進行形なのに「動作の進行」を表さない!? ~ing が「近い未来」をも表すワケ
みなさんこんにちは、英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」の英語職人・時吉秀弥です。今回は、進行形が持つ様々な意味についてお話しします。
※この連載は2017年に実施しました
「現在進行形」という用語は、「現在何かの動作が進行している」ことを表す、という印象を与えます。しかし、実際には英語の現在進行形はもっと色々な意味を表すので、学習者を戸惑わせます。
例えば、
では、「明日」つまり未来のことを話しています。
では、「一時的にいい子にしている」ということを表しています。
同様に、
と言うよりも、
と言っているほうが、「一時的に横浜に住んでいる」というイメージが出ます。
また、「明日は何をされていますか?」と尋ねるとき、
よりは、進行形の
のほうが丁寧だと言われています。
これらは一見すると全く異なる現象のように思えますが、実はすべて、~ing の持つ「動作の途中」という意味から生まれるものなのです。今回は、なぜ「動作の途中」がこれらの様々な意味を生み出すのかを謎解きしていきます。
「動作の途中」がなぜ「近い未来」を表すのか?
のように、現在進行形は近い未来を表すことができます。これは特に、go、come、leave、arrive など「往来発着」を表す動詞によく起きる現象です。「『今』進行中」の進行形がなぜ近い未来を表すことができるのでしょうか?
例えば、ラーメン屋に入ったと想像してみてください。注文したラーメンが20分経っても出てきません。「まだラーメン来ないんですけど」と店主に言ったら、ハッとした顔で「あ、今作ってるんで!」って言われた、なんて経験ありませんか?
ここで考えてみましょう。「今作っている」、つまり「作っている最中だ」という発言は、「もうすぐできる」というメッセージを込めていると考えることができます。なぜなら「動作の最中」というのは、「動作の終わり、完成へと向かっているところ」と考えることができるからです。ラーメンを作っている最中ということは、ラーメンができつつあるということ。
往来発着の動詞で考えてみると、He is coming. というのは、「彼はやってくる途中の状態にあって、もうすぐ着くよ」という意味になるわけです。ですから「近い未来」です。
なら、will は「心が傾く」=「心の判断、意思決定」ということですから、「訪れるつもりだ」という「気持ちの問題」にフォーカスします。しかし、
なら、もう「visit London this summer」に向かって事態が進行中(going)というより具体的な感じです。さらに
なら、ロンドンを訪れるから、今実際にいろいろ準備している最中なんだ、というぐらいの、さらに現実味を帯びた「未来に向けて事態が進行中」感が出るわけです。
「being + 形容詞」はなぜ「一時的な様子」を表すのか
~ing は「動作の途中」という意味です。みなさん、下の図を見てください。この黒い点を見て、「途中」というイメージは持てますか?
持てませんよね。それでは以下の図ではどうでしょう?
これなら「途中」というイメージは持てたと思います。なぜかわかりますか?
点の左右にある縦の棒に注目です。「途中」を認識するには、その左右に「始まり」と「終わり」がないといけないんです。当たり前だと思うでしょう? そこがミソです。人間が潜在的に当然と考える思考パターンがここでは英文法を作っているのです。
例えば、
なら、「彼女はいい人だ」という意味です。昨日も今日も明日も変わらず続く彼女の性格です。つまり「いついい人になって(始まり)、いついい人をやめるのか(終わり)」なんて頭に浮かばない、「いつもそうだよ」という表現です。
しかしこれを、
とすれば、is being はbe動詞の現在進行形ですから、動作の途中になります。「途中」には「始まり」と「終わり」がセットでついてきますから、「さっきいい人になって、今はその最中で、もうすぐいい人であることをやめるよ」という意味が出るわけです。だから、「今だけ、一時的にいい人になっている」という意味が出るわけです。
が「私は横浜に住んでいます。」という、「いつ住み始めて、いつ住み終わるのか」ということを頭に浮かべない表現であるのに対し、
と言えば、「最近住み始めて、もうすぐ住み終わるんだよ」というイメージがセットでついてくるので、「一時的に今横浜に住んでいるんだ」という意味が出るのです。
What will you do tomorrow? よりも、What will you be doing tomorrow? のほうが丁寧に聞こえるのはなぜ?
繰り返しますが、~ing は「動作の途中」という意味です。第20回『want の後ろは「to不定詞」で enjoyは「動名詞」になる根本理由。~ing のたったひとつの意味』で説明した通り、記憶と想像を表す動詞の目的語には、不定詞ではなく動名詞、つまり ~ing を使うのでした。なぜなら記憶も想像も、どちらも「心に映像を浮かべる」という行為であり、人間が心に映像を思い浮かべるときには、「動作の最中の映像」が浮かぶからです。
さて、人間が心に映像を浮かべる行為がもうひとつあります。それは「予想」です。
第9回『助動詞willは『未来形』じゃない!? willの使い方&意味を徹底解説!」』で説明した通り、will の根っこの意味は「心がパタンと傾くこと」です。そこから「よし、~しよう」という決心の心の傾きが「~するつもりだ」という「意思」の意味を生み、そして、ある事柄に対して「こうなるだろうな」と判断する心の傾きが「~だろうなぁ」という「予想」の意味を生むのでした。
は少し厚かましく聞こえるので、相手によっては避けるべき表現です。なぜなら、「あなたは何をするつもりなのか?」というふうに、「相手の意思に立ち入る」という感じに聞こえる危険性があるからです。これは will が「意思」の意味で解釈されていることを表しています。
ところが、
とすると、「明日といえば、あなたは何をしているところでしょうかねぇ?」となり、この will は「予想」と解釈され、その結果「相手の意思に立ち入る」感じがなくなり、ぐっと丁寧な響きになるのです。
では、いったいなぜ進行形の文だと will が「意思」ではなく「予想」に解釈されるのでしょうか?
進行形は「動作の途中」です。そして心に思い浮かべる行為、つまり「動作の途中の映像」が浮かぶ行為には「記憶」と「想像」、そして「予想」があります。したがって進行形と will が組み合わさると、will は「予想」として解釈されることが普通になるのです。
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単語が複数の意味を持っていても、その奥底には中心となる根っこの意味が存在しているように、進行形のような文法形式にも「根っこの意味からいろんな意味が派生する」ことは普通に起きるのです。
認知言語学では、単語や熟語や構文や文法の間に明確な境目は存在しないと考えます。なぜなら単語も熟語も構文も、そして文法形式も、すべて意味のユニットだと考えるからです。言葉のすべては「意味と形式(=言葉の形)の組み合わせ」だと考えられるのです。
外国語を話すときには、文法を無機質な形やルールではなく、意味のユニットとしてとらえると、「気持ちの入った英語」、つまり意味を伝えようとする英語の使用がさらに容易になると私は考えています。