向上心を持ち仕事で成果を出したいと思う反面、月曜日の朝が憂鬱だという人もいるでしょう。仕事嫌いとまでは言わないまでも、それが多くの人の本音ではないでしょうか。
しかし、あるものによって職場環境が快適に変わるそう。あるものとは、「気くばり」です。そう説くのは、約1700社の研修を手がける株式会社パンネーションズ・コンサルティング・グループの代表・安田正(やすだ・ただし)さん。気くばりによって職場環境が変わるメカニズムとは?
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹(ESS) 写真/玉井美世子
「気くばり」は相手も自分も快適にするコミュニケーション
コミュニケーションとは、自分が発したことで相手になんらかの影響を必ず与えるものです。その影響とは、「相手が快適に思うか、そうでないか」というもの。そこにある「気くばり」というのは、コミュニケーションのなかでもとりわけ相手を快適にすることを目的にしたものです。
朝、オフィスがあるビルのエレベーターに乗るとします。エレベーターって基本的には静かなものですよね。それが、独特の妙な雰囲気を生んでいます。でも、乗り込むときにひとこと「すいません」と言う、あるいは、知り合いが乗っていたら「おはようございます」と言うだけで、エレベーターの雰囲気はまったくちがったものになりませんか? それは、エレベーターに乗っている人たちが快適になったから。乗り込んでくるときには「ちょっと怖い人かな」と思われるような人も、そういう気くばりがあればとってもいい人に思われて、空間が変わるのです。
エレベーターだけじゃありません。相手を快適にすることができれば、自分を取り巻く空間のすべてが快適になります。なぜなら、人間には「返報性の原理」というものがあるからです。なんらかのほどこしを受けると、お返しをしたいと思う——そういう心理が「返報性の原理」です。相手を快適にすれば、相手も自分を快適にしてくれるというわけです。気くばりとは相手を快適にするコミュニケーションであり、その結果として自分の置かれている環境をとっても豊かで快適にしてくれるものなのです。
自分の職務の範囲を越えて仕事をする「気くばり」
気くばりは、仕事の質も大きく変えてくれます。グローバル化が進むなか、日本の企業でも広まりつつあるのがジョブ・ディスクリプション。ジョブ・ディスクリプションとは、日本語では職務記述書と訳されるもの。各ポジションの職務を明確化することで、成果に対する評価を明白にする、人材育成の効率を向上させるといった、さまざまな効果が期待できます。そのジョブ・ディスクリプションを使って仕事がうまく進むときというのは、社員がそれぞれの職務をきっちりこなしたときです。
ところが、日本人のジョブ・ディスクリプションに対する考え方はまだまだあいまいですし、自分の職務を目一杯やらないということも目立ちます。それぞれにちょっとずつ仕事のやり残しがある。そういう仕事を誰がやるかといえば、管理職なのです。いろいろな会社の研修をさせていただくなか、驚いたことに「管理職になりたくない」という人がいっぱいいます。そういう、部下たちの怠慢のフォローをしないといけないからなんですね(笑)。
この話をするとき、わたしの頭にはいつも中学生のときの先生の教えが浮かびます。先生が問題にしたのは掃除のやり方です。当時、AとBのふたつのクラスがありました。ふたつの教室の真ん中には踊り場と共有のトイレ。A組はちょうどその真ん中辺りまでしか掃除しないし、B組も同じ。すると、そのあいまいな境界線の付近はどうしても掃除が行き届かずに汚いままの部分が残ってしまう。先生には、「君たちはさもしい」「もうちょっと考え方を変えられないか」と怒られましたね。
「どうすればいいのか」と聞くと、先生はこう言いました。「境界線だと思う部分から、それぞれがはみ出して掃除をしなさい」と。そうすると、自分のクラスに属しているのか属していないのかわからないような共有部分は、ふたつのクラスによって掃除されて一番綺麗になる。そういう関係であれば、隣のクラスとももっと仲良くなれます。その後のわたしに大きな影響を与えてくれた気くばりの教えです。
仕事でも同じことですよ。「自分はここまででいいや」というような考えがあるから、やり残しが出てくるのです。そうではなく、自分の職務の範囲を越えたところまでやっていく。そうすると、ふたつのすごくいいことが生まれます。そういう仕事をするためには、自分の職務以外の仕事全体のことを知らなければなりません。つまり、仕事の達人になれるというわけです。
もうひとつのいいことは、報連相がきっちりできるようになるということ。実務をこなしている人間からすると、報連相はあまり意味がないことのようにも感じられます。でも、つつがなく仕事が進んでいるかをチェックしなければならない管理職にとってはすごく重要なものです。
そして、プラスアルファの仕事をすると、人はどうなるでしょうか。「これだけやりました!」と報告したくなるんですよ(笑)。なによりも、それぞれがプラスアルファの仕事をこなして、お互いに感謝しながら仕事すれば気持ちがいいし、仕事が楽しくなるじゃないですか。
いま、「働き方改革」の推進もあって、残業を減らそうという動きが進んでいます。それにはわたしも大賛成。かといって、仕事の質を下げてはいけないと思うのです。
残業を減らすのだったら、自分の仕事を見直すいい機会です。自分はそもそもどんな仕事をしていて、どのくらいやれば事足りて、さらにどのくらいやれば周囲に感謝されるのか。そういう一人ひとりの気くばりが集まれば、会社の雰囲気は余裕に満ちてまったく違ったものになるはずです。
【安田正さんのほかのインタビュー記事はこちら】 雑談上手は「2:8」を意識する。初対面で相手の心をつかむためのシンプルなルール。 「落語」が雑談力アップに効く意外な理由。どうすれば “超一流の雑談力” が身につくのか?
【プロフィール】 安田正(やすだ・ただし) 1953年8月6日生まれ、宮城県出身。23歳のときのイギリス留学でコミュニケーション力の重要性に気づき、神奈川大学卒業後、英会話学校の営業としてコミュニケーション力を磨く。その後、兼松パーソネル・サービス国際文化事業部部長を経て、1990年に法人向け研修会社・株式会社パンネーションズ・コンサルティング・グループを設立。現在、早稲田大学グローバルエデュケーションセンター客員教授、一般財団法人コミュニケーション・マイスター協会代表理事も務める。『超一流の雑談力』(文響社)、『できる人は必ず持っている一流の気くばり力』(三笠書房)など著書多数。
【ライタープロフィール】 清家茂樹(せいけ・しげき) 1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。