時吉秀弥が解説! 英語で「ここはどこ?」が “Where is here?” にならないわけ
みなさん、こんにちは。英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」の英語職人、時吉秀弥です。
今回からSTUDY HACKERで皆さんに英文法の知識を紹介することになりました。とてもワクワクしています。よろしくお願いします。
※この連載は2017年に実施しました
文法は「心理学」
でも、「英文法」と聞いただけでもう読むのをやめたくなった、という人もいるかもしれませんね。なぜやめたくなるのでしょう?
それは普通、文法の勉強と聞けば、弁護士が法律を覚えるように、ひたすらルールを覚えるという、無味乾燥で辛い作業を思い浮かべるからです。
でも、このブログでは肩の力を抜いて、みなさんに文法という「現象」と違った角度から遊んでいただきたいな、と思っています。このブログは「へー」という目から鱗の体験を通して、「覚える」というよりは「勝手に記憶に刻み込まれる」という効果が出るように書いています。
ところで、たった今、私は文法を「現象」だと言いました。なぜこんな言葉を使ったと思いますか?
現象という言葉を辞書で引くと、「人が感覚によってとらえることのできる一切の物事」(スーパー大辞林)と述べられています。
実は文法というのは人間の感覚が世界を感じた結果が言葉の中に反映される「現象」なのです。
文法は人間の「感覚」そのものでできているのです。文法というのはルールではなく、一種の心理学のようなものだと考えましょう。
つまり、この世界で自分の周りに起きることを、「感覚がどのように捉えているのか」。文法が表しているのはそれです。
どんな人でも、言葉に「気持ち」を乗せて喋るはずです。文法をただのルールだと考えてしまうと言葉に気持ちは乗りません。
しかし、文法が「人間の感覚」でできていることを知ると、英語の「気持ち」をわかって英語を使うことができるようになります。
日本語と英語の「世界の捉え方」
第1回目の今回は文法を通して、日本語と英語の「世界の捉え方」の違いを見てみましょうか。みなさん、道に迷った時、日本語で何て言いますか?
というのが、まぁ、結構デフォルトな表現ですよね。
さて、このすごくシンプルな日本語を英語に直してみてください。……できましたか?
と言った人、いませんでしたか? 結構いるはずです。この表現が間違いだとまでは言いません。
しかし、英語としては不自然です。なぜか?
それはこの表現が「日本語での世界の見方」を英単語にして並べただけの文であり、「英語での世界の見方」にのっとった表現ではないからです。英語では、
と言うのが普通です。日本語に直せば「私はどこ?」ですね。
これ、例えば、アメリカ人があなたに日本語で「スミマセン、ワタシハ、イマ、ドコデスカ?」と尋ねたと考えてみてください。もちろん意味が通じないことはないでしょうけれど、当然、自然な日本語表現とは思えませんよね。
逆に英語話者がWhere is here? と聞くと、日本人にとっての「ワタシハドコデスカ?」と同じくらい違和感を覚えてしまうのです。
どうも英語と日本語では世界の捉え方が違うようです。一体私たち日本語話者はどのように世界を捉え、そして英語話者は一体どのように世界を捉えているのでしょうか?
「自分をカメラにする日本語」「自分を外から眺める英語」
結論から言うと、日本語は「自分をカメラにして世界を眺める」言語です。
みなさん、テレビの画面を思い浮かべてください。その画面に映っている風景の中に、「その風景を撮影しているカメラ」は映っていますか? 映っていませんよね。
つまり日本語では、話している言葉の中に「自己の姿」が映し出されないということがよく起きるのです。
一方、まるで幽体離脱のように「自分を外から眺めながら話す」言語、それが英語なのです。
ここでもう一度、先ほどの「ここはどこ?」という日本語と “Where am I?”という英語のフレーズを眺めてみましょう。
日本語の「ここはどこ?」というフレーズには、話している本人の姿は現れず、話し手の目に映る世界、つまり「場所」だけが出現しています。
それが「ここ」という言葉になっているのです。一方で英語の “Where am I?”(私は今どこにいるのだろう?)は「もう一人の私」が外から地図上の自分を眺める感じです。
街頭に設置している地図を見てください。日本語の「現在地」の横に、英語で “You are here.”と書いてあるのを見つけることができるでしょう。
これも外から眺める英語の感覚がよく表れています。
また、この感覚がわかると「道に迷う」という日本語表現が英語では “I’m lost.”(私は失われている)となる理由も理解できます。地図やレーダースクリーンの上にいる自分の姿が、消えて失われてしまう感じです。
まだまだある英語の「幽体離脱」的表現
英語に(正確に言えばヨーロッパ系の言語に)根付くこの「外から自分を眺める」感覚は、英文法の感覚の根っこを占める大切な要素として様々な表現に顔を出してきます。例えば、英語の「〜と友達になる」という表現は、日本人にとって間違いやすい表現の一つです。
以下の文の間違いを探してみてください。
わかりましたか?
正解を紹介する前にもう一つ。以下の文の間違いを探してください。
いかがでしょう? 正解は、
You have to change a train at ... → You have to change trains at ...
です。なぜ複数形にしないといけないか、考えてみてください。
そうです。日本語では「話している自分」は画面に映り込みません。
つまり言葉から「自分」が消えてしまうことがよく起きるのです。「友達を作る」という状況で、画面に映っているのは「相手」だけであり、自分は映っていません。
この感覚のせいで日本語話者はmake a friend(=目の前にいる相手)という、英語話者にとっては不自然な表現を生み出してしまうのです。
ところが英語では相手だけではなく、自分のことも外から眺めています。画面の中で自分と相手という二人の人間が友達になるのでmake friendsとなるのです。
change trainsも同様。これから乗る電車だけではなく、今自分が乗っている電車も含めて外から眺めるのが英語です。したがってtrainsと複数形になります。
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今回は英語のいたるところに見られる、「外から眺める自分」が反映される文法現象を紹介いたしました。
文法はどの言語にも存在し、大きな一本の木のように太い根っこからたくさんの知識が枝分かれする形をとります。ですから、文法を考えるときには枝や葉っぱだけにとらわれるのではなく、それを生み出す幹や根っこの部分に目を向けてみると、すんなりと理解できることが少なくありません。
そして、文法の根っこの部分にあるのはいつでも「人間が世界をどう捉えているか」「どのような世界の捉え方をする社会の中で、その言語が育ってきたのか」ということです。そういう観点から外国語の文法を見てみると、その言語の「気持ち」を理解して習得することが可能になります。
英文法が見せる心の世界を、これからも皆さんと共に旅していきたいと思います。よろしくお付き合いください。