「手書きが脳にいい」という話は、多くの人が耳にしたことがあるでしょう。脳神経内科・認知症の専門医である長谷川嘉哉(はせがわ・よしや)先生も、そう主張するひとりです。
日々の生活の中で手書き習慣を大事にしている長谷川先生が、ビジネスパーソンに向けて特におすすめと言うのが、「思い出せなかったノート」というもの。そのノートは、ビジネスにおいてどんな力を発揮してくれるのでしょうか。
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹
自分の「思い出せないパターン」を知り、克服する
脳神経内科を専門としている立場として、私は、脳をしっかり使う「手書き」をおすすめしています(『医師「手書きが脳にいいのは当然」――脳を刺激する “最高のアナログ習慣” してますか?』参照)。
私の場合は、それこそ日頃のメモからそのまとめも手書きしますし、それからこれは手書きではないのですが、本を読んだり映画を観たりしたら、その感想を必ず書き残すようにしています。いずれにせよ、書くという行為を続けることが、脳の神経ネットワークを維持するために重要なのです。
なかでもおすすめしておきたいのが、私が「思い出せなかったノート」と呼んでいるもの。これは、その名のとおり、思い出せなかったことを書くノートです。誰かと会話をしていて、人の名前を思い出せなかった。そういうときに、すかさずそのノートに書き込みます。
人にはそれぞれ、思い出せないパターンがあります。たいていは、人や本の名前、地名など固有名詞ということが多いでしょう。私の場合、以前に雇っていた従業員の名前をどうしても覚えられなかった……。最後の最後、その従業員の送別会での挨拶のときでさえ、名前が出てこなかったくらいです(苦笑)。
では、この「思い出せなかったノート」にはどんなメリットがあるのか。まずは、どうしても覚えられないことをきちんと覚えられるようになるということ。いま、私は先に例に挙げた元従業員の名前をきちんと覚えています(笑)。自分の覚えられないパターンを知ることで、苦手を克服したわけです。
これがとても大切なこと。苦手なことを得意に変えるのは、すごく心地いいですよね。覚えられなかったことを覚えられたことで、快感が得られるのです。
「快感」を伴う書く習慣が脳を活性化する
そして、その快感こそが脳にとって大切なのです。私は多くの認知症患者と接しているため、その家族などから「こういうことが認知症の改善に役立つと聞いたのですが、やったほうがいいですか? やらないほうがいいですか?」というふうな相談を頻繁に受けます。でも、何をやるにも、結局のところは本人が「心地いい」と感じているかどうかで選択すべきです。
というのも、人間は、快感という感情が伴うほど、何かをやるにも長く続けられるし、記憶にも残りやすいからです。外部から脳に入った情報は、脳の記憶を司る海馬という部分に入るより先に、感情を司る扁桃核という部分で認識されます。つまり、脳をうまく刺激するには、まず扁桃核を刺激しなければならない。そのためのコツが、心地いいことをやることなのです。
認知症の治療にはモーツァルトの音楽を聴くことがいい、という話を耳にしたことはないでしょうか。でも、モーツァルトが心地いいと感じない人に無理に聴かせても、なんの意味もありません。「俺はジャズが好き」「ビートルズがいい」という人なら、それぞれジャズやビートルズを聴くべきなのです。
ですから、極端な話、私がすすめる「思い出せなかったノート」も、「どうしても得意じゃない」「心地良くない」と感じるなら、無理にやる必要はありません。ほかに自分にとって心地いい書く習慣を見つければいいだけの話です。
「思い出せなかったノート」で自らの失敗パターンを知る
でも、ビジネスパーソンの人には、やはり「思い出せなかったノート」を習慣づけることを改めておすすめしておきたいですね。というのも、仕事を進めるうえで、「思い出せなかったノート」が大きな武器になるからです。その最大の効果は、警鐘を鳴らしてくれるということ。
「思い出せなかったノート」とは、言ってみれば「失敗したリスト」でもある。それを書き続けることで、自分の失敗のパターンを知れます。すると、何が起きるのか。「これは過去に失敗したケースだぞ」というふうに、事前にアンテナが働くようになるわけです。
たとえば、新しいクライアントの担当者に会いに行ったとき、思いのほか話が弾んで、「これは仕事もスムーズに進められそうだ」と思ったとします。でも、失敗というのは、そういった気の緩みから起こることもよくある。そうして、何度も同じような失敗をしてしまった経験がある人もいるのではないでしょうか。
でも、「思い出せなかったノート」を書く習慣があったとしたらどうでしょうか。何度となく見返しているうちに自分の失敗パターンを知ることができるわけですから、「こういうときこそ気をつけなければいけないぞ!」と自分を戒められます。そうして、「思い出せなかったノート」は、ビジネスにおける自分だけの大きな武器となっていくはずです。
【長谷川嘉哉先生 ほかのインタビュー記事はこちら】
医師「手書きが脳にいいのは当然」――脳を刺激する “最高のアナログ習慣” してますか?
医師がおすすめ! 1日を振り返る “あの習慣” で得られる3つのメリットがすごい。
【プロフィール】
長谷川嘉哉(はせがわ・よしや)
1966年2月14日生まれ、愛知県出身。名古屋市立大学医学部卒業。医学博士、日本神経学会専門医、日本内科学会専門医、日本老年医学会専門医。毎月1000人の認知症患者を診療する日本有数の脳神経内科、認知症の専門医。祖父が認知症であった経験から、2000年に認知症専門外来及び在宅医療のためのクリニックを岐阜県土岐市に開業。これまでに20万人以上の認知症患者を診療した結果、認知症と歯、口腔環境の関連性にいち早く気づき、訪問診療の際に歯科医・歯科衛生士による口腔ケアを導入。さらに、自らのクリニックにも歯科衛生士を常勤させるなどし、認知症の改善、予防を行い、成果を挙げている。「医科歯科連携」の第一人者として各界から注目を集める。『認知症専門医が教える! 脳の老化を止めたければ歯を守りなさい!』(かんき出版)、『一生使える脳 専門医が教える40代からの新健康常識』(PHP研究所)、『親ゆびを刺激すると脳がたちまち若返りだす!』(サンマーク出版)、『公務員はなぜ認知症になりやすいのか』(幻冬舎)、『患者と家族を支える認知症の本 増補版』(学研メディカル秀潤社)、『介護にいくらかかるのか? いざという時、知っておきたい介護保険の知恵』(学研教育出版)など著書多数。
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。