
- 添付ファイルをつけ忘れたまま、重要なメールを送ってしまった
- リモート会議中、マイクをオフにし忘れ、私語が上司に聞こえてしまった
こうした「うっかりミス」は、誰にでも起こりうるものです。
問題は、それが繰り返されること。
注意していたつもりでも、また同じようなミスをしてしまう……というケースは少なくありません。
このような防げたはずのミスを減らすには、自分自身を責めるよりも、ミスが起きにくい環境を整えるほうが効果的です。
その有効な手法のひとつが、「ナッジ(nudge)」と呼ばれる行動科学の考え方です。
「ナッジ」とは何か? 行動を自然に変える設計
「ナッジ」とは何か?
そもそも、「ナッジ」とは何でしょうか?
ナッジとは、「人がより良い選択を自然と取れるように、行動のきっかけをそっと後押しする仕組み」を意味します。
環境省はこれを以下のように定義しています。*1
- 人々が自分自身にとってより良い選択を自発的に取れるように手助けする政策手法
- 人々が選択し、意志決定する際の環境をデザインし、それにより行動をもデザインする
さらに、ナッジのポイントは「選択の自由は残す」ことと、「経済的なインセンティブを大きく変えない」こととされています。*1
ナッジの特徴は、「選択の自由を奪わない」「報酬や罰則などの強制的な手段を用いない」点にあります。
自然に望ましい行動へと導く――それがナッジの基本姿勢です。
たとえば、社内の廊下で人同士がよくぶつかってしまう状況に対して、「右側通行の矢印」を床に貼ると、多くの人が無意識に右側を歩くようになります。
誰も強制されていませんが、自然と行動が整っていく。
このように、ナッジは「さりげなく行動を変える」ことが可能です。
なぜナッジがヒューマンエラーに効くのか?
ミスにはさまざまな種類がありますが、ミスのうち「ヒューマンエラー」は、以下のような分類がなされています。
- やり忘れ・やり間違い
- 記憶違いや勘違い
- 実行上の誤り(注意不足など)*2を参考にした
つまり、多くのミスは「うっかりしていた」「意識が向いていなかった」といった無意識下での判断ミスによって発生します。
こうしたヒューマンエラーは、「気をつけよう」という意識だけでは防ぎきれません。
だからこそ、「無意識の行動」に働きかけるナッジのような仕組みが効果を発揮します。

実践のカギ「EASTフレームワーク」
ビジネスシーンで起こる様々なミスの防止に活用できるナッジですが、「どうやって実践すればいいかわからない」という人も多いでしょう。
ナッジを効果的に設計・導入するには、「EAST(イースト)」というフレームワークを活用するのが有効です。
これはイギリス政府の行動インサイトチーム(BIT)が提唱したもので、次の4つの視点から構成されています。*3
E : Easy(簡単)メッセージを明確かつシンプルにする
A : Attractive(魅力的)人々の目に留まる・報酬や抽選
S : Social(社交)他者からの承認への依存度を利用
T : Timely(タイムリー)実施するタイミングを的確に捉える
ナッジの効果を高めるには、できるだけ簡単な行動が望ましいことがわかります。
また「経済的なインセンティブを大きく変えない」ことを先述しましたが、対象者の興味を惹くような魅力は必要です。
行動科学の専門家であるダン・ピラト氏とセクル・クラステフ氏は「目立つ画像、色彩、そしてパーソナライズされた情報」のほか、ゲーム性を盛り込むことも魅力を高めると述べています。*3
さらに周囲とのつながりも、ナッジに必要な要素です。
口コミや人気のあるものに惹かれる、周囲の目を気にする、他者と比較するといった心理を活用することで、行動を変える強い動機につながります。
そしてタイミングに関して、ピクト氏らは「人々が最も受け入れやすい時期に実施すべきだ」と言います。*3
ミスが起こる前にナッジを組み込むことでより効果的に行動を変えられるはず。
では、これを実際のビジネスシーンにどう活かせば良いのでしょうか。具体的な例を紹介します。

ビジネスシーンのナッジ例1:メールの誤送信チェック
毎日複数のやり取りをすることが多いメールは、誤った相手に送ったり添付ファイルを忘れたりと、ヒューマンエラーが起こりやすい業務です。
送信直後に「あっ、ファイルを添付し忘れた……」「宛先を間違えた」と気づいたり、焦って送ったメールに限ってミスが多発しやすかったりします。
ナッジによる改善策(EASTの活用)
Easy:署名テンプレートに「添付ファイルチェック」「宛先確認」などのチェックリストを追加し、毎回自動表示。
Attractive:チェック項目は赤や黄色で強調。項目をひとつずつ消す形式にして「タスク完了感」を演出。
Social:効果的な署名テンプレートをチーム内で共有。自然と利用率が上がる。
Timely:メール送信後、「取り消し」ポップアップを表示し、再確認を促す。
このように、メール送信前後に確認するクセが自然と身につくような仕組みをつくることで、添付忘れや宛先ミスといったヒューマンエラーを減らすことができます。

ビジネスシーンのナッジ例2:プロジェクトのタスク漏れ防止
複数の人やタスクが関係するプロジェクトでは、「誰かがやると思っていた」と作業が抜けていたり、割り振られたタスクを見落としていたりといったヒューマンエラーが考えられます。
ひとつのミスが大勢に影響して大幅な遅れにつながりかねないため、次のようなナッジで対策をはかります。
ナッジによる改善策(EASTの活用)
Easy:タスク管理ツールに「業務テンプレート」を作成し、定型プロジェクトでは流用できるようにする
Attractive:完了したタスクに「進捗バー」や「達成バッジ」を表示し、モチベーションを可視化
Social:プロジェクトの全体進捗をチームで共有。お互いの動きを確認できるようにする
Timely:期日前に自動で通知が届くよう設定。ミスが起こりやすいタイミングを先回り
これにより、「誰が、何を、いつまでにやるか」が明確になり、抜け漏れのリスクが大幅に下がります。
ミスを防ぐのは「意識」ではなく「仕組み」です。
ヒューマンエラーは、どれだけ経験を積んだ人でも避けきれない部分があります。
「注意力」に頼らず、環境や仕組みの力でミスを防ぐ視点をもつことが大切です。

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費用をかけず、強制もせず、自然に行動を変えることができる。今すぐ実践できるナッジが多くあります。
「最近、ミスが多いと感じる」「業務の精度を高めたい」と考えている方は、ぜひナッジを取り入れてみてください。
小さな工夫が、大きな違いを生むはずです。
※引用の太字は編集部が施した
*1 環境省|「ナッジ」とは?
*2 厚生労働省 職場のあんぜんサイト|ヒューマンエラー[安全衛生キーワード]
*3 THE DECISION LAB|EAST Framework
藤真唯
大学では日本古典文学を専攻。現在も古典文学や近代文学を読み勉強中。効率のよい学び方にも関心が高く、日々情報収集に努めている。ライターとしては、仕事術・コミュニケーション術に関する執筆経験が豊富。丁寧なリサーチに基づいて分かりやすく伝えることを得意とする。