人を惹きつける人は何が違うのか。真田幸村に見る、人を惹きつける「自分の真価」の磨き方

2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』の放送によって、武将・真田幸村が大変注目を集めました。「関ヶ原の戦い」や「大坂の陣」の合戦で負けた側の将にありながら、なぜ、今なお、これほどまでに多くの人々を惹きつけるのでしょうか。柔軟でありながらも、恩や忠義を大切にし、己の保身を顧みず、戦局不利とわかっている場面であっても、武士の誇りを持ち続けながら、宿敵である徳川家康に果敢に挑んだ彼の生き方こそが、その人気の理由でしょう。

幸村の名を天下に知らしめた、大阪冬の陣・夏の陣を題材として書かれた、司馬遼太郎著の時代小説『城塞』の作中で、父親である真田昌幸の、幸村に向けた言葉があります。

「まず大坂城中の者が、そなたの才を信用せず、そなたの申すがように動こうとはしない。人間というものは過去から現在までの世間における履歴で事をなせるのだ」

(引用元:司馬遼太郎著(2002),『城塞(中)』,新潮社.)

幸村の父・昌幸の武勇はあまりにも有名でした。その子である幸村は、父の武勇を超えて評価される「結果」を示すことでしか大阪城内の信用を勝ち取ることができませんでした。そんな状況の中で奮闘した幸村は、出城「真田丸」の攻防を経て、見事、城内での信用を勝ち取ることに成功したのです。

幸村のように、逆境に負けず、結果を出すことは、私たちビジネスパーソンにとっても容易なことではありません。しかし、幸村の志を学ぶことで、どんなに不利な状況でも、嘆くことなく、自分を最大限に生かしていく心構えを身につけることができます。

柔軟な選択をする

ビジネスパーソンであるみなさんは、仕事をこなす上で、毎日なにかしらの決断をしていると思います。企画書に添付する資料はどれにするべきか、ということから、その決断ひとつで所属する部署や会社の今後が左右されるというような、大きな選択を任されることもあるでしょう。

幸村たち戦国武将も決断の毎日だったと思います。現代とは違い、生死に関わる決断を迫られることも多かったはずです。

関ヶ原の戦いを前に、幸村と父・昌幸、兄である真田信幸の父子3人は話し合いの場を設けたといいます。兄・信幸は、徳川四天王の1人・本多忠勝の娘を妻に迎えているため、家康を裏切る事はできませんでした。そのため、幸村と昌幸は、真田家存続という理由から、敵方の石田三成側(豊臣側)につくことを決めたそうです。この決別はのちに「犬伏の別れ」とも呼ばれ、まさに「知恵を絞って生きる策を講じるべし」という大きな決断でした。

余談ですが、「犬伏の別れ」のあと、幸村と昌幸は、信幸の子供の顔を最後に一目見ようと、信幸の城である沼田城に立ち寄りました。しかし信幸の正室である小松姫は、夫である信幸に害が及ばないようにと、入城を拒否。この機転と度胸に昌幸は深く感心したそうです。

ビジネスにおいても、A案とB案のどちらも決めかねるという場合は、C案という新しいアイデアを出してみるのもひとつの手です。また、英語のスキルを高めるためにどうしても留学をしたいが、仕事の都合でスケジュールが決まらないときは、国内で留学と同程度のスキルアップが望める場を探してみるなど、柔軟に考え、物事の視点を変えることで、新しい選択肢を持つことができます。 sanada-makenai02

弱点を工夫で長所に変える

関ケ原の戦いのあと、幸村は紀州(現在の和歌山県)にある九度山に14年間も籠っていましたが、47歳のとき「大坂冬の陣」で再び豊臣側に迎え入れられます。

幸村はまず、大坂城の最弱部とされる南側に「真田丸」と呼ばれる出城を築きました。地形の高低差が少なく、堀の幅も狭い大坂城の弱点側に出城を築くことで、敵の注意を引きつけたのです。さらに大阪城と「真田丸」の背後には200メートルにもおよぶ深い谷があったので、大坂城を守ることができると考えたのです。最終目的であった、野戦で油断をしている家康を討ち取ることはできませんでしたが、幸村はこの戦闘で、圧倒的数の劣勢(徳川側が約20万、豊臣側は約10万といわれている)の中、敵を撃退し、武名を天下に知らしめました。

このように弱点を工夫することで、新しい切り口が見つかり、短所が長所になることもあるのです。成功が難しいとされるプロジェクトであっても、もしかしたら見逃している価値があるかもしれませんし、売り上げに直結しない商品リサーチが多すぎると悩んでいるのであれば、その顧客の要望データを自分なりにまとめてみることです。新しい商品のアイデアが急に浮かんでくるかもしれませんよ。

受けた恩を大事にする

大坂冬の陣の後、豊臣側の弱体化を謀ろうとした家康は、「信州で十万石」という魅力的な条件を幸村に提示し、自分の側に寝返るように説得しました。しかし幸村は「日本国中の半分をいただけるとしても、気持ちは動きません」と対面をしなかったといいます。

幸村はまた、「関ヶ原の戦い」でも、西軍につくか東軍につくかの決断を迫られた際、「受けた恩よりも、金や身分などの欲に溺れる者は果たして人と呼べるだろうか」と言ったそうです。どちらも、目先の損得よりも恩を大切にする、幸村の生き方がよくわかるエピソードですよね。

ビジネスの世界でも、今までお世話になったお客様を切り捨てて、条件のよい取引先に乗り換えたり、入社以来面倒をみてもらった先輩を裏切るようなことはせず、恩や義をいつまでも大切にすることで、いつか必ず「信頼」というあなたへの恩が戻ってきますよ。

リーダーは、一番大変なポジションをつとめる

社会に出たからには、いつかは誰かを指導したり、リーダーとなりチームをまとめる役を任されることになるのではないでしょうか。そのとき、チームの人間から「この人についていこう」と信頼されるには、いったい何が必要なのでしょうか。

幸村は、完全劣勢の大坂夏の陣でも、報酬が約束された家康側ではなく、恩義を尽くして豊臣側に味方します。この戦いで幸村は、豊臣軍最後尾の「しんがり」として、撤退する味方の盾となり、伊達政宗をはじめとした大軍に立ちふさがり、見事味方の撤退を成し遂げました。その際、幸村は「関東の兵は数多くいるが、男と呼べるほどの人物は一人もいない」と後世にまで語り継がれるような言葉を残したといいます。

このように、決して屈することなく、極めて不利な状況下でも家康を追い詰めた幸村は、兵の中の兵、まさに「日本一の兵」とまで称されました。敵方であった徳川家康も、「幸村の武勇にあやかれよ」や「幸村の戦いぶりは敵ながら天晴れであり、江戸城内にて幸村を誉め讃えることを許す」と言ったそうです。兄・信之にしても、「幸村は国郡を支配する本当の侍であり、それに対して我らは見かけを必死に繕い、肩をいからしている(プライドの高い)道具持ちという程の差がある」と、幸村のことを自分とは違う「本当の侍だ」と評価しています。

部下やチームのメンバーからの信頼を得るには、幸村のように、自らが一番辛いポジションをかって出ることです。そして先頭に立ち、問題があれば自ら動き、一生懸命仕事に取り組む姿勢を見せましょう。部下やチームメンバーからの厚い信頼は、仕事の成果へとつながっていくはずです。

*** 逆境にありながら、柔軟に考え、最善の策を練り、忠義の精神も忘れない。幸村は、どんなに不利な状況下でも、嘆くことなく、自分を最大限に生かしていく知恵と志の大切さを教えてくれますね。

さあ、あなたもピンチでも勝ち抜くための戦略を練り、小でも大に勝つことができる考えを見つけていきましょう!

(参考) 司馬遼太郎著(1987),『風神の門(上)』,新潮社. 司馬遼太郎著(1987),『風神の門(下)』,新潮社. 司馬遼太郎著(2002),『城塞(上)』,新潮社. 司馬遼太郎著(2002),『城塞(中)』,新潮社. 司馬遼太郎著(2002),『城塞(下)』,新潮社. 平山優著(2015),『真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実』,角川学芸出版. 野中根太郎著(2015),『真田幸村 逆転の決断術』,誠文堂新光社. Wikipedia|真田信繁 Wikipedia|大坂の陣

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