「論理的に考えたら◯◯だろ!」「そこはもっとロジカルにだな……」
こんなことを言われたことのある人、結構いるんじゃないだろうか。 論理的思考。ロジカルシンキング。
てやんでい、何がロジカルでぇ、こちとら義理と人情で動いてんだ、なに、論理?んなもん犬にくれちまえぃ!
…と言えたらかっこいい。江戸っ子だ。だが現代に生まれた以上、論理的思考がなければ、仕事ができないし、勉強すら進まない。
なぜなら論理的に考え説明された物事は、国を越え、時代を越え、全ての人に伝えることができるからだ。 知識さえあれば、ニュートンの論文を理解することだって、ガリレオの主張を納得することだってできる。彼らの主張は論理的だから。
一方義理と人情はそう簡単ではない。なぜ石田三成は家康軍に立ち向かったのか。なぜ弁慶は義経を死ぬまで守り抜いたのか。同情や感動はできても、理解はできない。
論理的思考は、現代を生き抜く上で必須のアイテムなのだ。
今日はそんな論理的思考の超基礎ともいえる、「帰納法」と「演繹法」についてご紹介したいと思う。
帰納法とは
数学なんかで聞いたことのある人も多いかもしれない。
「最近A子ちゃんと会話していない」「A子ちゃんが目を合わせてくれない」「そういえば、この間A子ちゃんからメールの返信が来なかった」こうした現実の出来事から、「俺はA子ちゃんに嫌われている!」という結論を導き出すのが、帰納法だ。
コトバンクによれば、帰納法とは
類似の事例をもとにして、一般的法則や原理を導き出す推論法のこと。
(引用元:コトバンク|帰納法 )
とされている。しかし、この帰納法は、間違いも起こしやすい。例えば、その後「A子ちゃんから告白された」という事実がつけ加われば、一気に結論は逆転する。最近のA子ちゃんの態度は、あなたを意識するあまりのことだった、という可能性もあるのだ。
これこれこうだから、絶対にコレだ!なんていう結論は出せないのだ。
演繹法とは
演繹法は、帰納法の全く逆だと考えてもらえばよい。
まず大前提となる理論があり、それに事実やルールを加えながら、数珠繋ぎにしていって個々の事象を導き出していく。
大前提「A子ちゃんは俺のことが好き!」「A子ちゃんはメールを頻繁にする子だ!」だから「俺がメールしたら必ず返信をくれるだろう!!」
という具合だ。コトバンクの定義を確認しておく。
前提となる事柄をもとに、そこから確実に言える結論を導き出す推論法のこと。
(コトバンク|演繹法 )
演繹法を使う上で注意してほしいのが、まず大前提が間違っていないかということ。そこが間違ってしまえば全く論理が破綻してしまう。また、途中で出てくる事実やルールがひとつでも間違っていれば、数珠はちぎれ、結論がまったく意味のないものになってしまう。A子ちゃんの例で確認するまでもないだろう。
どうやって応用するの??
さて、散々説明されたけど、結局どうしたらいいの? なんていう声が聞こえてきそうだ。
でも考えてみてほしい。私たちが何か予想を立てたり、人に物事を説明したりする時。無意識的にこれらふたつの方法を使っているのだ。
だから、わたしたちがするべきなのは、今使ったのが帰納法なのか演繹法なのか確認すること。そしてその欠点を意識することだ。
外出したとしよう。地面が濡れている。どことなく空気も湿っぽい。ああ、雨が降ったんだな、……と即決するのは早すぎる。今、帰納法で「雨が降った」という事実を導き出そうとしたが、それは本当だろうか。周りを見渡して、「水撒きをしているおばちゃん」という新しい事実を見逃してはいないだろうか。
こんな風に、日常的な例にとどまらない。ひょっとしたら、社運をかけた交渉の中で。人生を変える決断の時。間違った推論や断定をしてしまわないだろうか。今ある事実は、前提は、本当に正しいものだろうか。
自分が今どんな風に考えているかだけでも意識してみてほしい。きっと結果は大きく変わるはずだ。