仕事や勉強など、やらなければいけないことがあるのになかなか着手できない——。そんなビジネスパーソンにとっての「あるある」はどうして起こり、そのような事態にどう対処すればいいのでしょうか。
お話を聞いたのは、明星大学心理学部教授の竹内康二先生。「行動分析学」を活用し、学校や企業において一般的な対応では改善が難しい行動上の問題の解決を試みています。まずは、行動分析学とはどんな学問なのかという話から始めてもらいました。
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹 写真/玉井美世子
【プロフィール】
竹内康二(たけうち・こうじ)
1977年11月19日生まれ、北海道出身。明星大学心理学部心理学科教授。博士(心身障害学)。公認心理師、臨床心理士。専門は応用行動分析学。筑波大学博士課程修了後、明星大学専任講師、准教授を経て現職。学校や企業において、一般的な対応では改善が難しい行動上の問題に対して、応用行動分析学に基づいた方法で解決を試みている。「すべての行動には意味がある」という観点から、一般的に「なぜ、そんなことをするのかわからない」と言われる行動を分析することを目指している。著書に、『発達支援のヒント36の目標と171の手立て』(共生社会研究センター)などがある。
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
「通常の対応」では解決が難しい課題の解決を目指す「行動分析学」
私が専門とする「行動分析学」について解説しましょう。基本的に生き物は、「どんな学習をしてきたか」ということに基づいて、ある行動が増えたり減ったりしています。そういった学習の原理を応用するかたちで、社会的に重要とされる行動の予測や制御を目的としている学問が行動分析学です。
そのなかでも、私は特に「応用行動分析学」というものを専門としています。学習の原理を文字通り応用し、社会のなかで「通常の対応」では改善が難しい課題の解決を目指す学問です。
たとえば、障害をもつ人たちの、周囲からするとどうやって止めたらいいのかわからないような行動に対するアプローチの研究も私は行なっています。重い障害をもつ人たちの場合、なかには言語を使えない人もいます。
ですから、「こういう行動をしないでほしい」「こういう行動をしてほしい」と言葉で説得するといった、「通常の対応」で行動を改善に導くことは難しい。だからこそ、「なぜこういう行動をするのか」という行動の原理に基づいたアプローチが必要とされるのです。
また、健常者の場合でも、たとえば非行や犯罪に走ってしまう人たちは、「通常の対応」で行動改善に導くことが難しい人たちの一例と言えます。もちろん、そのような人のなかには、一定の知的レベルに達していて社会的な常識やルールはきちんと理解している人もいます。それなのに、それに反することをしてしまう。
かつ、非行や犯罪を自分では「やめたい」と思っているのに、どうしてもやめられない。そんな人も多いのです。そうしたケースで行動の改善に導くにも、やはり行動原理に基づいたアプローチが求められます。
「性格」のせいにして「自己否定」することを避ける
もちろん、この応用行動分析学を活用できるのは、障害をもつ人や、非行や犯罪に走る人ばかりではありません。「やる気はあるのに、面倒くさくてやるべきことになかなか着手できない」といったことだって、人によっては「通常の対応」による解決が難しい場合もあります。
なかには「通常の対応」でなんとかできる人もいるでしょう。「面倒だけれど、しっかりやらなきゃ!」と自分を説得し、意志の力でなんとかできるのなら、そもそも「やるべきことに着手できない」という問題は発生しません。
でも、説得とか意志の力といったものでなんとかしようとしても解決できないことが起きたときに、その解決策のひとつとして行動分析学的な対応が力を発揮してくれるはずです。では、「やるべきことに着手できない」という問題に対して、行動分析学の観点からアプローチしてみましょう。
まず考えてほしいのは、「性格」について。やるべきことに着手できないとき、「自分は面倒くさがりだから」「なかなかやる気が出ないタイプだから」と、自分の「よくない性格」の問題としてとらえ、「性格を直したい」と考える人は多いものです。
しかし、少なくとも行動分析学においては、「性格を直す」という表現が使われることはありません。性格とは、ある刺激に対してどんな反応を示すのかという、行動の傾向に過ぎません。複数の人がまったく同じ環境に置かれて同じ刺激を受けたのに、それに対する反応は人それぞれ――こうしたことは起こりうると、みなさんにもイメージできますよね。
でも、その反応の結果としての行動の傾向について見た場合、行動分析学においては「いい」も「悪い」もありません。ただ単に行動の傾向が人によって違うだけなのです。まずは、そのことを理解しましょう。
つまり、「自分は面倒くさがりだから」「この性格を直さないといけない」ととらえるのではなく、「自分にはこういう傾向がある」とただその事実を事実のままにとらえるのです。なぜなら、「自分の性格が悪い」という価値判断をしてしまうと、問題の解決を自己否定からスタートすることになるからです。
もちろん、自己否定も、「このままじゃ自分は駄目だ!」と一念発起するスターターとして、一時的なエネルギーを生んでくれるケースはあるでしょう。でも、自分という “個人” を攻撃して問題の解決をしようとすることは、なかなか維持できません。「自分は駄目だ、駄目だ、駄目だ」と否定し続けてしまうと前向きなエネルギーを得られにくくなることは、容易に想像できるのではないでしょうか。
ですから、仮に自己否定をスターターとして使ったとしても、それ以降については、基本的には自分がやれたことをきちんと評価して、自分をほめてあげましょう。そうすると、行動は変わっていきます。
「いまの自分にやれること」だけをやればいい
では、これを前提としたうえで、勉強にせよ仕事にせよ「やるべきことに着手できない」問題を解決してみましょう。こういうケースが起こる原因はいくつか考えられますが、そのひとつは、特にその勉強や仕事が重要であればあるほど、「適当にやったら駄目だ」「集中してしっかりやらないといけない」と考えがちなことが挙げられます。
そう考えると、「いまは疲れているし、まとまった時間がとれないから、いまの状態でやっても十分な成果が得られない」といった思考につながり、行動を起こさないという事態が起こります。「ちゃんとやろう」と思うがゆえに、やらないのです。
ですから、この問題に対するアプローチも人それぞれではありますが、多くの人に共通して言えるのは、「ちゃんとやれないなりにやれることは必ずある」と認識することです。
疲れていても、寝不足であっても、まったくなにもできないということは考えにくいものです。ほんの1分であっても、本の1ページや2ページくらいは読めますよね。ただ、多くの人は、先にお伝えしたように「適当にやったら駄目だ」「これくらいのことをやらないといけない」などと、勝手に自分で基準を決めてしまっています。
でも、たとえば疲れていて集中力が普段の30%くらいしかない状態であれば、本来自分に求めることの30%やれば、100%の努力をしたことになるはずです。この問題の解決は、いまの自分の状態でやれることをやればいいという、比較的シンプルなゲームなのです。
多くの人は「成果」に注目するがゆえに、「どうせやるならきちんとやろう」と考え、「きちんとできないのならいまはやめておこう」と行動を起こさなくなります。でも、そもそも行動をしなければ成果もなにもありません。「いまの自分の状態でやれることだけをやろう」と考えられれば、「着手しない」という問題を解決できるのだと思います。
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