「英語4技能をバランス良く育てよう」という文科省の方針のもと、学校現場では「聞く・話す」を重視した授業が加速しています。しかし、大学入試の仕組みや読み書き中心の伝統とのギャップから、戸惑いの声も少なくありません。
そんななか、「おうち英語」で子どもの力を自然に伸ばすことを提案する小河園子先生と、認知言語学を取り入れた英語指導を実践する時吉秀弥先生が、それぞれ新刊を上梓されました。
落語家の弟子になった経験をもつ時吉先生と、留学やALT導入に早くから取り組んできた小河先生が、いったいどのような問題意識で英語教育を捉えているのか。今回は二人の対談を通じ、これからの英語学習の可能性と課題を探ります。
異なるバックグラウンドをもつ二人の専門家
——よろしくお願いします。本日はおふたりのバックグラウンドやご経歴を踏まえて、現在の、そしてこれからの英語学習や英語教育についてお話しいただければと思います。まずは自己紹介をお願いできますでしょうか。
時吉先生:よろしくお願いします。時吉秀弥と申します。神戸市外国語大学に在籍して英文学、言語学、英語史などを学んでいました。その後1年間、アメリカのニューオーリンズに留学しました。
じつは元々落語家志望で、大学進学も芸人としての幅を出すためでした。留学を終えて帰国後、実際に落語家の弟子になりました。けれども、1年経ってうまくいかなかった。東京に出てきて、あるコントのコンビを組んでお笑いをやりながら、予備校で英語を教えるという生活でした。そのなかで、自分なりに英文法をどう捉え、教えるべきかを考えていました。
35歳を過ぎてからお笑いをやめ、予備校で教えていたときに『認知言語学入門』(ウンゲラー&シュミット著, 大修館書店)という本を渋谷の本屋で見つけて、それを見たときに「これは私が英文法について考えていた内容と同じだ」と思いました。
それから認知言語学を勉強し始めて、東京言語研究所というところに入り、そこで東京大学教授の西村先生の教えを受けながらずっと研究を続けてここまで来たという感じです。
小河先生:よろしくお願いいたします。小河園子と申します。職業としては埼玉県の公立高校で英語の教師をずっとやっておりました。そのまえは東京大学で言語学を学んでいました。
時吉先生:国広哲弥先生のもとで学んでいらしたんですよね。東大言語学研究のレジェンドです。
小河先生:ええ、それで言語学者になるという道もあったんですが、それよりもダイナミックに動き回りたかったものですから、教員の道を選びました。
海外経験は、アメリカで1年、イギリスで半年ですね。私にとっては教室はもう本当に ”フィールド” でした。
コミュニケーション重視の流れと現場の葛藤
——では早速ですが、小河先生、40年間の長年の教師経験から見て、ここ数年の英語教育の最大の変化についてどのようにお考えですか?
小河先生:コミュニケーション的な要素がだいぶ強調されて増えましたね。そのこと自体は、じつは私の望んでいた変化ではあるんです。
ただ、変化が早くて現場はやや混乱している印象はあります。やはり外国語として英語を学ぶわけですから、日本語との違いであるとか、「読む・書く」というのが実際には多いわけです。そこで「読む・書く」と「聞く・話す」の軸がやや対立しているような印象ですね。
うまい具合の寄り合わせというか、バランスがあるといいなと思うんですけれども、元々カウンターバランスというか、「読む・書く」に偏っているから、「聞く・話す」に比重がいった。しかし、そっちに軸足が偏ってしまったり、またもともとの「読む・書く」の軸足のままの方がいたり、そこに齟齬があるのかなというのを感じています。
時吉先生:学校のカリキュラムはだいぶ変わってきてはいると思うんですけれども、その一方で高校とか中学のカリキュラムは大学受験の体制から逆算してつくられているというのもまた事実ですよね。
大学の受験体制のなかにスピーキングのテストですとか、ライティングテストは徐々に採用されてきつつはあるんですけれども、でも受験体制のせいで、「話す」という部分に対する指導体系というのが、まだうまくできていないという気はします。
1980年代、ALTとの先駆的な取り組み
——小河先生は1980年代から、ALTの推進などに取り組まれてこられたと思います。どのような問題意識でそういう取り組みを始められたのでしょうか?
小河先生:私は1978年、高校2年生のときにアメリカに1年間、現地校に通うという留学をしました。
そのルーツをたどると、中学校に入る直前からラジオ英語講座を学び始めたとか、もっとさかのぼると5歳のときに英語を話す人たちに会って、さっぱりわからなくて悔しかったとか、そういう経験があるんです。私にとって、コミュニケーションをしながら学ぶというのは当然のことだと思って教員になったわけです。
ところが教員になってみると、「あれ、これは当時としてはかなり変わったスタンスだ」と気がつきました。そしてほぼ同時に、日本全体で「ALT(語学指導助手)を呼んでこよう」ということになったので、「その係をやらせてください」というところから始まりました。
ALTの担当は、当時の学校にとっては「余計な仕事」でもあるわけです。海外から来た人の銀行口座をどうするか、市役所に連れていったり住居の手配を手伝ったり、もうそれを全部背負うわけですから。
だからそれがうまくいかないと「お荷物だった」と考える学校も多かったわけですけども、私はいかんせん若かったこともあって、こんなに嬉しいことはないと。だって毎日英語の練習ができるわけです。ネイティブスピーカーと一番近くで話をできるので、それはアドバンテージだと思って取り組んできました。しかし振り返ってみると、この10年くらいですかね。今度はどんどんどんどん時代が自分を追い越していく感覚というのはありますね。
時吉先生:どんどん進むのは嬉しいんだけど大丈夫かなみたいな。
小河先生:そうですね、ちょっと早すぎるとは思います。
文法教育の本質を問い直す
——文法教育の在り方についてはいかがでしょうか。
時吉先生:日本の歴史を紐解くと、英語教育のそもそもの目的は技術書を読めるようになることでした。そのため、読解力の養成が基本にありました。
教室では、生徒が本当に英文を理解できているかを確認する手段として、日本語訳ができているかどうかを見るのが最も簡単な方法でした。つまり「英語を理解している=適切な日本語訳ができる」という図式が出来上がってしまったのです。
この考え方は文法教育にも影響を与え、現在に至るまで続いています。たとえば、現在進行形は「〜している」、現在完了形は「〜してしまった」というように、文法項目を単純な日本語訳と結びつけて教えるやり方です。これは、外国語を母語に翻訳して理解させようとする「訳読式」の最もよくない形態のひとつと言えます。
その結果、文法は単なるルールの暗記になってしまいました。「just + have + 過去分詞」という形式なら「ちょうど〜したところだ」という具合に、機械的な置き換えを教えているわけです。これでは文法が「静的」で形式的な、無味乾燥なものになってしまいます。
小学校英語の可能性と「中学の壁」
小河先生:今回、小学校で英語教育が始まって興味深いと感じるのは、小学生が理解しやすいのは「動的な世界」だということです。
小学生に対して静的な文法規則を理論的に説明しても、「それって何?」と理解が及びません。しかし、たとえば松香フォニックスの取り組みのように、「Come here」を教える時に手招きのジェスチャーと一緒に覚えることで、言葉の意味と使い方が自然に身についていきます。
最近では動画などの視覚教材も充実してきており、このように体の動きと結びつけながら、視覚的に英語を学ぶ子どもたちが着実に増えています。
時吉先生:そうですね。ラネカーという認知言語学の代表的な研究者によると、言葉は「意味と形式のペア」として捉えられます。たとえば、 "dog" という単語も「ドッグ」という音(形式)と「犬」という意味がペアになっているように。
言葉の全てが「意味と形式のペア」なわけですから、単語や熟語だけでなく、無味乾燥と思われる文法にも「意味」があるということになるのです。単語や熟語より、より抽象的ではありますが、「文法の形」もそれ自体が必ず何らかの意味と結びついているのです。
そして、その「意味」とは何かということについて、ラネカーは「コンセプチュアライゼーション(概念化)」という言葉を用いて説明しています。これは静止画のような固定的なイメージではなく、動画のような動的なイメージとして言葉の意味を捉える考え方ですね。
小河先生:学校教育における今後の課題は、小学校での体験的な学びと中学校以降の分析的な学習をいかにスムーズにつなげていくかだと考えています。いわゆる「中学の壁」は、文字での表現、正確さへのこだわり、細かな分析を急に求められるように感じるから生じるのだと思います。
従来の中学的な方法にも独自の価値はあると思います。私自身もこの方法で学んできましたし、このような分析的な学習から言葉の概念化(コンセプチュアライゼーション)に至ることも不可能ではありません。
しかし、この方法は時として、言葉の自然な習得を妨げてしまう面があります。小学生の時期から、動きやイメージと結びつけて英語を吸収できる可能性が開けてきているにもかかわらず、中学では従来型の文法学習が続いているのです。
時吉先生:そうですね。従来の文法学習の方法では、言葉が本来もっている動的なイメージ、つまり先ほど説明したコンセプチュアライゼーションを失わせてしまっています。これは非常に残念なことです。
その結果、言葉の学習が無味乾燥なものになってしまい、面白みを失ってしまっているのです。まるで法律の条文を暗記するかのように、単なるルールとして文法を覚えさせようとしている―—そんな状況が今の英語教育にはあると思います。
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予備校講師としての経験をもち認知言語学の理論研究に取り組む時吉氏と、40年にわたり公立高校で英語教育を実践してきた小河氏。
異なるバックグラウンドをもつ二人の対話からは、日本の英語教育が抱える本質的な課題が浮かび上がってきました。コミュニケーション重視への転換を進めながら、いかに効果的な文法教育を実現していくのか。次回は、英語ディベート教育の実践や、日本語と英語の関係性について、さらに掘り下げていきます。
◾️小河園子氏 × 時吉秀弥の対談紹介記事
第1回:【前編】『おうち英語』×『英語秒速アウトプットトレーニング』著者対談 |子どもから大人まで、これからの英語力をどう育むか
第2回:【後編】『おうち英語』×『英語秒速アウトプットトレーニング』著者対談 |子どもから大人まで、これからの英語力をどう育むか(近日公開)
STUDY HACKER 編集部
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