたくさん出演している素晴らしい教科書なのです。しかも、テレビさえあれば民放の地上波なら無料で観ることができます。そんな人たちをロールモデルにして、「いいとこ取り」をしていけば、おのずと言語スキルも磨かれていくのではないでしょうか。
言葉があなたの幸せを守る
「そうはいっても、実際に相手を前にするとなかなか言葉が出てこない……」
そんな人もいるかもしれませんね。
でも、別に討論をするわけではありませんし、変なことをいったからといってすぐに殺されるような目に遭うわけでもありません。相手の言動をじっくり観察したうえで、なにか不本意なことをいわれたときに、相手の言動そのものに対して、相手の不備や隙を指摘するだけで十分です。
「わたしも悪かったのですが、そんな言い方はないんじゃないですか?」
このように言い返すことができるだけで、「これ以上は入ってくるなよ」と、自分の限界線やテリトリーを認識してもらうことが可能になります。
たとえば、なにか相手から批判されるような言葉をかけられたとします。「そんなことをするなんて、どういう神経なの?」といわれたとしたら、「あなたもまさにいま、わたしに対してそうおっしゃることで、他人の痛みのうえに、『自分が正義の味方になる快感』を築いていますよね?」と切り返すことができます。
倫理観や正義感を振りかざして、「人を傷つけることはけしからん」とまったく自分とは関係のない問題について言及する人たちはたくさんいます。そんな人には、「逆に、あなたが『けしからん』とおっしゃることで傷つく人も世の中にたくさんいますよ」「ブーメランですよね? あなたの言葉で傷つけられたといわれたら、あなたも痛みを感じるでしょう?」という切り返しもあり得ます。
もちろん、言い回しによっては逆恨みされたり、あなたの評判が傷ついたりすることにもなりかねないので、場面によっては引くのも一手。それでも、「あなたの言葉や振る舞いによってわたしは傷ついた」ということはしっかりと伝えなければならないときがあります。
そして、もしそうした発言によって面倒な事態になるような場所なら、抜け出す選択肢だってもちろん有効です。職場や学校など、自分が多くの時間を過ごさねばならない環境においては、人間関係が良好でなければ精神的な負荷が多くなり過ぎるからです。
また、世の中には、人を攻撃しなければ相手との絆を確かめられない人もいます。そんなとき、言語スキルを高めておくことで、自分の身を守ることができ、逃げるまでの時間稼ぎをすることもできるのです。
あなたの幸せが搾取されそうになったとき、「言葉」こそがあなたを守ってくれます。そして、自分の力で人生を切り開いていくための、頼れる強い武器にもなるのです。
※今コラムは、中野信子著『引き寄せる脳 遠ざける脳 「幸せホルモン」を味方につける3つの法則』セブン&アイ出版)をアレンジしたものです。
【中野信子さん ほかの記事はこちら】
「幸せ」と感じるときに、わたしたちの脳のなかで起きていること。
幸せをつかさどる物質「オキシトシン」が出やすくなる、いい環境といい習慣のつくり方。
【プロフィール】
中野信子(なかの・のぶこ)
1975年、東京都出身。東京大学工学部卒業後、同大学院医学系研究科修了、脳神経医学博士号取得。脳科学者・医学博士・認知科学者として横浜市立大学、東日本国際大学などで教鞭を執る。脳科学や心理学の知見を生かし、マスメディアにおいても社会現象や事件に対する解説やコメント活動を行っている。レギュラー番組として、『大下容子 ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系/毎週金曜コメンテーター)、『英雄たちの選択』(NHK BSプレミアム)、『ホンマでっか! ?TV 』(フジテレビ系)。著書には、『サイコパス』、『不倫』(ともに文藝春秋)、『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館)、『シャーデンフロイデ他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎)、『メタル脳 天才は残酷な音楽を好む』(KADOKAWA)、『あの人の心を見抜く脳科学の言葉』(セブン&アイ出版)、『キレる! 脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」』(小学館)などがある。