なぜスタンレーのタンブラーは突如として売上を10倍に伸ばしたのか【新人さんのためのマーケティング講座 Season4 vol.18】

📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season4

Season3までは、事例を中心にマーケティングの原則を学んできました。
Season4では、Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。

まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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2023年11月、1本のTikTok動画が全米を震撼させました。

車が全焼し、車内はすべて灰になっている。ところがカップホルダーに残されたスタンレーのタンブラーだけが、ほぼ無傷。しかも振ると、なかから氷の音がする

投稿者のダニエル(@danimarielettering)はこう言いました——「火事のあとでも喉が渇いた? スタンレーが『大丈夫、任せて』って」。この動画は9,400万回以上再生され、スタンレー社長テレンス・ライリーが24時間以内にTikTokで返答。新品のタンブラーに加え、彼女に新車をプレゼントすると宣言しました。*1

しかし驚くべきは、この「奇跡のコップ」を作ったスタンレーが、かつては「建設現場のおじさんの水筒」だったという事実です。ダークグリーンの無骨なボトル。ターゲットは「アウトドアと肉体労働に従事する男性」。社長自身が当時のブランドイメージを「グリーン、男性的、そしてホット(保温)」と表現していました。*2

それが2019年の年間売上7,300万ドルから、2023年には7億5,000万ドルへ。わずか4年で売上10倍。*3 パステルカラーのタンブラーを手にしているのは、建設現場の男性ではなく、全米の女性たちです。

いったい何が起きたのでしょうか。

3人の女性ブロガーが変えた、110年企業の運命

2016年、スタンレーは新製品「クエンチャー」を発売しました。40オンス(約1.2リットル)の大容量タンブラー。ハンドル付き、ストロー付き、車のカップホルダーに収まるサイズ。しかし売上は伸びず、2019年にはオンラインストアから姿を消しかけていました。

転機は、3人の女性が訪れます。

アシュリー・レシュア、テイラー・キャノン、リンリー・ハッチンソン。彼女たちは2017年に「The Buy Guide」というショッピングブログを立ち上げ、インスタグラムの2本目の投稿でクエンチャーを紹介しました。「あらゆる保温カップのなかで、これが一番。信じて(Just trust)」。*4

彼女たちのフォロワーは97.7%が女性、年齢層は25〜45歳。スタンレーの従来のターゲットとは真逆です。しかしクエンチャーは「紹介するたびに即完売」を繰り返しました。*4

3人は懸命にスタンレー本社にアプローチし、ついに営業マネージャーのローレン・ソロモンとの接点を得ます。ソロモンの仲介で3人はコロラド州のアウトドア見本市に飛び、経営陣に直訴しました——「あなたたちは、このカップを間違った人たちに売っている」。*4

スタンレーは半信半疑ながら、The Buy Guideに5,000個を卸値で販売する契約を結びます。結果、5,000個が4日で完売。追加の5,000個は1時間で完売しました。*4

2020年、元クロックスCMOのテレンス・ライリーが社長に就任。彼はこの「意外な隣人」からのシグナルを見逃しませんでした。クエンチャーを100色以上のカラーバリエーションで展開し、ウェブサイトのトップページを「ピンクのタンブラーを持つ女性」に刷新。ターゲットを180度転換したのです。*2

  Before(〜2019年) After(2020年〜)
ターゲット アウトドア・肉体労働の男性 25〜50歳の女性(忙しい母親、働く女性)
ブランドイメージ 「グリーン、男性的、保温」 「カラフル、ライフスタイル、ウェルビーイング」
商品の見せ方 キャンプ用品売場の「丈夫な魔法瓶」 キッチンやデスクに映える「ファッションアイテム」
カラー展開 グリーン中心の数色 パステル含む100色以上
年間売上 7,300万ドル(約110億円) 7.5億ドル(約1,130億円)

ここで起きたのは、「商品を変えた」のではありません。「誰に届けるか」と「どう見せるか」を変えたのです。110年かけて磨き上げた「一生モノの頑丈さ」という本質はそのまま。それを「キャンプの道具」から「一日の水分補給(ウェルビーイング)」へ翻訳しただけ。名前もスペックも変えていません。

「水筒」を「ステータスシンボル」に変えた2つの心理戦略

しかし、ターゲットを変えるだけで売上が10倍になるわけではありません。スタンレーが巧みだったのは、2つの心理メカニズムを同時に起動させた点です。

① 社会的証明(Social Proof)——「みんなが持っている」が最強の広告

人は、周囲の行動を無意識に「正解」として参照します。心理学者ロバート・チャルディーニが提唱した「社会的証明」の原理です。

スタンレーはこれを、TikTokのUGC(ユーザー生成コンテンツ)で爆発的に増幅させました。#StanleyCupのハッシュタグはTikTokで72億回以上再生され、インフルエンサーから一般ユーザーまで、ありとあらゆる人が「マイ・スタンレー」を見せ合う文化が生まれました。*5

前述の車炎上動画だけで、スタンレーのTikTokフォロワーは220%増加(過去2年分の増加数を上回る)、推定メディア価値4,300万ドル。*1 しかもこれは広告ではなく、ユーザーが自発的に撮影した「リアルな体験」です。

「あの子も持っている。職場の先輩も持っている。TikTokのあの人も」——機能を超えた「所属欲求」が、45ドルのタンブラーへの購買を後押ししたのです。

② ドロップ戦略(Scarcity)——「タンブラー」を「コレクション」に変える

スタンレーのもうひとつの戦略は、まるでスニーカーブランドやストリートファッションのような「ドロップ型」の新色投入です。

季節限定色。ブランドコラボ(スターバックスとのバレンタイン限定ピンク、カントリー歌手レイニー・ウィルソンとのゴールドなど)。これらは発売と同時に完売し、二次流通市場では定価45ドルのタンブラーが200ドル以上で取引されました。*6

ここで作用しているのは、「希少性」の心理です。「いつでも買える」ものには人は動きません。しかし「いましか買えない」「次はいつ出るかわからない」と知った瞬間、購買の緊急度が一気に上がる。水筒にコレクション性を持たせるという発想は、常識的には不思議です。でも、「水を飲む」という最も日常的な行為を、「自分の健康意識の高さ」と「センスの良さ」を周囲に伝えるシグナルへと変えた——これがスタンレーの設計した心理の核心です。

「意外な隣人」の声を聞く勇気

さて、最後にこの話をあなたの仕事に引き寄せましょう。

スタンレーの事例が教えてくれるのは、あなたの商品の「本当の価値」を決めるのは、作り手ではなく、実は「意外な隣人」かもしれないということです。The Buy Guideの3人がいなければ、クエンチャーは2019年に廃番になっていたでしょう。110年企業が4年で売上10倍を達成できたのは、「既存顧客の外側」から聞こえてきた声を無視しなかったからです。

vol.9でワークマンが「職人の服」を「キャンプウェア」にリフレーミングした事例を紹介しましたね。vol.10ではサントリーが「おじさんのウイスキー」を「若者のハイボール」に変えました。スタンレーも構造はまったく同じです。

考えてみてください——「誰がこの機能を一番切実に必要としているか?」をゼロベースで問い直すこと。それだけで、100年の伝統を名前もスペックも変えずに、まったく新しい市場に届けることができる。

あなたがいま、マーケティングを担当している商品にも、きっと「まだ出会っていない、本当の顧客」がいるはずです。

 

商品の価値を決めるのは、作り手ではない。「意外な隣人」の声に、耳を傾けよう。

 

【本記事のまとめ】

1. スタンレーは4年で売上10倍(7,300万ドル→7.5億ドル)を達成した
1913年創業の「男性向け水筒メーカー」が、クエンチャーを「女性のライフスタイルアイテム」に再定義。商品自体は変えず、ターゲットと見せ方を変えた。

2. きっかけは、3人の女性ブロガー「The Buy Guide」だった
フォロワーの97.7%が女性のブログが、廃番寸前のクエンチャーを5,000個・4日で完売させ、スタンレーのターゲット転換を引き起こした。

3. 社会的証明とドロップ戦略の二段構え
TikTokのUGCが「みんなが持っている」という社会的証明を生み、限定色のドロップ戦略がコレクション文化と希少性を維持した。

4. 「誰がこの機能を一番切実に必要としているか?」を問い直そう
あなたの商品の「本当の顧客」は、まだ出会っていない「意外な隣人」かもしれない。

よくある質問(FAQ)

スタンレーの成功は「バズ」に頼っただけではないですか?

一見バズ頼りに見えますが、その前段階に構造的な戦略転換があります。The Buy Guideとの出会いを機にターゲットを女性に転換し、100色以上のカラー展開でファッションアイテム化し、アフィリエイトマーケティングの仕組みを整備した。車炎上動画は2023年11月ですが、売上の急成長は2020年から始まっています。バズは「仕上げ」であって「始まり」ではありません。

ドロップ戦略は「売り惜しみ」と同じですか?

似て非なるものです。売り惜しみは「在庫はあるが出さない」こと。ドロップ戦略は「短期間だけ限定商品を投入し、次の新しい選択肢を提供し続ける」ことです。スタンレーの場合、定番カラーは常時販売しつつ、季節限定色やコラボ商品で「いましかない」という緊急性を演出しています。顧客に「次もチェックしなきゃ」と思わせる継続的なリズムを作っているのがポイントです。

自社にはスタンレーほどの製品力がないのですが、ターゲット転換は可能ですか?

スタンレーの事例のポイントは「製品を変えなかった」ことにあります。クエンチャー自体のスペックは転換前後でほぼ同じ。変えたのはカラー、見せ方、そして誰に届けるかだけです。vol.9のワークマン(防寒着→キャンプウェア)、vol.10のサントリー(ウイスキー→ハイボール)も同様です。製品力よりも、「まだ出会っていない顧客セグメントの発見」と「その人たちに響く文脈での再提示」が成功の鍵です。

(参考)

*1 GSD&M / The Shorty Awards "The Car That Set Stanley on Fire" 受賞ケーススタディ。2023年11月15日、TikTokユーザー@danimarielettering(ダニエル・レタリング)が車全焼後もタンブラーに氷が残っている動画を投稿。再生数9,400万回以上。スタンレー社長テレンス・ライリーが24時間以内にTikTokで返答し、新品タンブラーと新車(2024年型Mazda CX-90)を贈呈。結果:TikTokフォロワー220%増、エンゲージメント200%増、推定メディア価値4,300万ドル(前年比249%増)。同四半期のクエンチャー売上は前年比275%増で、社史上最高の四半期を記録。
*2 Marketplace "Inside the Stanley tumbler collector economy"(2024年1月)。Stanley Global President テレンス・ライリーは、従来のブランドイメージを「green, male and hot」と表現。ライリーは元クロックスCMO(2020年スタンレー社長就任)。Retail Dive(2023年11月)ライリーインタビュー。
*3 CNBC報道およびWikipedia "Stanley (drinkware company)"。2019年の年間売上7,300万ドル(一部報道では7,000万ドル)→2023年7.5億ドル→2024年は8億ドル超と推計。10倍成長は4年間で達成。クエンチャーは2020年以降、スタンレーの売上トップ製品を維持。
*4 The Buy Guide公式サイト "The Story of The Cup"、Retail Dive "The rise of the Stanley tumbler"(2023年11月)、NBC News "The secret behind the dramatic rise of the Stanley cup? Women."(2024年1月)。創業者:Ashlee LeSueur、Taylor Cannon、Linley Hutchinson。2017年にInstagram開設、2本目の投稿でクエンチャーを紹介。フォロワーの97.7%が女性、25〜45歳。営業マネージャーLauren Solomonの仲介で5,000個を卸値で購入し4日で完売、追加5,000個は1時間で完売。LeSueurの言葉「You're marketing this cup to the wrong people」。
*5 Accio market analysis、Amra and Elma "Top 20 Stanley Cup Marketing Statistics 2025"。#StanleyCupハッシュタグのTikTok総再生数は2024年初頭時点で72億回。2023年1月〜2024年1月のSNS言及数は168,000回以上(1日平均457回)。
*6 Marketplace(2024年2月)。StockXでのレイニー・ウィルソンコラボモデルの平均転売価格260ドル、Target限定スターバックス×スタンレーのバレンタイン版は223ドル。一部の限定品は380ドルで取引。スタンレーのカラーバリエーションは100色以上。

▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season4

Season3だけではご紹介しきれなかった事例をさらに発展的に取り上げていきます。

Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで

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【プロフィール】
岡 健作(おか・けんさく)

スタディーハッカー 代表取締役社長
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
X→@oka_kgs / Instagram→@oka_ken2010 / 著書(amazon)

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