世の中に「幸せになんてなりたくない」という人はいないでしょう。でも、一方で幸せになるのはそう簡単なことではないようです。
「習慣化のプロ」である習慣化コンサルタントの古川武士(ふるかわ・たけし)さんは、「どうせできない」という「学習性無力感」こそが、幸せになるための天敵だと言います。では、どうすればその天敵を打ち負かすことができるのか——。古川さんが、プロの視点から教えてくれました。
構成/岩川悟・清家茂樹 古川さん写真/玉井美世子
幸福感を高めるための天敵「学習性無力感」
「幸せ」とは、欲求が満たされたときに感じられるものです。みなさんも自分を振り返ってみれば、「私はこういう欲求が強そうだ」「こういうことで幸せを感じるんだ」と思える欲求が見つかるはずです。
しかし、その欲求を満たして幸せを感じることは、そんなに簡単ではありません。現在の日本において、満足にご飯を食べられない人はそうはいないかもしれません。でも、「忙しくて思うように眠れていない」「便秘がひどくて腹痛に悩んでいる」という人ならたくさんいます。アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローが提唱した「欲求5段階説」によると、それらは最も基本的な欲求であり、人間が生存のために本能的に求める第1段階の生理的欲求にあたると言います。それすら、きちんと満たせない人もいるのですから、第2段階以降の欲求に関しては言うに及びません。
それこそこのコロナ禍のなかで経済的な不安を抱えている人は少なくないでしょうし、「愛するパートナーがいない」「思うように出世できていない」、あるいは「いまの仕事に自分の能力を生かせていない」と感じている人も多いでしょう。マズローの「欲求5段階説」によれば、これらはそれぞれ「第2段階の安全欲求」「第3段階の社会的欲求」「第5段階の自己実現欲求」にあたります。
そして、そのように「あれもこれもできない」と感じることが、じつは幸福度を大きく下げてしまうのです。それも当然のことかもしれません。幸せになるための「こうしたい」「こうありたい」「こうなりたい」という欲求を満たすことができないのですからね。
「現状維持の呪縛」にはまっていないか?
これは、「学習性無力感」と呼ばれる現象によるものです。学習性無力感とは、専門的には「長期にわたってストレスを回避できない環境に置かれた人間や動物が、その環境から逃れようとする努力すら行なわなくなる現象」のこと。
少しわかりづらいかもしれませんので、ここでひとつ例を挙げましょう。みなさんは、「鎖につながれたゾウ」という話を知っていますか? これは、ホルヘ・ブカイというアルゼンチンの心理療法士であり作家が描いた寓話です。その内容をかいつまんで紹介します。
【鎖につながれたゾウ】
あるサーカス団に大きなゾウがいました。その足には鎖が巻かれ、木の杭につながれています。でも、その杭はとても小さなもの。大きな木でさえ根っこから引き抜くことができるゾウだったら、そんな小さな杭なら簡単に逃げ出すこともできそうなものです。でも、なぜかそうしようとはしません。
じつは、そのゾウは、まだほんの小さな子どもの頃からずっと鎖で杭につながれていました。小さな子どもだった当時のゾウからすれば、その杭はとても引き抜くことなどできないもの。何度も何度も逃げようと試みましたが、それは叶いませんでした。
そのうち、次第に逃げ出すことを諦め、「自分はこの杭を抜くことなどできない」「逃げ出すことなどできない」と、自分自身を洗脳してしまったのです。そして、立派な巨体を誇る大人になったいまも、ゾウは逃げ出そうとはしなくなったのでした。
この寓話は、何度もチャレンジしては失敗を繰り返すことで、「どうせ自分にはできない」という負け癖をもってしまい、新たなチャレンジのために行動したり思考したりすることを諦めてしまうという、まさに学習性無力感を描いています。と同時に、最初から諦めることなく、固定観念に対して「本当にそうなのだろうか?」とゼロベースで考えることの重要性を伝えてくれます。
みなさんのなかにも、それぞれに「何度もチャレンジしてみたけど、やっぱり自分には無理なんだ」「新しいことは、なにをやってもうまくいかないんだよね」といったことがあるのではないでしょうか。
その学習性無力感こそ、幸福感を上げるための天敵なのです。
「自己効力感」で学習性無力感に対抗する
では、いったいどうすればその天敵を打ち負かすことができるのでしょうか? その鍵を握るのは、「自己効力感」です。
最近は、自己肯定感に自己達成感など、メディアを通じて「自己○○感」という言葉を見聞きすることが増えているように思います。みなさんは自己効力感という言葉を知っていますか?
これは、カナダの心理学者であるアルバート・バンデューラが提唱した概念で、「自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること」を指します。ごく簡単に言えば、「自分はできるんだ!」と思えることです。
「自分はできるんだ!」と思える自己効力感こそが、幸福感を高めるための行動にみなさんを導きます。
その自己効力感によって、学習性無力感に打ち克つことができた事例をお伝えしましょう。これは、「習慣化コンサルタント」としての企業研修を通じて私が相談を受けた事例です。
相談者は、ある会社で営業主任を務めている人物。その人の上司もその上役も、完全な成果主義だと言います。彼らは、相談者である営業主任やその部下たちに対して「営業成績がよくない下から3割の人間は切り捨てる」なんてことを平気で言う人なのだそう。
ただ、相談者自身はまったく別のタイプの人間でした。穏やかかつヒューマンな性格で、他人をサポートすることが大好き。そんな人が、厳しい上司たちに囲まれ、殺伐とした成果主義のなかで働いているうちに、「こんな環境を変えよう」というチャレンジすらできなくなっていました。つまり、その相談者は、「どうせ自分にはできない」という学習性無力感に完全に支配されていたのです。
でも、そんななかでも、できることはあるはずです。私は、相談者に対して、「環境を変えるために、些細なことでもいいので営業主任という立場でできそうなことはないですか?」と聞いてみました。
すると、彼はしばらく考えて、「部下たちの話を聞くことくらいならできるかもしれません」と答えました。続けて私が「部下たちの話を聞いてあげたら、なにかが変わりそうでしょうか?」と聞くと、彼は「部下たちが日々感じている不満を少しは軽減してあげられそうです」と言います。
「私」を主語にして考えて、はじめて事態は好転する
彼は、私との会話を通じて少しずつ変わりはじめました。「『たとえ上司たちは認めていなくとも、私は認めている』という事実を部下たちにフィードバックすることもできる」「部下たちに対して、自分なりにアドバイスもできる」と、徐々に前向きに考えるようになったのです。
そこで私は、「だとしたら、そういう部下とのミーティングを、1週間に1回でも2週間に1回でも、定期的に開いてみてはどうでしょう?」と伝えました。もちろん、彼の答えは「やってみます!」でした。
しかも、よくよく話を聞いてみると、直接の上司は、その上役ほどの成果主義ではない様子。上役が完全な成果主義であるために、彼の上司もそのように振る舞っていただけだったのです。それならば、打つ手はありそうです。
私は「部下とミーティングをすることを伝えたら、上司はどんな反応を示すと思いますか?」と聞いてみました。すると相談者は、「おそらく、『立場上、オレはできないけど、おまえがやってくれるならどんどんやっていいよ』とよろこんで応援してくれるはずです」と、明るい声で答えたのです。
この相談を受けている段階では、相談者が置かれている状況はなにも変わっていません。それでも、彼のなかでは「どうせ自分にはできない」という学習性無力感から抜け出せました。
そして、その変化をもたらしたものこそ、私との会話を通じて生まれた「自分は少しでも影響を与えられるんだ!」という自己効力感だったのです。
環境がいい方向に変わるのを待っていても、自分自身で動かない限りはなにも変わりません。この営業主任のように、「私がやるんだ!」というふうに、「私」を「主語」にして考え、行動することによって、事態は初めて好転していきます。
***
みなさんは「鎖につながれたゾウ」になっていないでしょうか。それこそ、大人になり社会人として多くの時間を過ごすうちに、「どうせ自分にはできない」という学習性無力感に陥り、かつて抱いていた夢を諦めてしまっている人もいるかもしれません。ビジネスパーソンとして成長するため、そしてなにより幸せになるために、自己効力感を高めることを考えてみてはどうでしょうか。
※今コラムは、古川武士 著『習慣化のプロが教える 幸福感を高める7つの小さな習慣』(プレジデント社)をアレンジしたものです。
【古川武士さん ほかの記事はこちら】
あなたの幸福度は「習慣」で決まる――自ら主導権を握り最高習慣を手に入れよ
1日のうちたった1%の時間でできる。本当に幸福感が高まるノート習慣
【プロフィール】
古川武士(ふるかわ・たけし)
習慣化コンサルティング株式会社代表取締役。1977年、大阪府に生まれる。関西大学卒業後、日立製作所などを経て2006年に独立。約5万人のビジネスパーソンの育成と1万人以上の個人コンサルティングの経験から「続ける習慣」が最も重要なテーマと考え、日本で唯一の習慣化をテーマにしたコンサルティング会社を設立。オリジナルの習慣化理論・技術を基に、個人向けコンサルティング、習慣化講座、企業への行動定着支援の事業を開始。2016年には中国で6000人規模の習慣化講演を行い、本格的に海外進出をはじめる。著書は現在21冊、累計95万部を超え、中国・韓国・台湾・ベトナム・タイなど海外でも広く翻訳され読まれている。