なんだか頑張ってる自分ってかっこ良い気がして、ついつい「最近全然寝れてないんだ」と寝てない自慢をしてしまったり、忙しいことを声高に話してしまったこと、ありませんか? それはSNSで一番イタいとされている行為。 今「ドキリ」とした人、もしかしたら「自分が頑張った度合」と「実際の仕事の質や結果」を混同してしまっているかもしれません。
頑張った時間を指標にするのはやめる
アスリートの為末大さんは、著書『負けを生かす技術』の中で次のように語っています。
努力すること、苦しむことと成果が必ずイコールであるという一種の信仰のようなものが、日本人には強くある。(中略)だが、量には実は意味はほとんどない。5時間の中にも濃淡があり、濃い部分を抜き出して最大化していくことが重要になる。
[引用元:為末大『負けを生かす技術』]
この直前の部分で、10分で一定の成果を生み出す努力と、5時間かけても少ししか生まない努力ならどちらがいい努力かを為末さんは問うています。 確かに結果がついてこなくても、「あなたは頑張ったよ」という慰め方はよくされますし、努力を認めるという考え方は間違っていません。それに、量をこなすことが質へつながることも事実。ただ、忘れてはいけないのは、かけた時間を評価対象、あるいは指標にしてはいけないということです。
寝ていない自慢をやめる
「一日のうち2時間課題に集中して終わらせて、あとは遊んでいました」という人と「昨日は一日課題に取り組んでいて、深夜に終わったから全然寝てないよー」という人がいたとします。日本では後者のほうが頑張ったと評価されがちです。寝ていない自慢が横行しているのも、こういった現状があってのことでしょう。 しかし、同じ課題をやっていたはずのこの二人は、どちらが濃い集中の時間を持っていたと言えるでしょうか。答えは当然、前者ですよね。
このように、私たちはつい「かけた時間」や「どれだけ大変だったか」で評価してしまいがちです。それが行き過ぎると、成果そのものよりも、「頑張ってる自分ってかっこいい」という感じに、かけた時間や大変さを目的にしてしまうことも少なくありません。 結果が同じであれば、短時間であればあるほど良いに決まっています。時間を本当に有意義に使って着実な結果を出すためにも、かけた時間や大変さ指標にするのはやめるべきでしょう。
結果としてかかった時間によって仕事に愛着を持つことは否定しない
最後に、仕事、努力、やりがいの関係について心理学者のダン・アリエリー氏が行った興味深い実験を紹介します。
被験者におりがみと鶴を折る手順を書いた紙を渡します。被験者は全員、おりがみ初心者です。 実験は二人一組で行い、一人が実際に鶴を折り(製作者)、もう一人はそれをじっと見ています(観察者)。 そして手順書通りに折って鶴が出来上がると、「売るとしたらいくらの値段をつけるか」を二人に尋ねます。出来上がった鶴は、初心者が作った不格好なもの。結果は、製作者が観察者の5倍もの値を付けるというものになりました。
製作者に「どんな思いでその値を付けたか」を訪ねると、「自分が頑張ったから」という回答よりも、「頑張って作った結果、気に入っている鶴だから、観察者も気に入るに違いないと感じた」人の割合のほうが高かったのです。
その次に、手順書の一部を隠して難易度を上げ、同じ実験過程を繰り返しました。結果、製作者と観察者のつける値段にさらに開きが出たのです。
仕事において十分な努力をすることで、人はその仕事をより好きになり、さらには他人が自分と同じように仕事に対し価値を見出してくれていると思える
[引用元:BRIGHT|私たちは何のために働いているのか?やりがいのある働き方について考えてみる]
という訳なのです。努力そのものを評価して欲しい、という気持ちとは別に、努力や苦労、費やした時間によって愛着がわき、他者も同じ様に評価してくれる、と感じるのですね。 エリアリー氏は、これを、イケアの組み立て家具を自分で組み立てたほうがその家具に対して愛着が湧くという経験をもとに、イケア効果(IKEA Effect)と呼んでいます。苦労をして一生懸命打ち込んだ仕事ほど愛着が湧くというのも、人間の心理なのです。
努力を目的にしてしまうような“手段と目的の混同”が起こるのには、こういった心理学的な背景もあったのです。
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いかがでしたか。頑張ることでその仕事に対して愛着が湧くのはとてもいいことです。ただ「頑張り」そのものを目的にして疲弊してしまったり、だらだらと時間を過ごして、「○○時間机に向かっていたから、頑張った!」と思い込んでしまうことのないよう、気を付けていきたいですね。
参考 99U|Nobody Cares How Hard You Work 為末大|2013|朝日新聞出版|負けを生かす技術