多忙な毎日のなか、「読書をする時間がない」人のほか、「どんなものを読むべきかわからない」といった人もいるかもしれません。
そこでアドバイスをお願いしたのは、新刊『ちゃんと「読む」ための本』(PHP研究所)を上梓した著作家の奥野宣之さん。『読書は1冊のノートにまとめなさい』(ダイヤモンド社)が累計50万部を超えるベストセラー作家です。読むべき本の見つけ方、そして奥野さんが提唱する「ちゃんと読む」方法について解説してもらいました。
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹
【プロフィール】
奥野宣之(おくの・のぶゆき)
1981年9月4日生まれ、大阪府出身。同志社大学でジャーナリズムを専攻後、出版社・新聞社勤務を経て、著作家・ライターとして活動。読書や情報整理などを主なテーマとして執筆や講演活動などを行なっている。『情報は1冊のノートにまとめなさい[完全版]』『読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]』(以上、ダイヤモンド社)、『図書館「超」活用術』(朝日新聞出版)、『学問のすすめ』『論語と算盤(上)(下)』(以上、致知出版社)など著書多数。
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
必要なのは、「これって読むべきものか?」という意識
インターネットが普及して長い時間が経ち、情報収集の手段としては多くの人がスマホやパソコンばかりに頼っているでしょう。もちろん本人が「楽しい」と感じながら明確な意図と興味をもって読み、情報収集という目的を達成できていればそれでもまったく問題ありません。
でも、たいして興味もないのにニュースアプリから通知がくるからつい読むだとか、ただ暇つぶしのために無意識のような状態で読んでいたとしたら、そんな読み方にはほとんど意味がないと言えます。
むしろ、よくない行為とも言えるでしょう。そんな読み方も「読む」ことには変わりありませんが、そういった読み方では自分の身になるものはまったくありませんから、無駄なことに貴重な時間を使ってしまっていることになるからです。
食べ物だってそうではありませんか? 冷蔵庫になにかあるからと、無意識のような状態でつい食べてしまう。そんな食べ方では摂取する栄養に偏りが出てきますし、肥満などのよくない影響が表れるかもしれません。
ですから、「これって本当に食べるべきものなのか?」という意識をもたなければなりませんし、同じようになにかを読むときにも、「これって本当に読むべきものなのか?」という意識が必要だと思うのです。
「ざっと読む」「ちゃんと読む」を使い分ける
そこで私は、著書などを通じて「ちゃんと読む」ことを提唱しています。私が言う「ちゃんと読む」とは、ほかのことに意識を向けず、読むべきものだと判断したものにきちんと向かい合うこと。
「眼光紙背(がんこうしはい)」という言葉もありますが、自分のアテンションのすべてを文章に向け、紙の裏側まで見通すようなつもりで、書かれていることの背後にある意味までしっかりと読み取る。これが「ちゃんと読む」ことなのです。
もちろん、「ちゃんと読むべきもの」をきちんと見定める必要もあります。読む価値のないものをいくらちゃんと読んだところで、やはり得られるものはないからです。
そこで、「ちゃんと読む」の前段階として「ざっと読む」ことも必要になります。文章全体にざっと目を通すことで全体を俯瞰し、「なにについて書かれているのか」という要旨をおおまかにつかみます。そのうえで、「読まずにお別れするもの」と「ちゃんと読むべきもの」に分類するのです。
「ざっと読む」ことのメリットは、数をこなせることです。でも、「ざっと読む」だけで理解できるのは、まさにおおまかな内容だけ。ここがデメリットです。しかし、やはり「ちゃんと読むべきもの」を探すためには不可欠の行為です。
一方の「ちゃんと読む」ことにもデメリットはあります。時間や集中力といったコストがかかるため、「ざっと読む」ことのように数をこなせません。でも、その最大のメリットは、読んだことをきちんとインプットできる点にあります。
メリットというよりも、「ちゃんと読む」ことでしか書籍や記事に書かれている内容を頭に入れる方法はないと言ったほうが正しいでしょう。だからこそ、「ざっと読む」「ちゃんと読む」というふたつの読み方を使い分ける必要があるのです。
最低限、正しい日本語の文章を読む
では、「ちゃんと読むべきもの」とはどういうものでしょうか? このことについては、「人それぞれ」としか言いようがない部分もあります。業種や職種といった仕事に関わることのほか、個人の好みなどによっても響くもの、必要とするものは千差万別だからです。
万人に共通する最低限のレベルで言うと、「プロの手が入っているもの」となるでしょうか。新聞社や出版社などの会社が発信、出版しているものであれば、整理部や校閲部といったプロの手によってその文章は正しい日本語になっています。
でもいまは、インターネットを通じて誰もが情報を発信できる時代です。そうした情報のなかにも貴重なものが含まれていることもあるでしょう。しかし、プロの手が入っておらず文法的に誤っているものも出回っているのが実情です。
そのような怪しい日本語の文章ばかりを読んでいると、知らず知らず悪影響を受けて自分の言葉も怪しくなっていきます。文章を頻繁に書く人でなくとも、私たちは言葉でコミュニケーションをします。仕事においてコミュニケーションが重要なことは言うまでもありません。仕事相手へのメールやあいさつなどに怪しい日本語を使ってしまうのは、決していいことではないはずです。
また、そういう文章の場合、そもそもインプットが難しくなるということもあります。正しい日本語でないためにスムーズに内容が頭に入ってこないのです。つまり、「ちゃんと読む」にも時間や集中力といったコストが余計にかかるということ。これも、限られた時間のなかで本などを読みたい忙しいビジネスパーソンにとっては大きなデメリットです。
【奥野宣之さん ほかのインタビュー記事はこちら】
ベストセラー作家が「人からすすめられた本は読まなくていい」と語る納得の理由
暗記ではなく「印象に刻む」。本の内容を確実に頭に残せる「多重マーキング」という読み方