なにも『あきらめない』ことで、あなたの試合は終了する

全部やっているのに何もものにならない――個人に許されていない「選択と集中」資格の勉強も、副業も、英語も、SNSでの発信も——全部やっている。手帳は埋まっているし、隙間時間も無駄にしていない。むしろ、人より頑張っているほうだと思う。

なのに、1年経って振り返ると、どれひとつ「ものになった」と言えるものがない……。

努力が足りないのでしょうか。違います。使っている時間の合計は、おそらく十分です。

問題は、その時間をたくさんのことに分けて使っていること。同じ3時間でも、ひとつのことに使うのと、3つのことに1時間ずつ使うのとでは、身につく量が違います。分けて使うと、切り替えるたびにロスが出る。3時間使ったのに、身についたのは2時間分——脳の仕組み上、そんなことが起きるのです。

この記事では、「何もあきらめない」というやり方がなぜ脳にとって不利なのかを確かめながら、企業経営では当たり前なのに個人は自分に許していない「選択と集中」について考えます。

先に言っておくと、これは「夢をあきらめろ」という話ではありません。本気でものにしたい何かのために、資源を取り戻す話です。

「全部やる」は、全部の「上限」をあきらめる選択である

注意力やワーキングメモリといった認知資源は、有限です。どれだけ意欲があっても、一日に深く考えられる量には上限がある。

私たちは、その限られた資源を何に使うかという選択から、降りることができません。

明治大学教授の堀田秀吾氏も、脳のエネルギー配分と作業の重要度がかみ合わないままでは効率が下がり、配分を設計できているかどうかがそのまま成果の差として表れる、と指摘しています。*1

「どれもあきらめずに全部やる」と決めたとき、あなたは何もあきらめていないように見えて、実際にはすべての取り組みの「到達できたはずの上限」をあきらめています

AとBとCを並行させるとは、Aに注げたはずの資源をBとCに割くこと。つまり、Aが行けたはずの高さの一部を手放すことです。BもCも同じです。

「あきらめない」は、選択の回避ではありません。「全部を中くらいまで」という、無自覚に行われている選択なのです。

「全部やる」は全部を中くらいまでという選択――有限な認知資源が分散していくイメージ

「ちょっとずつ」が足し算にならない理由——切り替えるたびに、目減りする

「でも、合計の時間は同じでしょう? 3時間を1つに使うか、1時間ずつ3つに使うかの違いだけでは」と思うかもしれません。

同じではないのです。1時間ずつ3つやって得られるものは、1つに3時間使って得られるものより少ない。これが並行スタイルの最大の誤算です。

組織心理学者のソフィー・ルロイは、脳がタスク間で注意を切り替えることの難しさを研究し、注意の一部が前のタスクに残ったまま、次のタスクに完全には移れない現象を「注意残余(attention residue)」と名づけました。*2

切り替えそのもののコストも、認知心理学では古典的な知見です。同じ量の作業でも、タスクを切り替えながら行うと反応時間とミスが増えることが繰り返し確認されています。*3

「自分はマルチタスクはしていない。一度にひとつのことしかやらない」という人も、油断はできません。月曜は英語、火曜の夜は副業、週末は資格——1日単位ではシングルタスクでも、1週間の視点で見れば、立派なマルチタスクです。切り替えのたびに「前回どこまでやったっけ」と文脈を復元するコストを払い、頭のどこかに残った別案件の残余に資源を削られる。

並行している取り組みは、定義上すべてが常に「未完了」です。心理学では、完了した課題より未完了の課題のほうが頭に残り続ける傾向(ツァイガルニク効果)が古くから知られています。英語をやっているあいだは副業が、副業をやっているあいだは資格が、「遅れてるぞ」と頭の片隅でうずく——。

「ちょっとずつ全部」とは、何をやっていても、残り全部に資源を吸われ続けるやり方なのです。

切り替えるたびに目減りする――注意残余とタスクスイッチングのコストを表すイメージ

かけた時間は多いのに、成果はゼロに見える——「全部が水面下」で起きていること

目減りの問題に加えて、もうひとつ厄介なことがあります。成果は、かけた時間に素直に比例してくれないのです。

語学でも、副業でも、発信でも、多くの取り組みには「ここを超えると急に景色が変わる」という水面のようなラインがあります。英語なら、聞き取れる瞬間が増え始めるまでの量。副業なら、最初の顧客がつくまでの集中度。発信なら、反応が返ってき始めるまでの続けた量。

ひとつあたりの時間が少ないままでは、このラインに届きません。しかも悪いことに、間隔が空いた学習や作業は、忘れた分の取り戻しに時間を食われて、純粋な積み上がりがさらに減ります。

かけた時間の合計は人一倍多いのに、すべてが水面下にあるため、成果は「ゼロが並んでいる」ようにしか見えない

これが、「全部やってるのに、何もものにならない」の正体です。頑張りが足りないのではない。1点も水面の上に出ていないだけなのです。

この状態は、認知面でさらに不利に働きます。行動経済学者のセンディル・ムッライナタンらは、著書『いつも「時間がない」あなたに』で、「欠乏」の感覚が人の処理能力そのものに負荷をかけることを示しました。実際、欠乏の懸念が認知機能を低下させることは、科学誌『サイエンス』掲載の研究でも報告されています。*4

常に何かが遅れていて、常に何かが足りない。その感覚が考える力に「税」をかけ、目の前の1時間の質まで下げていく。頑張っているのに、頑張りの単価が下がっていく——いわば「あきらめないことの多重債務」です。

あきらめた人のほうが、幸福だった——撤退と再投資はセットである

じつは心理学には、目標をあきらめることを正面から扱う研究の系譜があります。

心理学者カーステン・ロッシュらの研究によれば、効果的な目標調整は2つのステップからなります。達成が見込めない目標から手を引き、心理的な関与を解くこと(離脱)。そして、意味のある追求へ資源を振り向け直すこと(再関与)です。*5

30以上の独立したサンプルを統合したメタ分析では、この離脱と再関与をうまく行える人ほど、心理的ウェルビーイングと生活の質が高いことが示されています。*6

注目すべきは、研究上の「あきらめ」が撤退と再投資のセットとして定義されている点です。資源を引き揚げて終わり、ではない。引き揚げた資源をどこに張り直すかまで含めて、初めて「戦略的なあきらめ」になる。企業の事業撤退とまったく同じ構造です。

戦略的なあきらめは撤退と再投資のセット――引き揚げた資源を振り向け直すイメージ

選べないなら、「期限つきの賭け」にする——個人版・選択と集中

簡単に絞れないのには、理由があります。どれが当たりか、わからないからです。成果が出ているものがひとつでもあれば、とっくにそこへ集中しているはず。手応えがどこにもないから、全部に保険をかけ続けてしまうのです。

順序が逆なのです。どれが当たりかは、水面の上に出して初めてわかります。全部を水面下で泳がせている限り、「ものになったものを残そう」という判断材料は永遠に手に入りません。手応えは選ぶための前提ではなく、集中した結果だからです。

最初から正解を選ぼうとしない。期限を切ってひとつに集中し、そこで得た手応えをもとに、続けるか入れ替えるかを決める。やり方は次のとおりです。

1. 棚卸しする
いま並行して動かしているものを、大小問わず全部書き出します。出てきた数が、毎週あなたの資源を分け合っている口の数です。なお、書き出すこと自体に効果があります。未完了の課題も、具体的な計画として紙に固定すると頭の中の占有が緩むことが実験で示されています。*7

2. ひとつ残して、残りを「凍結」する
廃棄ではありません。「3か月後の◯月◯日まで止める。再開するかはそのとき決める」と再開日を決めて宣言する。期限のない中断はうずき続けますが、期限を切った凍結は未完了のループを閉じます。

3. 期限が来たら、「手応え」で判定する
問うのは「成功したか」ではなく、「集中投下して初めて見えたものがあるか」。あれば続行。なければ凍結していた別のひとつと入れ替える。はずれでも失うのは3か月だけ。一方、ちょっとずつ全部のやり方では、この情報は何年経っても手に入りません。

ポイントは、あきらめを「永遠の決断」から「期限つきの実験」に格下げすることです。重い決断はできなくても、3か月の実験ならできる。そして実験を1周回した人だけが、「何を残すか」を情報に基づいて選べるようになります。

あきらめは敗北ではなく、資源の再配置である

企業が不採算事業から撤退するとき、私たちはそれを敗北とは呼びません。経営判断と呼びます。資源を成長領域に集中させるための、合理的な再配置だからです。

ところが個人になると、突然「一度始めたことは続けるべき」という規範が顔を出します。撤退の自由を、自分にだけ認めていないのです。

何かを凍結した瞬間、その取り組みが毎週吸っていた認知資源が手元に戻ってきます。それは、残すと決めたひとつへの、最も確実な投資です。

***
「あきらめない」は美徳です。ただしそれが美徳であるのは、何に資源を集中させるかを選んだうえでの「あきらめない」である場合に限ります。

「あきらめたらそこで試合終了」という有名な台詞があります。あれは、出る試合を決めた選手に向けられた言葉です。十の試合を同時に掛け持ちしている人に必要なのは、逆の言葉かもしれません。出る試合を、ひとつ決めること。残りのコートから、期限を決めて降りること。

全部にちょっとずつしがみつくことと、ひとつをあきらめないことは、違う。むしろこう言えるかもしれません——何かを本気であきらめたことのない人は、まだ何かに本気で集中したことがないのだと。

よくある質問(FAQ)

Q. 毎日ひとつのことに集中しているのに、なぜマルチタスクと同じ問題が起きるのですか?
A. 1日単位ではシングルタスクでも、月曜は英語、火曜は副業、週末は資格というように複数の取り組みを並行していれば、1週間の視点ではマルチタスクになっています。切り替えのたびに前回の文脈を復元するコストを払い、注意の一部が別の取り組みに残り続ける「注意残余」にも資源を削られます。並行する取り組みはすべて常に未完了のため、何をしていても残りの案件が頭の片隅で資源を消費し続けます。
Q. 人一倍頑張っているのに成果が出ないのは、努力不足だからでしょうか?
A. 必ずしもそうではありません。多くの取り組みには、そこを超えると急に手応えが変わる「水面」のようなラインがあり、ひとつあたりの時間が少ないままではこのラインに届きません。かけた時間の合計が多くても、すべてが水面下にあると成果はゼロが並んでいるように見えます。さらに、常に何かが遅れている欠乏の感覚は処理能力そのものに負荷をかけることが研究で示されており、頑張りの単価自体が下がっていきます。
Q. どれが当たりかわからないので、ひとつに絞れません。どうすればいいですか?
A. 手応えは選択の前提ではなく、集中の結果です。全部に薄く張っている限り、判断材料となる手応えは永遠に得られません。そこで「正解を選ぶ」のではなく、期限を切ってひとつに張る「期限つきの実験」に切り替えます。残りは再開日を決めて凍結し、期限が来たら「集中して初めて見えたものがあるか」で判定する。はずれでも失うのは数か月だけで、入れ替えればよいだけです。
Q. あきらめることは、逃げや敗北ではないのでしょうか?
A. 心理学の研究では、達成が見込めない目標から離脱し、意味のある追求に資源を振り向け直す「目標調整」がうまい人ほど、心理的ウェルビーイングと生活の質が高いことがメタ分析で示されています。企業の事業撤退が経営判断と呼ばれるように、個人のあきらめも資源の再配置として捉えられます。重要なのは撤退で終わらせず、回収した資源をどこに集中させるかまで決めることです。

【ライタープロフィール】
STUDY HACKER 編集部

「STUDY HACKER」は、これからの学びを考える、勉強法のハッキングメディアです。「STUDY SMART」をコンセプトに、2014年のサイトオープン以後、効率的な勉強法 / 記憶に残るノート術 / 脳科学に基づく学習テクニック / 身になる読書術 / 文章術 / 思考法など、勉強・仕事に必要な知識やスキルをより合理的に身につけるためのヒントを、多数紹介しています。