『粗にして野だが卑ではない』国会議員を叱りつけた気骨の人・国鉄総裁 石田礼助

みなさん、石田礼助(1886-1978)と言う方をご存知ですか?

明治男の彼は、東京高等商業学校(現・一橋大学)を卒業後、超エリートとして三井物産に35年勤務。その間、シアトル、ボンベイ、大連、カルカッタ、ニューヨークの各支店長などを歴任し、欧米流の合理的経営手腕で素晴らしい業績をあげて副社長まで上り詰めました。

普通なら、誰でも、その後はのんびり隠居して、平穏で楽な生活を続けたいと思うでしょう。しかし彼は、1963年、何と78歳もの高齢で、何ひとつ権限のない仕事と言われ誰もが敬遠した不遇のポスト、国鉄総裁を引き受けたのです。

当時昭和30年代の国鉄は「親方日の丸」の象徴的な組織で、強固な組合、職員の堕落、汚職、政治家からの圧力(利権)と、大変な問題を数多く抱えていました。このように問題山積みであった組織の総裁職を、石田氏は世の中のために尽くす「パブリックサービス」として捉え、世に尽くすことではじめて天国へ行ける「天国への旅券」を手に入れたのだと言い表しました。そして、三井物産での長い海外生活で培った合理的な考え方と気骨ある言動によって、6年の間身を挺して国鉄改革を進めたのです。

そんな豪快な石田氏が生涯のモットーとして唱えていたのは、「粗にして野だが卑ではない(言動が雑で粗暴であっても、決して卑しい行いや態度をとらない)」。そして、国鉄総裁在任中は自らを「ヤングソルジャー(若い戦士)」と称し、改革に挑みました。

「私の信念は何をするにも神がついていなければならぬということだ。それには正義の精神が必要だと思う。こんどもきっと神様がついてくれる。こういう信念で欲得なくサービス・アンド・サクリファイス(奉仕と犠牲)でやるつもりだ」

(カッコ内は筆者にて補足した) (引用元:城山三郎(1992),『粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯』, 文藝春秋.)

寿命が延び、誰でも人生100年計画が必要になっている今、最後まで気骨を保ち、しっかりと人生を歩んでいくためには、自分の信条を持つことが必要です。今はまだ若手だからと、これと言った信条を持たずに働いている人もいるでしょう。しかし若手ビジネスパーソンであっても、いずれ後輩・部下ができたり組織をまとめる立場に立ったりして、会社における自分の位置はどんどん変わっていきます。

十年後、数十年後、自分はどんな信念をもって働いているか、想像できますか? 他者の模範になることはできているでしょうか? あなたはこれから先、どんな仕事人生を送っていきたいと考えていますか? 石田氏の生き様を知ることは、このようなことを考えるうえで大いに励みになるはずです。

財界人がみんな尻込みする中、火中の栗を拾う覚悟で国鉄改革を成し遂げた、痛快な日本人の堂々たる美学とポリシーを見てみましょう。

合理主義者であれ

石田氏は、三井物産時代、船の運賃や先物取引相場などで、周りの意見に流されず、独自のリスクをとって利益をあげつづけました。一方で、「俺が相手にする奴はエイブルマン(仕事のできるやつ)だけだ」と言い、政治的駆け引きや根回しを極度に嫌っていたといいます。

また、英語に堪能で異文化への造詣も深かった石田氏は、相手の非を責めようとする外国人から一方的な詰問に遭った際、聖書の言葉「罪無き者、石を持て打て(※)」を引用して即座に切り返し、詰問の無意味さを指摘。逆に「偉大な説教者(グレートプリーチャー)」であると尊敬されたのだそうです(※自分の罪を棚に上げて他人の罪を裁くことはできない、の意味)。

このように合理的な考えでいることが、石田氏の仕事人生の根幹にありました。その考え方がなければ、三井物産勤務から国鉄総裁に至るまでの業績を挙げることなど到底できなかったでしょう。

私利私欲を持たず、率直に言う

国会対策など憂鬱な役回りも「怖いものなし」の石田氏は、何事にも真摯な態度で毅然と立ち向かいました。

そのストレートな物言いは相手を選ぶことなどありませんでした。民間企業出身でありながら、「国鉄が今日の様な状態になったのは、諸君(国会議員)たちにも責任がある」と率直に発言したため、代議士たちは「無礼なこと」と怒り、あきれたのだそうです。

また、石田氏の行動は、そうした率直な発言内容と見事に一致するものでした。国鉄総裁在任中は、「公職は奉仕すべきもの、したがって総裁報酬は返上する」と宣言していました。当初は月10万円のみ得ていましたが、総裁就任と同年に発生した鶴見事故(列車脱線多重衝突事故)の後は、1円の給料も得ず、受け取ったのは1年あたり洋酒1本、これだけだったそうです。

道理のないことには迎合しない。言うのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。石田氏は、それを立派に体現していました。

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現場に任せて、責任はとる

石田氏は、政治や利権のにおいのする陳情には、決してとり合いませんでした。それは、そういった陳情に総裁が口出しすれば、現場が混乱するから。職員の改革への意欲を失わせることになるので、いかがわしい声はすべて黙殺すべきだという考えに立っていました。

また、現場の国鉄職員に対してはいつも「ただパンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ」と励まし、ノンキャリア組を抜擢することにも積極的でした。能力のある者には、学歴や年功を問わず、2階級・3階級昇進の道をひらいたといいます。例えば、中学校卒の炭鉱所長が難しい労働問題を解決したことを評価し、「苦労したから一番いいところへ持ってきてやれ」と言って全国最大の東京鉄道管理局長に、さらに常務理事へと登用しました。

現場を尊重した姿勢は、「おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ」と誰にでも大声で聞いたというエピソードにも表れています。

現場のことは現場に聞く、謙虚な姿勢を持ち続けたこと。そして、総裁だから責任はとるが、だからと言って偉そうに振る舞うのではなく、いつもオープンに愛情豊かな接し方をしていたこと。これらのことが、誰からも親しまれた理由だったのですね。

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人間はつい、弱さ、無力さを感じると卑に流されがちになるもの。「卑でない」生き方を貫いた、気骨のある石田礼助に惹かれる人は多いのではないでしょうか。朝ご飯の時にも家族にちゃんとした服装をする規律を求めたというエピソードからも、卑をよしとしない生き方が垣間見えます。

石田氏が好んだのは『座頭市』。『水戸黄門』は、印籠を持ち出して威張る(権威を振りかざす)ところが嫌いだったそうです。権威ある地位に就いていながら、最後まで権威は本当にいやだったのですね。

(参考)
Wikipedia|石田礼助 城山三郎(1992),『粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯』, 文藝春秋.
名言DB|石田礼助(石田禮助)の名言 一覧

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