皆さんは何のために仕事や勉強を頑張っていますか? 「昇進したい」「あの学校に合格したい」「プロジェクトを成功させたい」など、それぞれに様々な目標があるでしょう。目標達成のために様々な努力や苦労に日々翻弄されていても、目標をクリアした途端、達成感で全ての苦労が忘れられるのではないでしょうか。
ところで、その目標は誰が課した目標でしょうか。「自分で課した」目標ですか?少しだけ立ち止まって考えてみてください。
目標と達成感の関係
自分で課した目標か、誰かに課された目標かによって、達成感の有無が決まります。 こう言うと、「自分で課した目標を達成したら達成感を味わえるけれど、他人に課された目標を達成しても達成感が味わえない」という話だと思われるかもしれません。おそらく一般的にはそう信じられているでしょう。
しかし、今回紹介したいのは、それとは逆の考え方です。森博嗣さんの『自由をつくる 自在に生きる』という本にはこのように書かれています。
自分の発想でやり始め、自分が自分に課した目標であれば、たとえ見かけ上それを達成したとしても、新たな目標が必ず出てくるし、途中できっと不満な部分に出会い、あそこを直したい、もう一度ちゃんとやり直したい、という気持ちになるはずだ。
つまり、自分で課した目標より他人が課した目標の方が達成感がある、と著者は言っています。ちょっと意外な気もしませんか?
他人からの目標設定は評価の現れ?
現在のマネジメント研究においても、「他人からの目標設定と自らの目標設定では、同等の効果がある」と考えられています。通常職場での自分の目標は、上司に課せられることが多いでしょう。その上司がめちゃくちゃな目標を設定しない限り、本人の得意不得意、長所、短所等を踏まえて目標を設定しているはず。
適切な上司に与えられた目標は、自分自身の評価でもあり、自分の能力を伸ばすための効果的なプロセスでもあるのです。そう考えると、「他者から与えられた目標でも達成感が高い」というのも納得出来ますね。
思い返せば・・・・・・
「必ずしも自分が決めた目標の達成ばかりが、高い達成感を得られるわけではない」という考えは、一見意外でもありますが、経験から、なるほど、と納得できる部分はあります。
東大を受験し、合格を目指すという目標。
自分が自分に課した目標だと思い込んでいましたが、そもそも東大の入試自体、大人が用意した競争のイベントです。さらに、学校や塾の先生、あるいは親や友人など、周囲からの目やススメが、志望校決定の大きな要素の一因だったかもしれません。知らず知らず周囲の人たちの願いも背負い込んでいたのかもしれないと思うと、「東大へ合格する目標」自体が自分で決定した目標だった、とは言い切れなくなります。 合格後に大きな達成感があったのは、実は「誰かに課された目標」だったからかもしれません。
何を目標に勉強しているのか
それでは、「他人に課せられた目標が上で自分で課した目標は下なのか」と言えば、決してそうではありません。この本のロジックで考えるなら、自分で目標を課した場合、達成感はない代わりにさらに新たな目標がどんどん生まれ、自分の道をどんどん突き詰めていくことができる、とも言えます。
目標の立て方にに正解不正解はありません。しかし「自分で立てた目標を達成するメリット」「他人に課せられた目標を達成するメリット」の両方を意識して、今後の目標を設定してみてはいかがでしょうか。
【参考文献】 森博嗣、2014年『自由をつくる 自在に生きる』集英社 目標を達成するまで物事を継続するための5つのステップ HAPPY LIFE 達成感は、疲れを吹き飛ばす 与えられた目標と自分達で決めた目標のどちらがよいのか