「自分が納得できるキャリアを歩みたい」「もっと成長して満足いく人生を送りたい」と考えるビジネスパーソンはたくさんいます。でも、現実はなかなかうまくいかず、もやもやした感覚を感じてしまうことも……。いったいなぜでしょうか?
脳科学者の中野信子さんは、「もやもやを感じた理由を自分の頭で深掘りせずに、つい安易な情報や答えを求めてしまう姿勢に原因がある」と語ります。どんなときでも自信をもって選択し、行動に変えていける、「本当の頭の良さ」について聞きました。
構成/岩川悟、辻本圭介 写真/川しまゆうこ
【プロフィール】
中野信子(なかの・のぶこ)
1975年、東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学工学部卒業後、同大学院医学系研究科修了、脳神経医学博士号取得。フランス国立研究所ニューロスピンに博士研究員として勤務後、帰国。現在は、東日本国際大学教授として教鞭を執るほか、脳科学や心理学の知見を活かし、マスメディアにおいても社会現象や事件に対する解説やコメント活動を行なっている。著書に、『サイコパス』『不倫』(ともに文藝春秋)、『エレガントな毒の吐き方 脳科学と京都人に学ぶ「言いにくいことを賢く伝える」技術』(日経BP)、『脳の闇』(新潮社)などがある。
人生の質を高めるには安易な結論に飛びつかない
「物事の一般化」に注目する
これから自分の人生の質を高めていくには、どんな物事も「自分の頭で考えるクセ」をつけていくのがいいアプローチになると思います。「考えるのが苦手」という人もいますが、そんな人は、まず多くの人が物事を一般化しているような事象に注目して、それを考える材料にしてみてください。
「みんな~しているから」
「こんな人は~のはずだ」
そのような言い方を耳にするときがありますが、多くの人が「普通」「常識」「当たり前」とみなしている意見や考え方に注目して、それをあらためて自分の頭で考え直してみるのです。
自分の「理由」や「基準」を求める
わかりやすい例として、ネットなどを見ると、じつに多くの人が「不倫はよくない」と考えていることがわかります。でも、ここで「なぜよくないのだろう?」と考える人は、さほど多くはないかもしれません。
公言しなくても、自分の頭ではいくら考えてもいいわけです。「よくないと思うのはどんな理由がある?」「別にかまわないという人はどんな理由でそう考えるのだろう?」などと、自分の理由や基準を求めるクセをつけていくのです。
答えが出ないことをそのまま抱えておく力
そうして自分の頭で考えることを続けていくと、安易な結論に飛びつかないようになります。自分にはその結論が腑に落ちるとは限らず、常に疑って考えるクセが身についていくためです。
そして私は、自分のなかで腑に落ちなければ、腑に落ちないままにしておいていいと考えています。
答えが出ない物事を自分のなかに抱えておける力、それこそが、真の知的体力だとみなしているからです。
自分の頭で考えないと搾取される
「答えは◯◯だ」と白黒はっきりすれば気持ちよく感じるし、それを耳ざわりのいいワンフレーズで表現されると、「あの人は頭が切れる」「あの人はみんなの気持ちがわかっている」などとみなしがちです。
しかし、厳しい言い方をすれば、それは思考が停止した状態と同じなのです。
自分の頭で物事を考えないでいると、それこそワンフレーズで多くの人を気持ちよくさせるポピュリストや詐欺師たちに搾取されるだけです。そうではなく、わからないことをわからないまま自分のなかで抱えておくこと。その居心地の悪い、不快な状態に耐え続けること。そうして自分の頭で「わかった」と納得できるまで、考えることをやめない姿勢が大切なのです。
いわば、もやもやした感覚を「楽しめること」が本当の頭の良さを育んでいくし、人生の質も高めていくのだと思います。
本当の頭の良さとは選んだ道を正解にしていく力
私たちは過去に戻れない
過去に選んだ道(選択肢)を悔やんだり、失敗したと落ち込んだりすることは誰にでもあります。ただ、一度もう選んでしまった道なのだから、そんなとき私は「選んだ道を正解にするしかないのだ」と考えるようにしています。
もちろん、いまからでもその道を選び直せないことはないですが、そのまま過去に戻ることはできません。
だからこそ、選んだ道を正しいものにしようと試みることが大切だと思うのです。
いまの自分の可能性や人との出会いを受け止める
これはあまり納得していない道を、「これが正しかったんだ!」と思い込み、苦しみをまぎらわせることではありません。そうではなく、この道を選んだことで生まれた自分の可能性や人との出会い、よろこびや苦しみを「これでよかったんだ」と受け止めるような姿勢です。
そんな姿勢こそが、受験や資格勉強などでは測れない、本当の「知」の力として試されるのだと思います。当たり前ですが、人生は試験ではないのです。
選んだ道を正解にする過程に「知のよろこび」がある
そう考えると、はたして「頭がいい」とはなにかという疑問にも至ります。多くの人は頭がよくなりたいと願いますが、その「頭がいい」の中身を、各々が具体的に考える必要があるのでしょう。
私の場合は、学んでいるときでも休暇を楽しんでいるときでも、なにか新しい概念や出来事に出会うと、とてもいい気持ちになります。そんな「知のよろこび」に出会うには、どこかにある正解を探していても無理なのです。
それよりも、むしろ偶然の出会いを楽しむこと。つまり、正解を求めて勉強したり、ただ学歴を積み上げたりしていても、本当の「知」の力は身につきません。
リアルな人生においては、「選んだ道を正解にしていく」姿勢こそが、本当の頭の良さとなるのです。
「メタ認知」の力を高めて間違った判断を未然に防ぐ
メタ認知が弱いとだまされやすくなる
世のなかにはだまされやすい人とそうでない人がいますが、だまされやすい人の特徴は、「メタ認知」の力が弱いことが挙げられるでしょう。
あらためて説明すると、メタ認知とは、「自分の思考や行動を客観的に認識すること」を指します。
このメタ認知をつかさどるのが、前頭前皮質にある「DLPFC(背外側前頭前野)」という部分です。この部分は、計画性、論理性、合理性などをつかさどり、ここが働きやすい人は知能も高いとされます。
自分の状態や思考を「客観視」する
「みんなこうやっているから」「あの人たちがそう言っているから」というまわりの意見や同調圧力によって、自分の直感や思考にブレーキをかけてしまう可能性があります。
そんな状態に陥らないようにするには、なによりも自分がいま置かれている状態や、自分の思考を「客観視」することがポイントになります。
いきなり「まわりの意見を気にしないように」といっても、心理的な抵抗が強いので、その前になるべく客観的かつ正確な情報を集めて、判断材料を少しずつ増やしていくといいでしょう。
そうして情報を集めて、ある程度自分で「やっぱり自分の意見のほうがいいな」となったとき、初めて行動に移していけばいいのです。
いわば「心のブレーキ」を少しずつ外していくイメージです。
まわりに左右されず自分らしく行動しよう
「こんなことを言ったらみんなどう思うだろう?」
「これは私にはとてもできない」
そんな恐れや不安、同調圧力に絡め取られて、自分の行動を抑えてしまわないように、これからは自分の思考や置かれた状態を冷静に見つめるように意識してみてください。すると、根拠のない言動に振り回されることも減っていきます。
賢明な判断や行動は、冷静な「客観視」から生まれるということなのでしょう。
変化の激しい時代こそ「時間がかかる」インプットを
脳には「速いシステム」と「遅いシステム」がある
人間の脳には、ふたつの意思決定機構があるとされます。これを専門的には「二重過程理論」といいます。
ひとつは「速いシステム」と呼ばれるもので、様々な情報や出来事にすばやく対応しようとするシステムです。そして、もうひとつは「遅いシステム」と呼ばれ、理性的かつ論理的に物事を判断するシステムです。
ただ、現代は情報量がむかしに比べて圧倒的に増えているため、多くの人は「速いシステム」を多く使いながら、変化の激しい環境をなんとか生きようとしているようです。
「速いシステム」の問題点
しかし、「速いシステム」には問題点があります。それは、意思決定のスピードを優先するため、限られた情報だけを重視する傾向があることです。
そのため目につきやすい情報や、簡単でわかりやすい情報に飛びつきやすくなってしまうのです。
フェイクニュースなどはその最たるもので、自分だけが煽られるならまだしも、場合によっては事実とはまったく異なる根拠のない情報を拡散させ、社会全体を混乱に陥れる可能性もあります。
情報の質が上がると人生の質も上がる
そこで大切になる姿勢は、変化の激しい環境だからこそ、あえて「時間がかかるインプット」を心がけることです。
たとえば、信頼できるメディアだけを閲覧するようにし、その情報も複数のメディアを比較して検討する必要があるでしょう。
また、ポータルサイトなどは必ず情報の配信元をチェックし、SNS や動画サイトなども、目を引くフォロワー数や再生回数に惑わされないようにすることが欠かせません。
手間暇はかかりますが、結局は「急がば回れ」です。インプットに時間をかけたほうが、判断のための材料の質が上がり、結果的に人生の質も上がっていくはずです。
※今コラムは、『賢くしなやかに生きる脳の使い方100』(宝島社)をアレンジしたものです。
【『賢くしなやかに生きる脳の使い方100』より ほかの記事はこちら】
決して崩れない信頼関係の築き方。人間関係の悩みは○○を磨けば解消できる。
努力が報われなくて自己嫌悪に陥ったときに確認したいこと。「努力の方法、間違ってない?」