
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
Season3までは、事例を中心にマーケティングの原則を学んできました。
Season4では、Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
▶ Season 1【全14回まとめ】|▶ Season 2【全15回まとめ】|▶ Season 3【全20回まとめ】
スマホを開けば、1億曲以上の音楽が指先ひとつで流れ出す時代です。
にもかかわらず、大きなジャケットを抱え、盤を取り出し、ターンテーブルに乗せ、針を落とす。30分ごとに裏返す。客観的に見れば「不便でしかない」この行為に、いま若者たちが夢中になっています。
2024年、米国ではアナログレコードの売上が14億ドル(約2,100億円)に達し、1984年以来40年ぶりの最高額を記録しました。CDの売上5.4億ドルの2.6倍。レコードがCDを上回るのは3年連続です。*1
日本でも、2024年のアナログレコード生産額は前年比126%の78億8,700万円。1989年以来35年ぶりに70億円を超えました。*2
しかも、この復活を牽引しているのは、レコード全盛期を知らない世代です。Vinyl Alliance(世界レコード業界団体)が2,500人以上を対象に行った調査では、Z世代のレコードファンの76%が「月に1回以上」レコードを購入し、80%がターンテーブルを所有していると回答しています。*3
便利の極致にある時代に、なぜ「不便」が売れるのか。前回の無印良品、前々回のチープカシオに続く「引き算」の系譜——その最新形を読み解きましょう。
「所有」の実感と「儀式」が生む没入
ストリーミングは便利です。しかし、便利であるがゆえに失ったものがあります。それは、「自分のものだ」という実感です。
月額1,000円で何千万曲にアクセスできる。でも、サービスを解約すれば1曲も残らない。音楽を「聴いている」のではなく「借りている」感覚。これはデジタル時代特有の空虚さではないでしょうか。
レコードは真逆です。レコードショップで1枚ずつ吟味し、3,000円〜5,000円の対価を払い、物理的な重さを両手で受け取る。自宅に帰れば、盤面の埃を拭き、ターンテーブルに乗せ、針を落とす。この一連の「儀式」こそが、ストリーミングでは絶対に得られない深い没入——いわば「ディープ・リスニング」——を生み出しています。
前述のVinyl Alliance調査で、Z世代のレコードファンの50%が「デジタル生活からの休息」を購入理由に挙げ、61%が「デジタル聴取をレコードに置き換えることで精神的な健康が改善する」と回答しています。*3
効率を極めた社会において、「あえて手間をかけること」そのものが最大の贅沢になった。時間を「かける」行為が、いまや「自分らしさ」の表現手段なのです。

3つの心理メカニズム——身体性・心理的所有感・摩擦の価値
この現象を、マーケティング心理学の3つのフレームで整理してみましょう。
① 身体性(Embodiment)——五感が記憶を深くする
人間の認知は、身体を通じた経験に深く根ざしています。これを「身体化された認知(Embodied Cognition)」と呼びます。触れる、見る、匂いを嗅ぐ——五感をフルに使う体験ほど、脳に深く刻まれ、情緒的な結びつきが強くなります。*4
レコードは、まさに身体性の塊です。ジャケットの手触り、盤面の光沢、針が溝をなぞるときの微かなノイズ、そしてインナースリーブを開けたときの紙とインクの匂い。ストリーミングの「タップ1回」では、この五感のどれも起動しません。
② 心理的所有感(Psychological Ownership)——触れるから「自分のもの」になる
消費者心理学の研究では、単に物に触れるだけで、人はその対象への「所有感」と評価額を高めることが実証されています(Peck & Shu, 2009)。*5 これを「心理的所有感」といいます。
レコードは購入・保管・再生のすべてのプロセスで「手」を使います。この継続的な身体接触が、ストリーミングでは生まれない「これは私のものだ」という強い愛着を育てるのです。
③ 摩擦(フリクション)の価値——不便が「意味」を生む
マーケティングでは通常、摩擦は「排除すべきもの」とされます。決済のステップを減らし、配送を速くし、操作を簡略化する。しかしレコード復活は、この常識に真っ向から反する事例です。
ここで作用しているのは、利便性を「あえて削る」ことで、体験の希少性と意味を高めるという逆転のロジックです。前回の無印良品が「虚飾を削ることで誠実さを際立たせた」のと構造は同じ。ただし無印は「余計なもの」を削りましたが、レコードは「便利さそのもの」を削っている点で、さらに一歩踏み込んでいます。
| 心理メカニズム | レコード体験での作用 | ストリーミングとの対比 |
|---|---|---|
| 身体性 | 五感(触覚・視覚・嗅覚・聴覚)がフル稼働し、深い記憶と情緒的結びつきを形成 | タップ1回。身体的関与はほぼゼロ |
| 心理的所有感 | 購入→保管→再生の全工程で「手」を使い、「私のもの」という愛着が育つ | 解約すれば消える。「借りている」感覚 |
| 摩擦の価値 | 手間そのものが「儀式」となり、体験の希少性と意味を高める | 便利すぎて「聴き流し」になりやすい |

「手間をかけたくなるポイント」を設計せよ
さて、この話をあなた自身の仕事に引き寄せてみましょう。
あなたのサービスは、「速さ」と「安さ」だけで勝負しようとしていないでしょうか? もちろん、便利さの追求は正しい。でもレコード復活が証明しているのは、効率化は「満足」を作るが、適度な摩擦は「感動」と「思い出」を作るという事実です。
考えてみてください。Apple Storeでの「開封体験」(vol.3)、ブルーボトルコーヒーの「待つ時間」(vol.5)、そしてチープカシオの「引き算」(vol.15)——このシリーズで取り上げてきた事例の多くが、あえてどこかに「手間」や「余白」を残していました。
顧客が「わざわざ手間をかけたくなるポイント」を、あなたのサービスのどこかに設計できないか。それは商品の開封かもしれない。注文のプロセスかもしれない。使い始めの儀式かもしれない。
デジタル全盛の今だからこそ、顧客の「手」と「目」と「耳」を同時に動かす体験設計を意識してみてください。14億ドル市場がそれを証明しています。

便利は「満足」を作る。手間は「感動」と「思い出」を作る。
【本記事のまとめ】
1. ストリーミング全盛でも、アナログレコードは18年連続成長
米国では14億ドル(40年ぶり最高額)、日本でも78.9億円(35年ぶり高水準)。牽引するのはZ世代。
2. 「不便」が売れる理由は、所有の実感と儀式性にある
Z世代の50%が「デジタルからの休息」、61%が「精神的健康の改善」をレコード購入の理由に挙げている。
3. 背景にある3つの心理メカニズム
身体性(五感が記憶を深くする)、心理的所有感(触れるから「自分のもの」になる)、摩擦の価値(手間が体験の意味を高める)。
4. あなたのサービスにも「手間をかけたくなるポイント」を設計しよう
効率化は「満足」を作るが、適度な摩擦は「感動」と「思い出」を作る。顧客の手・目・耳を同時に動かす体験設計を。
よくある質問(FAQ)
レコード復活は一部のマニアだけの現象ではないですか?
数字がそれを否定しています。米国では2024年にレコードが4,400万枚売れ、CDの3,300万枚を大きく上回りました。Vinyl Allianceの調査ではZ世代のレコードファンの76%が月1回以上購入しており、80%がターンテーブルを所有。「飾るだけ」ではなく実際に聴くために買っています。ただし、ストリーミングが音楽収入全体の84%を占める事実は変わらないので、「主流に取って代わった」のではなく、「便利の対極に独自のポジションを確立した」と捉えるのが正確です。
「摩擦の価値」は、あえて不便にすればいいということですか?
やみくもに不便にするのは逆効果です。ポイントは「顧客が意味を感じる手間」と「ただのストレスになる手間」を見極めること。レコードの場合、「針を落とす儀式」は意味のある手間ですが、「入手困難で買えない」はストレスです。vol.7でチョコザップが「着替え・シャワー」を削ったのは不要な摩擦の排除でした。つまり重要なのは、摩擦の「量」ではなく「質」を設計することです。
デジタルサービスにも「身体性」を取り入れられますか?
はい。たとえばAppleの開封体験(vol.3)は、デジタル製品でありながら「箱を開ける」という身体行為に極めて高い設計コストをかけています。ウェブサービスでも、物理的なウェルカムキットの送付、手書きカードの同封、触り心地にこだわったノベルティなど、デジタル体験の「入口」や「出口」にフィジカルな接点を設けることで、心理的所有感を大きく高められます。
*1 RIAA 2024 Year-End Revenue Report(2025年3月発表)。2024年の米国レコード売上は14億ドル(1984年以来最高)、4,400万枚。CD売上5.41億ドル、3,300万枚。レコードがCDを上回るのは3年連続。ストリーミングは音楽収入全体の84%(149億ドル)。18年連続成長。
*2 日本レコード協会「2024年年間音楽ソフト生産実績」(2025年1月30日発表)。アナログディスク生産量:前年比117%の314万9,000枚、金額:同126%の78億8,700万円。1989年以来35年ぶりに70億円を超える。
*3 Vinyl Alliance "From Revival to Renaissance: How Gen Z is Redefining Vinyl in the Modern Era"(2025年1月発表)。米・英・独で2,500人以上を調査。Z世代レコードファンの76%が月1回以上購入、80%がターンテーブル所有、50%が「デジタル生活からの休息」、61%が「精神的健康の改善」を理由に挙げる。87%が高音質に関心。
*4 身体化された認知(Embodied Cognition)に関する消費者心理学研究の総説として、Krishna, A. (2024). "A review of touch research in consumer psychology." Journal of Consumer Psychology. Elder & Krishna (2012) は、視覚的な商品提示が身体的シミュレーションを誘発し、購買意欲を高めることを実証。
*5 Peck, J. & Shu, S. B. (2009). "The Effect of Mere Touch on Perceived Ownership." Journal of Consumer Research, 36(3), 434-447. 単に物に触れるだけで、対象への心理的所有感と評価額が高まることを実験的に実証。Pierce, J. L., Kostova, T., & Dirks, K. T. (2001) が心理的所有感の理論的基盤を構築。
*6 CNN Business "Gen Z's search for decorative collectibles is fueling vinyl sales"(2025年12月)。Futuresource Consulting調べ:Z世代の約60%がレコードを購入。米国のレコード小売平均価格は約33ドル、限定盤は70ドル以上。
*7 Deadline "U.S. Paid Music Subscriptions Top 100M For First Time As Vinyl Surge Continues In 2024"(2025年3月)。米国の有料音楽サブスクリプションが初めて1億件を突破。レコード売上は物理フォーマット収入の約3/4を占める。
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season4
Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。
- 第1回:なぜマクドナルドは、わざわざ「割安なセット」を用意するのか?
- 第2回:なぜ私たちは、リッツ・カールトンを「最高だった」と記憶するのか?
- 第3回:なぜAppleは、「捨てられる箱」のデザインに何百時間もかけるのか?
- 第4回:なぜディズニーは、何もない場所に「ポップコーンの匂い」を漂わせるのか?
- 第5回:なぜブルーボトルコーヒーでは、15分待たされても満足度が高いのか?
- 第6回:水に「ドクロ」を描いたら、2,000億円企業になった
- 第7回:なぜチョコザップは、ジムから「着替え」と「シャワー」を奪ったのか?
- 第8回:なぜサイゼリヤは、インフレの時代に300円のドリアを守り抜けるのか?
- 第9回:なぜワークマンは、職人向けの服を「おしゃれなキャンプウェア」に変えられたのか?
- 第10回:なぜサントリーは、おじさんのウイスキーを若者のハイボールに変えられたのか?
- 第11回:なぜメルカリは、他人の不用品を「宝物」に変えられたのか?
- 第12回:なぜくら寿司は、満腹の客に「あと1皿」を注文させることに成功したのか?
- 第13回:なぜポカリスエットの「タブーの青」は、夏の代名詞になったのか?
- 第14回:なぜ任天堂は、スペック競争を降りることで世界一になれたのか?
- 第15回:なぜ2,000円の『チープカシオ』は、時計好きに愛されるのか?
- 第16回:無印良品が『これがいい』ではなく『これでいい』を目指す理由
- 第17回:なぜストリーミング全盛時代にアナログレコードが売れ続けるのか(本記事)
- 第18回:なぜスタンレーのタンブラーは突如として売上を10倍に伸ばしたのか
- 第19回:なぜ一蘭は客を孤独にさせることで最強のブランドを築けたのか
- 第20回:なぜダイソーでは予定にないものまでカゴに入れてしまうのか
▶ Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで
▶ Season 2(全15回)はこちら|現場で成果を出すための実践スキル
▶ Season3(全20回)はこちら|現場で使える顧客心理・ブランド戦略・価格設計の本質
岡 健作(おか・けんさく)
スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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