「中世の知恵」は答えを知っていた——スマホで作業が中断される症状への2つの対処法

道に落ちているリング

カフェの片隅、あるいはオフィスのデスク。片付けなければいけない仕事があるのに、ふとスマホに手が伸びる。「ちょっとだけ」のつもりが、気づけば30分もスクロールしていた……誰もがそんな経験を持つのが現代です。

こういうことを繰り返しているうちに、サボっているわけではないのだけど、心のどこか、芯の部分がじわじわとすり減っていくような、名状しがたいスカスカな感じを覚えませんか。『ロード・オブ・ザ・リング』のビルボが感じた「引き伸ばされた感じ」のような……。

これは怠惰なんでしょうか。燃え尽き症候群なんでしょうか。それとも単なるスマホ依存なのか。この問いへのヒントは、意外にも1000年近くも前の「中世の知恵」の中にありました。

中世は「自己啓発の黄金時代」だった

中世ヨーロッパといえば、戦乱と迷信に覆われた「暗黒時代(Dark Ages)」を思い浮かべる方が多いでしょう。古代ギリシャ・ローマが築いた文化や科学が止まってしまった、後退の時代というイメージです。

でも、この「暗黒時代」という呼び名じたい、じつは後世のルネサンス期の人々が名づけたものでした。そして現代の歴史学では、もう否定的な意味では使われていません。研究が進むほどに、この時代の豊かで多面的な素顔が見えてきたからです。

なかでも意外なのが、中世は人間の心を理解することに膨大なエネルギーが注がれた時代だった、という一面です。

歴史家ピーター・ジョーンズ氏の著書『Self-Help from the Middle Ages』(未邦訳)によれば、中世の人々は現代のビジネス書さながらに、自分の心のありようを執拗にリスト化しようとしたそうです*1

💡 中世版・自己啓発リストの例

  • カテリーナ・ダ・シエナの「5種類の涙」*2……涙の種類で魂の成長の段階を解説。
  • トマス・アクィナスによる「暴食の分類」*3……理性が欲望に負けてしまうさまを5つのスタイルで定義。

※どちらも、自分の挙動から自己分析するための自己啓発ツールとして機能した。

さまざまな自己分析、啓発の書が著され、より「正しく」生きる方法がさまざまに模索された時代だったのです。

ということを知ると、この1000年、人間も大して変わっていないなと思いませんか。「自己啓発本を試しては続かない」「習慣化メソッドが三日坊主で終わる」。それもそのはず、そもそも人間はそういうものなのです。

七つの大罪は「罰のリスト」ではなく「心の地図」だった

かの有名な「七つの大罪」もまた、自己啓発ツールのひとつでした。

前掲書によると、中世においてこれは断罪のための道具ではなく、人間の思考がどこで迷走しやすいかを示す、精巧な「心の診断ツール」として機能していたといいます*4

罪を指弾するのではなく、まず識別し、受け入れること。

「あなたの姿は七つの罪でいえば、これね。誰だって、こういうことしちゃうんですよ」と、当時の説教師たちが語ったのは、断罪することではなく共感を持って受け入れることだったのです。

七つの大罪

アケディアとは? 1600年前の修道士が描いた「スマホをつい見てしまう自分」

じつは、七つの大罪は、昔は8つあったそうです。何度かの改定を経て現在のかたちになったものですが、今は失われてしまった「アケディア」という罪は、現在の「スマホを見てしまう私たち」の姿に恐ろしくピタリとハマります*5

アケディアを提唱したのは4世紀にエジプトの砂漠で暮らした修道士エヴァグリオス・ポンティコス。彼はアケディアな状態を「真昼の悪魔」と呼び、その症状をかなり具体的に書き残しました*6

📜 エヴァグリオスが記録した「真昼の悪魔」の症状

  • 何度も何度も自分の房の窓から外を見て、太陽がどれくらい動いたかを確かめずにはいられなくなる。
  • 今日という一日はまるで50時間もあるみたいだ、とそわそわする。
  • 誰か話し相手はいないかと落ち着かない。
  • もっともらしい理由をこしらえて、部屋を飛び出してしまう。

やらなきゃいけないことがあっても、ついつい「意識を別のところへ逃がそうとする」姿です。

ローマ帝国が終焉を迎えようとしていた4世紀と中世を、そのまま現代と比較することはもちろんできませんが、ふとした折にスマートフォンを無意識に何度も確認してしまう私たちと、重なって見えないでしょうか。

中世の人々に学ぶ、スマホをやめる具体的な方法

当時の人々が、アケディアにどう対処したのでしょうか。それを知れば、私たちも脱スマホができるかもしれません。

🧘 中世式・アケディア対処法

1 まず、その場にとどまる

アケディアの最大の特徴は「今いる場所から逃げ出したくなる」衝動です。だからこそ核心は、あえてその場にとどまること。

スマホでSNSを眺めるのは、修道士が房を抜け出すのと同じ、仕事の場からの離脱です。とくにリモートワークでは、席を立つ物理的な壁すらないぶん、その離脱が一瞬で完了してしまい、致命的になりやすいもの。

だからスマホに手が伸びかけても、まずはいまの作業と机の前から動かないことが第一です。

📱 現代なら▶ スマホを見たくなっても、いったんはいまの作業の前に居続ける

2 落ち着かないときは、単純な手作業を「錨」にする

とはいえ、湧いてきたそわそわを気力だけで抑え込むのは難しいもの。そこでエヴァグリオスの教えを受け継いだ修道士ヨハネス・カッシアヌスは、縄を編む、写本を書き写すといった単純な手作業こそがアケディアを鎮めると説きました*7

これは逃避ではなく、体を動かして「その場にとどまる」ための錨です。どうにも気が散るときは、あえていまの作業を止めてでも、画面を見ない単純な手作業へいったん避難し、衝動が鎮まるのを待つ。落ち着いたら、また元の仕事に戻ればいい。

その間もあなたは、SNSに飲み込まれず、まだ仕事の場にいます。

スマホはこの真逆で、終わりがなく、次々と新しい刺激で注意を外へ引っぱっていきます。同じ気晴らしでも、スマホは逃避を無限に広げ、単純な手作業は逃避を「その場・数分・画面なし」に閉じ込めてくれるのです。

📱 現代なら▶ 資料をホチキス止めする、紙のノートを整理するなど、画面を見ないフィジカルな作業を数分だけ

資料整理

✏️ 前提として=名付けること

もちろん、自分の状態を「アケディアだ」と名指しして向き合うプロセス(当時で言えば「告白」)も欠かせない要素です。

モヤモヤした感情に言葉で名前をつける行為が、理性を司る前頭前皮質を活性化させ、不安や衝動反応の中枢である扁桃体の過剰な興奮を鎮めることは、UCLAの神経科学者マシュー・リーバーマンらの研究でも示されています*8。いわゆる「感情ラベリング」です。

しかし、中世の知恵が本当に優れていたのは、「名づけ」で終わらせず、そこに「逃げずにとどまる」「手を動かす」という具体的な行動をセットにしていた点だったのではないでしょうか。

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人間は何百年も前から、より良い自分であろうと試みては失敗し、何かに時間を溶かしてきました。それ自体が、人間らしさの普遍的な条件なのかもしれません。完璧な自己管理を目指す必要はありません。まずは、自分の状態にただ気づくことから始めてみましょう。

そして、スマホをダラダラ眺めそうになったとき、あるいは集中が切れてしまったときは、1600年前の修道士たちに倣って、次の3つを試してみてください。

「名づける」「その場にとどまる」「手を動かす」

中世の人々が「名づけ」と「行動」をセットで実践していたように、私たちもまた、言葉と手の両方を使って、現代というこの荒波を乗りこなしていけるはずです。

よくある質問(FAQ)

Q. アケディアとはどういう意味ですか?
倦怠・無気力・落ち着きのなさが入り混じった状態を指す、4世紀の修道士が書き残した心の概念です。のちに七つの大罪が整理される過程で「怠惰」へと吸収され、独立した概念としては使われなくなりました。
Q. なぜスマホを無意識に何度も見てしまうのですか?
今いる場所や状況から逃れたいという衝動が原因で、中世の「アケディア」と同じ心理構造だと考えられます。
Q. アケディア(≒スマホをつい見てしまう状態)から抜け出す方法は?
状態に名前をつけ、その場にとどまり、手を動かす。中世の修道士が実践した3ステップが有効です。
Q. 七つの大罪は、もともといくつあったのですか?
もとは8つありました。6世紀に教皇グレゴリウス1世が7つに整理した際、アケディアは「悲しみ(トリスティティア)」と統合され、のちに「怠惰」と呼ばれるようになりました。

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STUDY HACKER 編集部

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