
組織を変えるには、人の意識ではなく「ルール」から変えればいい。では、役職も権限もない一人の社員に、いったいなにができるのでしょうか。「コストゼロ、リスクゼロで始められることがある」と語るのは、『組織の成果を最大化する ルールのデザイン』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を上梓した安斎勇樹さん。全3回のインタビュー第2回は、明日から職場で実践できるルールデザインの方法をひもときます。
取材・構成/STUDY HACKER編集部
【プロフィール】
安斎勇樹(あんざい・ゆうき)
株式会社MIMIGURI 代表取締役Co-CEO。東京大学大学院情報学環 客員研究員。博士(学際情報学)。東京大学工学部卒業後、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。人の創造性を活かした新しい組織・キャリア論について探究し、企業の人材育成・組織変革を支援している。著書に『問いのデザイン』(学芸出版社)、『冒険する組織のつくりかた』(テオリア)、『新 問いかけの作法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『静かな時間の使い方』(朝日新聞出版)など多数。最新刊は法律家・水野祐氏との共著『組織の成果を最大化する ルールのデザイン』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。
「してもいい」と言うだけで、職場は変わり始める
本書では、ルールを2つに分けています。行動を制限して秩序を保つ「統制のルール」と、人や組織のポテンシャルを解放する「創造のルール」です。大切なのは両者のバランスですが、第1回でお話しした軍事的な世界観のもと、実際の組織は統制のルールに大きく偏っています。
では、統制を減らすのと、創造を足すのと、どちらから着手すべきか。じつはコストゼロ、リスクゼロでできるのは、創造のルールを「足す」ことです。実態としてはやってもいいことになっているのに、なぜかされないことが、職場にはたくさんあるからです。
日本人は「してもいい」が苦手である
チラシが置いてあったとき、日本人は「ご自由にお取りください」と書いていないと取りにくい、という話があります。逆にアメリカなどでは、取ってはいけないものに「取らないでください」と書く必要がある。エビデンスとしては不確かですが、少なくとも日本人については、確かにそうだなと思うのです。
「これ、食べていいのかな」「乾杯の挨拶が終わるまで、飲んでいいのかな」。勝手にすればいいのに、私たちは「してもいい」ということへの苦手意識がすごく強いんですよね。はっきり言ってもらえないと、できないのです。
許可のルールは、コストゼロ・リスクゼロで効く
だからこそ、ダメだと誰も言っていないことを、わざわざ「してもいい」というルールにしてあげる。「育休は本当に取ってもいいですよ」と改めて指針に掲げる。「今日の会議は、疑問があったらいつでも発言していいです」と冒頭で宣言する。いつもそうだったはずのことを、わざわざ言葉にするのです。
実態としてやっても問題ないことに名前をつけるだけですから、コストはかかりません。それでいて、「何々してもよい」という許可・承認型のルールは、統制に偏った職場のバランスを取り戻すうえで確実に効きます。権限の有無にかかわらず、今日から試せる方法です。

まずは職場の「謎のルール」を全部書き出す
もうひとつ、一人でも始められる実践があります。入社したてなら問題ないのですが、一般に3年ほど経つと「組織社会化」と呼ばれる状態になり、身の周りのルールが、謎のルールも含めて当たり前になって、疑わなくなります。「こういうもんでしょう」となって、ルールとして認識すらしなくなる。ここがすごくもったいないところです。
当たり前になっているけれど、実は当たり前ではない謎のルール。それらをまずメタ認知することなくして、ルールデザインは始められません。
私が組織変革の仕事で最初にやるのは、当たり前の前提になっているルールを全部書き出すことです。メールの冒頭は必ずこう書き出す。服装のルールはこうなっている。人を呼ぶときはこの敬称を使う。どんなものでもいいので、全部書き出す。個人でやって「当たり前」を疑うトレーニングにするだけでも、十分に意味があります。
それは「こだわり」なのか、「とらわれ」なのか
チームを巻き込めるなら、さらに面白いことができます。みんなで書き出したルールを、これからも守っていくべき「こだわり」なのか、「なんでこうなってるんだろう」という「とらわれ」なのか、グラデーションに整理してみるのです。付箋に書いて、右端はこだわり、左端はとらわれとして貼っていく。
やってみると、「これが我々の品質を支えているよね」というこだわりも、「なんでこうなってるんでしょうね」という明確なとらわれも見つかります。そして面白いのは、中間のグレーゾーンが結構あることです。そこは人によって見解がずれるところでもあります。グレーゾーンについてみんながどう考えているのかを、1時間チームでディスカッションしてみるだけでも、めちゃくちゃ面白いと思います。「これって俺たちだけでも変えられるよね」という、ローカルルールで変更できる余白も見つかるはずです。
ちなみに、非合理なルールのすべてが「とらわれ」だとは限りません。たとえば野球部の、あの独特な挨拶の声の出し方。意味がないと言えばないのですが、「俺たちは野球部だ」という一体感を生んでいる面もあるでしょう。
組織のカルチャーは、そういう象徴的で非合理な儀礼によってつくられている部分が確かにあります。だからこそ、機械的に「非合理だから廃止」とするのではなく、みんなで意味を読み解くプロセスそのものに価値があるのです。

愚痴が「提案」に変わる分水嶺
ルールに物申すことは、単なる愚痴とどう違うのでしょうか。そもそも、新しいものを生み出すときには絶対に違和感が出発点にあって、それを何かを「否定する」エネルギーに変えないと物事は変わりません。否定的になること自体は悪くないのです。
問題は、その向け先です。否定のエネルギーを、特定の誰かのせい、属性のせい、資質のせいにした途端、分断が生まれ、ただの喧嘩になります。否定のエネルギーは、仕組みか、前提か、習慣か。つまり「ルーティン」に向けること。変えられないもののせいにすれば愚痴になり、変えられるものに向ければ提案になる。ここが分水嶺です。
経営と「共犯関係」になる
ただし、仕組みに向けて言っているつもりでも、単なる経営批判になってしまうことがあります。会社を知らないまま提案を通すのは、じつは難しい。結構なリサーチが必要なのです。
この本で伝えたかったのは、経営は経営で悩んでいて、物事を長いスパンで動かそうとしている、ということです。一方で多くの人は、会社全体が変わることより、自分の半径3メートルが良くなることを望んでいます。だとしたら、言い方はあれですが、経営の方針をうまく利用して、自分の職場をより良くする。経営と「共犯関係」になる感覚で考えるべきだと思うのです。
これは迎合や忖度とは違います。経営が多様性を掲げて「3年かけてこれこれをしていこう」と言っているなら、それに沿った現場の提案は無下にはできないはずです。うまくいくのは、経営の意志と現場の提案が合致しているケース。そうでなければ、現場からの起案はほとんどが撃ち落とされる運命にあります。実際、本書の第3章では、スターバックスの同性パートナーシップ制度のように、一人の従業員の声が公式ルールに育っていったプロセスを4つの段階に整理しています。
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「してもいい」の明文化、謎のルールの棚卸し、そして経営との共犯関係。権限がなくても打てる手は、思いのほかたくさんあります。最終回は、チームを率いるマネジャーの実践と、AI時代に「自分の仕事」を守り抜くマイルールについて語っていただきます。

【安斎勇樹さん ほかのインタビュー記事はこちら】
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社 代表取締役/株式会社スタディーハッカー創業者。1977年生まれ、福岡出身。2014年、メディア「STUDY HACKER」を立ち上げ。以後運営に携わる。
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