「セルフ・コンパッション」とは、近年、アメリカを中心に研究が進んでいる「自分を思いやり、慈しむ」ためのメソッドです。その言葉の響きからすると、「自分を甘やかす」といったあまりよくない印象を受ける人もいるかもしれません。
ところが、国内におけるセルフ・コンパッション研究の第一人者である中央大学文学部教授の富田拓郎(とみた・たくろう)先生は、「セルフ・コンパッションの程度を高められれば、困難を乗り越える力やチャレンジ精神を高められ、それこそ強い人間になれる」と語ります。
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹
レジリエンスとチャレンジ精神を高める「セルフ・コンパッション」
「セルフ・コンパッション」とは、「自分を思いやり、慈しむ」こと。そうすることで心の平静を保ち、仕事をするうえでも日常生活でもさまざまな好影響を与えてくれるものです。
でも、「自分を思いやり、慈しむ」なんて言うと、「弱い人間がやることではないか」と思う人もいるかもしれません。どうしても、「社会に出たら、強くタフでないと困難な状況を乗り越えられないのだから、自分を思いやることなんて必要ない」「むしろ自分を追い詰めることが必要だ」というふうに考えがちだからです。
でも、実際には真逆です。自分を思いやり、慈しむことができる人ほど、困難な状況を乗り越える力を手に入れることができるのです。この力は、心理学においては「レジリエンス」と呼ばれます。近年は、子ども教育の場でも頻繁に使われる言葉ですから、聞いたことがある人も多いでしょう。
じつは、高いセルフ・コンパッションをもっている人ほどこのレジリエンスが高くなるという傾向にあり、かつチャレンジ精神が旺盛になる傾向にあることも近年の研究でわかってきたのです。
困難な状況を乗り越え、新たなことにチャレンジしていく――まさに仕事において大きな武器になる力を高めてくれるのですから、ビジネスパーソンならセルフ・コンパッションをできるだけ高めておくべきではないでしょうか。
親に甘えさせてもらった経験が足りない人は要注意
これらの関係性の背景についてはまだはっきりと言えるものではありませんが、おそらくは子どもの頃の生育歴とも関連があるかもしれません。
こんな話を聞いたことはないでしょうか。親に対する甘え行動のなかで、子どもは「お父さんとお母さんがいるここは絶対的に安全な場所だ!」ということを確認し、再び外の世界へ向かって冒険に出かけていく力を得ているという話です。安心感が維持される環境のなかで親に愛され、思いっきり甘えさせてもらう経験が、チャレンジし、困難を乗り越えるための強い力を育んでいるのです。
ただ、大人になって親に甘えるわけにはいきませんよね? でも、子どもの頃に親にきちんと甘えることができた人は、いい意味で自分を自分で甘えさせる行動——つまり、セルフ・パッションをうまくできると推測できます。
ところが、親に十分に甘えさせてもらう経験が足りないまま大人になった人は、自分を甘えさせるセルフ・コンパッションもうまくできませんし、それこそ失敗をしてしまえば「自分は存在価値のない人間なのではないか……」「自分はもっと頑張らないといけない人間なんだ……」と感じて自分を追い詰めてしまうのです。
足の裏の感覚を意識すれば、「セルフ・コンパッション」が高まる
では、チャレンジをしても失敗するたびに自分を追い詰めてしまうような人のために、簡単に実践できるセルフ・コンパッションのメソッドをひとつ紹介しましょう。それは、「歩くときに足の裏の感覚を意識する」というものです。
ビジネスパーソンはなにかと忙しいものですが、リモートワークが広まっているいまなら、以前よりゆっくり散歩をすることもできるはずです。あくせくせわしなく歩くのではなく、なるべくゆっくり歩きながら、足の裏の感覚をじっくりと感じてみましょう。時間は30秒でも1分でもOKです。
歩くという行為はあまりに当たり前のものですから、ウォーキングやランニングを趣味にしている人でなければほとんど意識するものではありません。ところが、いざ足の裏の感覚を意識してみると、「足の裏って意外と小さいな」と感じるはずです。たかだか20数センチの足が、何十キロもの体重を一生懸命に支えているのです。
すると、「私の足、頑張ってるなあ」って思えてきませんか? そこで、「頑張ってるぞ!」と足に声をかけてあげましょう。これなら、自分自身を思いやり慈しむことが苦手な人であっても、足をいわば親しい友人のような存在に見立てることで自分の足を思いやり、慈しむことができるはずです。そのため、セルフ・コンパッションの最適な練習になるのです。
そしてなにより、なにかにチャレンジをして失敗したときには、「一歩踏み出したことがすばらしいんだ!」と意識しましょう。人は、失敗したことばかりに目を向けがちです。でも、そのチャレンジをして失敗した人があなたの友人だったらどうしますか? 優しい言葉をかけて励ましてあげるはずです。その姿勢と言葉を、自分の足や体、そして自分自身に向けて示してあげてください。そうすればおのずと、再び立ち上がり、チャレンジし、困難を乗り越えるための力が湧き上がってくるはずです。あなたも、自分自身ともっと「友人」になってみませんか?
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【プロフィール】
富田拓郎(とみた・たくろう)
1968年8月15日、東京都生まれ。中央大学文学部心理学専攻 教授。博士(人間科学)、臨床心理士、公認心理師。1997年、早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程満期退学。国立精神・神経センター精神保健研究所社会精神保健部流動研究員および特別研究員、同司法精神医学研究部研究員、東京都スクールカウンセラー、関西大学准教授、同教授などを経て現職。専門は臨床心理学で、特に流死産によるグリーフ、トラウマ、マインドフルネスとコンパッションに関する研究を積極的に行っている。2019年1月に米国でマインドフル・セルフ・コンパッションの指導者養成トレーニングを修了。著書に『公認心理師試験 問題と解説』(学樹書院)などがある。
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。