
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season8
Season7では「なぜこの構造(仕組み)は崩れないのか」を20社の事例で深掘りしました。
Season8でも引き続き、現代のマーケティングの本質を事例で解き明かしていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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夜、紙屋町のオフィスビルの隙間から歓声が聞こえてくる。試合後にはユニフォーム姿の人々が本通りに溢れ、居酒屋が熱気で満たされる。
2026年の広島の中心部で起きているこの光景に、広島市民は猛烈な「懐かしさ」を覚えます。なぜならこれは、かつて街のど真ん中にあった「初代・広島市民球場」が毎夜織りなしていた、あのお祭りの夜そのものだからです。
エディオンピースウイング広島(以下、Eピース)開業後初のフルシーズンとなった2024年度、サンフレッチェ広島の売上高は前年度の約42億円から約78億円へと1.86倍に急騰しました。*1 スポーツ3部作の最終回——なぜこの「まちなかスタジアム」がこれほどの熱狂と経済効果を生んでいるのかを解剖します。
- 「新文化の教育」ではなく「記憶の発掘」——顧客のDNAに直接アクセスする
- 試合中に街に漏れ出す歓声——失われた15年と、取り戻した「広島の体温」
- 過去の「愛着のルート」を手繰り寄せる——記憶こそが最強の差別化資源だ
- よくある質問(FAQ)
「新文化の教育」ではなく「記憶の発掘」——顧客のDNAに直接アクセスする
マーケティングで最もコストがかかるのは「新しい文化や習慣をイチから顧客に教育すること」です。
サンフレッチェ広島がやったのは、その逆でした。
初代・広島市民球場は1957年に中国地方初のナイター設備を持つ球場として広島市中央公園内に開場し、2009年まで広島東洋カープの本拠地として市民に愛され続けました。*2 半世紀以上にわたって、「ナイターを見て、そのまま街へ繰り出す」という生活習慣が広島市民のDNAに刻み込まれていたのです。
Eピースが建設されたのは、その旧市民球場に隣接した同じ中央公園内の広場エリアです。*2 原爆ドームから徒歩約10分、紙屋町・八丁堀エリアから徒歩圏内という、旧市民球場とほぼ重なる立地です。
つまりサンフレッチェ広島は「新しいスポーツ文化を広島市民に教育した」のではありません。広島市民が五感で覚えていた「街中でナイターを楽しみ、そのまま街へ繰り出す心地よさ」という、すでに耕されていた記憶の土壌にスタジアムを建てたのです。*3
顧客は新しいエンタメを消費しているのではない——自分たちのアイデンティティであった「あの愛おしい日常」を取り戻し、没入している。このインサイトが、Eピース開業後の爆発的な反応を生み出しました。
| 項目 | 効率重視の郊外移転 | まちなかスタジアム(文脈の継承) |
|---|---|---|
| 立地の思想 | 土地が広く、車でアクセスしやすい郊外 | 街の歴史や人々の記憶が眠る「一等地」 |
| 顧客の体験 | 試合を「観る」ために隔離された空間へ行く | 街の日常の中に「お祭りの夜」が溶け出す |
| ブランドの強み | 最新の設備・スペックの高さ | 「この街の、あの最高の空気」という代替不可能な情緒 |
| 2026年の価値 | 便利なスポーツ施設 | 都市のDNAを次の世代へ繋ぐ「記憶のインフラ」 |

試合中に街に漏れ出す歓声——失われた15年と、取り戻した「広島の体温」
1試合あたりの推定経済効果は約11億円。*1 しかしこの数字の本当の意味は、「観客がお金を使った結果」ではありません。
旧広島市民球場があった頃、夏の夜の広島はこうだった——紙屋町を歩いていると、スタジアムの壁の向こうから歓声が漏れ聞こえてくる。時には歓喜、時には怒り。その声を聞いて「あ、何かあったんだ」と感じる。試合に来ていない人間も、その夜の広島の一部になる。ユニフォーム姿の子どもが嬉しそうに走り出てきたり、大人が悔しそうな顔で居酒屋に入っていく——それが広島の夏の原風景でした。
そのスタジアムが2009年に閉じ、カープが郊外のマツダスタジアムへ移転してから、広島の街の中心からその「漏れ出る熱」が消えました。*2 街の夜から何かが失われた。その喪失は、街に住む人々が言葉にできないまま、ずっと胸の底に溜まっていたのかもしれません。
2024年2月、エディオンピースウイング広島が同じ中央公園に開業しました。*3
再び、歓声が街に漏れ出す夜が戻ってきた——それが紙屋町・八丁堀に働くサラリーマンを立ち止まらせ、通りがかりの観光客をスタジアムの壁に近づかせ、試合を観に来ていない飲食店の常連客をも「今夜の広島」の一部にします。この「熱の伝播」が、スポンサーを引き寄せ、来場者を増やし、街全体の経済を動かします。*1
売上高78億円・グッズ前年比224%・スタジアムグルメ3倍超という数字の裏にあるのは、旧市民球場が半世紀かけて街に刻んだ「漏れ出る熱」の記憶が、ふたたび循環し始めたという事実です。

過去の「愛着のルート」を手繰り寄せる——記憶こそが最強の差別化資源だ
Season8のスポーツ3部作を振り返ると、三者の戦略はそれぞれ異なる軸で同じ原理を体現しています。
Fビレッジ(vol.13)は「コントロールできない変数(勝敗)」への依存を絶ち、体験型不動産ビジネスという新しい定義を作りました。千葉ジェッツ(vol.14)はMIXIのスマホゲームノウハウを使い、ファンを「受動的な観客」から「当事者(推し活)」へと変換しました。そしてサンフレッチェ広島は——顧客の記憶に直接アクセスするという、最も深いレイヤーでの戦略を採りました。
新しいアイデアを生み出そうと、奇をてらった企画ばかりを考えていないでしょうか。本当に顧客の心を長く動かし続けるビジネスは、顧客自身が昔から大切にしてきた「物語(ストーリー)」や「記憶」の受け皿になることかもしれません。
市民が「この街が一番輝いていた記憶」とクラブを重ね合わせる場所——それは広告でも設備でも作れません。旧市民球場が半世紀かけて積み上げた「街の記憶」という耕された土壌があって初めて成立する、代替不可能な差別化です。
2026年のマーケティングは、未来のトレンドを予測することだけではありません。過去から続く顧客の愛着のルートをそっと手繰り寄せ、現代の形に翻訳して差し出すこと——エディオンピースウイング広島の売上78億円という数字が、その証明です。

【本記事のまとめ】
1. 「新文化の教育」ではなく「記憶の発掘」——顧客のDNAに直接アクセスする
初代・広島市民球場が1957年から2009年まで半世紀かけて刻んだ「街中でナイターを楽しみそのまま街へ繰り出す」というDNAを持つ市民の土壌に、旧市民球場の隣の同じ中央公園内にEピースを建てた。顧客は新しい文化を消費しているのではなく「あの愛おしい日常」を取り戻している。これが「ゼロからの顧客教育」という最大コストを完全に無効化した。
2. 試合中に街へ漏れ出す歓声——「広島の体温」が失われた15年と、Eピースによる奪還
旧市民球場時代の「スタジアムの壁から漏れ聞こえる歓声が街の人を動かす」という原風景が2009年の閉場で失われた。街の夜から体温が消えた15年。Eピースが同じ中央公園に開業したことでその熱が再び街に漏れ出し始め、試合に来ていない人も「今夜の広島」の一部になる循環が復活した。売上高42億円→78億円・1試合11億円の経済効果はその体温の数値化だ。
3. 「過去の愛着のルートを手繰り寄せる」——記憶こそが最強の差別化資源
Fビレッジが「不動産ハック」、千葉ジェッツが「ファンダムハック」なら、サンフレッチェ広島は「記憶ハック」だ。旧市民球場が積み上げた街の記憶という代替不可能な土壌は広告でも設備でも作れない。未来のトレンドを予測するだけでなく、過去から続く顧客の愛着のルートを現代の形に翻訳して差し出すこと——これが2026年のマーケティングの極致だ。
よくある質問(FAQ)
エディオンピースウイング広島はなぜ郊外ではなく「まちなか」に建設されたのですか?
長年の議論の末に選ばれた立地です。候補地には郊外の広場や空港跡地も含まれていましたが、最終的に旧広島市民球場に隣接する中央公園広場が選ばれました。その背景には「スタジアムを試合のためだけでなく、街の賑わいの核にする」という思想があります。原爆ドームや平和記念公園に近い立地は、試合日以外にも観光客やビジネス客が行き交う場所であり、試合日には街全体が祝祭空間になります。サッカークラブと街が一体化する「まちなかスタジアム」のモデルケースとして全国から注目されています。
「コンテキスト(文脈)マーケティング」は他のビジネスでも使えますか?
使えます。重要なのは「ターゲット顧客がすでに持っている記憶・習慣・物語に乗ること」です。たとえば老舗商店街に出店する際に「新しいカフェです」と告知するより「昔ここにあった名物喫茶店の常連さんへ」と訴えるほうが集客効率が高い場合があります。地方のイベントが「昔の祭りの復活」として発信するとき、人々が反応するのも同じ原理です。新しさを訴求するより、ターゲットの「すでに耕された記憶の土壌」を発見し、そこに自分のサービスを根付かせる——この視点がコンテキスト・マーケティングの核心です。
サンフレッチェ広島はなぜ2024年度にここまで急成長できたのですか?
Eピース開業という「スタジアム元年効果」が最大の要因です。それまでサンフレッチェ広島は広島ビッグアーチ(現エディオンスタジアム広島)という郊外のスタジアムを使用していました。広い・アクセスが悪い・試合後に街に行きにくいという構造的な問題から集客に限界がありました。Eピース開業で市中心部に移転したことで、来場障壁が劇的に下がり・スタジアムグルメや周辺飲食との相乗効果が生まれ・グッズ購入意欲が高まるという三重の効果が同時に発生しました。「施設のクオリティ」だけでなく「立地という不変のアドバンテージ」が収益を変えた事例です。
*1|サッカーキング「広島、新スタジアム元年の売上高は過去最高78億円の見込み Jリーグ1試合の経済効果は推定11億円」(2024年12月20日)。2024年度クラブ売上高約78億円(前年度約42億円から1.86倍・JリーグトップレベルのTop3水準)・ホーム戦総入場者数48万6,579人(1試合平均2万5,609人・クラブ最多)・入場料収入男女合計約24億円・グッズ販売9億4,000万円(前年比224%)・スタジアムグルメ4億4,000万円(前年比3倍以上)・1試合あたり推定経済効果約11億円を確認
*2|Wikipedia「広島市民球場(初代)」。1957年7月開場・中国地方初のナイター設備設置球場・広島市中央公園内(中区基町)に立地・2009年3月31日まで広島東洋カープの本拠地・2010年8月31日閉鎖・2012年解体・旧市民球場跡地にHIROSHIMA GATE PARKが開業・エディオンピースウイング広島は隣接する同じ中央公園内の別エリアに2024年2月1日開業・原爆ドーム前電停から徒歩1分という立地を確認
*3|スポーツナビ「エディオンピースウイング広島が『日本初』である理由」(2025年7月)。「無理やり東京に例えるなら、新宿にスタジアムがあるようなもの」という立地の圧倒的な都心性・原爆ドーム前から徒歩約10分・紙屋町を中心とする広島の「街なか」に位置する日本初のまちなかサッカースタジアムという位置づけ・試合後に街の飲食店へ直接還流するファンの動線・街全体が祝祭空間になる構造・旧広島市民球場の記憶と重なる「街なかでナイターを楽しむ文化」の継承を確認
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season8
現代のマーケティングの本質を事例で深掘りしていきます。
- 第1回:「消せない・加工できない・失敗するかもしれない」——そのカメラが、なぜ世界で売れ続けるのか
- 第2回:アシックスの靴は、何も変わっていない——それなのに、なぜ世界が熱狂しているのか
- 第3回:コスメは「数ヶ月で廃盤」が常識のはずだった——リップモンスターに何が起きているのか
- 第4回:「高すぎる」という声を無視し続けるアパホテルが、3期連続最高益を叩き出す理由
- 第5回:なぜZOZOは、アパレル不況のなかで取扱高過去最高を更新し続けられるのか
- 第6回:フェイラーは何も変えていない——それなのに、なぜ若者が抽選に殺到するのか
- 第7回:「カードが使えない、まとめ買い専用」——それでも週末に駐車場が満車になるロピアの構造
- 第8回:年200店舗ペースで首都圏を包囲するまいばすけっとの、誰も真似できない方程式
- 第9回:「お行儀のいい大学広報」を捨てた近畿大学に、何が起きたのか
- 第10回:スタジオアリスはなぜ、2段階値上げをしてもなお週末の店舗が埋まり続けるのか
- 第11回:シャトレーゼはなぜ、物価高の2026年に「安くて美味しい」を維持できるのか
- 第12回:「ホームセンター」という定義を捨てたカインズに、何が起きているのか
- 第13回:営業利益193%増・累積損失一掃——エスコンフィールドが「野球場」の概念を破壊した方法
- 第14回:千葉ジェッツはなぜ、Bリーグ史上初の売上50億円を叩き出せたのか
- 第15回:広島の夜に、帰ってきた歓声。——エディオンピースウイング広島が証明した記憶のマーケティング(本記事)
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社代表取締役/スタディーハッカー(現(株)イングリッシュカンパニー) 創業者。
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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