
📘 新人さんのためのマーケティング講座 Season6
Season5では、身近な事例を通じてマーケティングの原則を深掘りしました。
Season6でも引き続き、「なぜこのブランドは選ばれ続けるのか」を事例で解き明かしていきます。
まだ過去のSeasonを読んでいない方は、そちらからどうぞ。
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2026年3月期、富士フイルムホールディングスは売上高3兆3,000億円、営業利益3,350億円という過去最高益を見込んでいます。*1
「写真屋」が、3兆円企業になった。
しかし、少し立ち止まって考えてみてください。化粧品「アスタリフト」が有名だから、「化粧品で儲かっているんだろう」と思っていませんか。実態は、もっと複雑で——そして、もっとおもしろい構造をしています。
ライバルだった米コダックが2012年に倒産した一方、*2 なぜ富士フイルムは3兆円企業に化けたのか。その本質を、事業の中身から解き明かしていきます。
- 3兆円の正体——「写真屋」はいま、何で稼いでいるのか
- 「フィルム技術」を別の言葉で言い直すと、3つの成長市場が現れた
- 「何を捨てるか」と同じくらい、「何を守り続けるか」がブランドを決める
- よくある質問(FAQ)
3兆円の正体——「写真屋」はいま、何で稼いでいるのか
富士フイルムの現在の事業は、4つのセグメントで成り立っています。*1
| セグメント | 主な中身 | 規模感(3Q累計) |
|---|---|---|
| ヘルスケア | 内視鏡・医療IT・バイオCDMO・化粧品 | 7,653億円(約3割) |
| ビジネスイノベーション | 複合機・DXサービス | 約7,000億円台(約3割) |
| エレクトロニクス | 半導体材料(CMPスラリー等) | 3,287億円(約1.3割) |
| イメージング | チェキ・デジタルカメラ・写真プリント | 4,857億円(約2割) |
アスタリフトはヘルスケアセグメントの一部に過ぎません。そのヘルスケアの主役は、内視鏡や医療IT、そしてバイオCDMO(医薬品の受託製造)です。
さらにいま、利益を最も勢いよく伸ばしているのはエレクトロニクスです。3Q単体の営業利益率は22%と全セグメント中で最高水準。*1 その牽引役は、AIサーバー向け半導体の製造に不可欠な研磨剤「CMPスラリー」で、銅配線用では世界トップシェアを握っています。*3
写真屋が、AI半導体の材料メーカーになっている。
「化粧品で成功した会社」という印象は、この事実の一角しかとらえていません。では、フィルム技術はいったい何に化けたのか。それを理解するには、「技術の抽象化」という考え方が必要です。

「フィルム技術」を別の言葉で言い直すと、3つの成長市場が現れた
コダックと富士フイルムは、同じ嵐の中にいました。2000年を100とすると、写真フィルムの世界需要は10年で10分の1に縮小。*2 フィルム事業が主力だった富士フイルムの売上は、ピーク時の2,750億円から急減しました。
コダックもこの危機を認識していました。実は世界で初めてデジタルカメラを試作したのはコダックのエンジニアで、1975年のことです。*2 それでも転換できなかった。なぜか。
コダックが「何をしているか」と問われれば、答えは「フィルムを作っている」でした。フィルム市場が消えたとき、彼らはフィルムとともに沈みました。
富士フイルムが問うたのは、「フィルムという言葉を使わずに、自分たちの技術を説明するとどうなるか」という問いでした。*4
その答えが、3つの接続先を開きました。
【接続先①:化粧品・ヘルスケア】
写真フィルムの主成分はコラーゲンです。富士フイルムは創業以来80年以上、コラーゲンを安定させ劣化を防ぐ研究を続けてきました。また、写真の「色あせ」を防ぐための抗酸化技術は、肌のシミ・シワの原因である「酸化」を抑える技術と同一でした。極薄のフィルムに微粒子を均一に分散させるナノテクノロジーは、美容成分を肌に届ける技術に転用できた。*5 これがアスタリフト(2007年発売)の誕生です。「写真屋が作った化粧品」ではなく、「コラーゲンと抗酸化の専門家が作った化粧品」として受け取られたとき、市場で納得感が生まれました。
【接続先②:半導体材料】
富士フイルムは公式に、CMPスラリーの開発基盤を「写真材料研究で培った電気化学反応や機能性素材の技術」と説明しています。*3 半導体の回路を研磨・平坦化するCMPスラリーには、微粒子(砥粒)を高濃度で均一に分散させる技術が不可欠です。これはフィルムに100種類以上の機能性粒子を精密に配置してきた「ナノ分散技術」そのものです。この転用が今、AI半導体の需要爆発に乗って、最も高い利益率を叩き出しています。
【接続先③:医療(内視鏡・医療IT)】
フィルムで磨いた光学・画像解析の技術は、内視鏡の光学系や医用画像診断システムに直結します。富士フイルムの内視鏡はいま、日米欧の主要市場で販売を伸ばしています。*1
整理すると、こうなります。
| 旧ドメイン(1990年代) | コア技術(抽象化後) | 新ドメイン(2026年) |
|---|---|---|
| 写真フィルム(主成分:コラーゲン) | コラーゲン研究・抗酸化技術 | 化粧品・サプリ・バイオCDMO |
| フィルムへの微粒子分散・乳化 | ナノ分散・電気化学反応制御 | 半導体材料(CMPスラリー) |
| 光学・レンズ・画像解析 | 精密画像制御・光解析 | 内視鏡・医療IT・イメージセンサー材料 |
同じ技術群が、3つの異なる成長市場に接続されています。これが「技術を抽象化すると複数の市場が見える」ということの意味です。

「何を捨てるか」と同じくらい、「何を守り続けるか」がブランドを決める
ここまで読むと、富士フイルムは「写真」を完全に捨てた会社に見えるかもしれません。しかし実態は逆です。
2026年、イメージングセグメントは前年同期比14%増という全社でも高い伸び率を記録しています。*1 牽引しているのはチェキ(instax)——デジタル全盛の時代に、あえてアナログで印刷するインスタントカメラです。
なぜ富士フイルムはチェキを手放さないのか。
医療機器やAI半導体材料でどれほど収益を上げても、「富士フイルム=写真の喜びを届ける会社」という感情的な原点を失えば、ブランドの重力が消えます。技術移転の説得力も、「写真技術を持つ会社だからこそ信頼できる」という文脈から生まれているからです。
富士フイルムは、ふたつのことを同時にやっています。
- 「写真の喜び(情緒)」というブランドの魂をチェキで守り続ける
- 「化学・光学・材料(機能)」という技術の能力を複数の成長市場へ拡張していく
これはマーケターとして覚えておくべき原則です。「何を捨てるか」と同じくらい、「何を守り続けるか」がブランドの強さを決める。
富士フイルムが教えてくれることは、シンプルです。「何を売っているか(What)」ではなく「何が得意か(How)」を問い直せば、隣の市場が見えてくる。そして、過去の遺産は否定するのではなく「別の価値」として再定義できる——それが2026年のマーケティングの本質のひとつではないでしょうか。

【本記事のまとめ】
1. 3.3兆円の正体は「化粧品」ではなく、技術の3方向展開だった
フィルム技術を「コラーゲン・抗酸化」「ナノ分散」「光学・画像解析」と言い直すと、化粧品・半導体材料・医療という3つの成長市場に接続された。アスタリフトはその最も身近な例に過ぎない。
2. コダックとの違いは「容れ物」と「能力」を区別できたかどうか
コダックはフィルムという「容れ物」を守ろうとして沈んだ。富士フイルムは容れ物を手放し、中に入っていた「能力」だけを持ち出した。「何を売っているか(What)」ではなく「何が得意か(How)」を問い直すと、市場が消えても能力は消えない。
3. 「何を捨てるか」と同じくらい「何を守り続けるか」がブランドを決める
チェキで「写真の喜び」という情緒的な原点を守りながら、技術を複数の市場へ拡張する二段構え。過去の遺産を否定するのではなく、別の価値として再定義することが、長く選ばれるブランドの条件だ。
よくある質問(FAQ)
「技術の抽象化」は製造業にしか使えない考え方ですか?
そんなことはありません。「何が得意か(How)」に言い直す発想は、どんな業種にも応用できます。たとえば「英語塾」を「言語習得のプロセス設計」と言い直せば、社内語学研修や留学支援という市場が見えてきます。「コーヒーショップ」を「集中できる空間の提供」と言い直せば、コワーキング事業が隣に見えてくる。自社のWhatを一度脇に置いて、Howを言語化してみることが起点です。
コダックも高い技術力を持っていたはずなのに、なぜ転換できなかったのですか?
技術の問題というより、問い方の問題だったと言えます。コダックは「フィルムをどう守るか」を問い続けた。富士フイルムは「フィルムがなくなっても、自分たちに何が残るか」を問いました。同じ技術を持っていても、問いの立て方が違えば見える景色が変わります。成功していた企業ほど自己否定の問いを立てにくい——富士フイルムの転換は、その難しさを乗り越えた点でも示唆的です。
自社の「技術の抽象化」を実践するには、どこから始めればいいですか?
まず「自社がやっていることを、業界用語を使わずに説明する」ことから始めてみてください。「写真フィルムを作っている」ではなく「コラーゲンを安定させて薄膜に固定している」という言い方がそれです。次に、その説明文を他の業界の人に見せてみる。「それ、うちでも使えそうだ」という反応が来た場所に、隣の市場があります。自分たちの強みは、意外にもその言葉の外にあることが多いものです。
*1|富士フイルムホールディングス 2026年3月期第3四半期決算短信(2026年2月5日)。通期業績予想:売上高3兆3,000億円・営業利益3,350億円。3Q累計セグメント別売上:ヘルスケア7,653億円・ビジネスイノベーション8,500億円・エレクトロニクス3,287億円・イメージング4,857億円(前年同期比13.8%増)
*2|複数の経営・マーケティング分析記事。コダックは2012年1月に倒産申請。フィルム需要は2000年比で2010年に約10分の1に縮小。1975年に世界初のデジタルカメラ試作機を開発したのもコダックのエンジニアだったとされる
*3|富士フイルム「先端パッケージング向けCMPスラリー新発売」(2025年9月)・富士フイルム CMPスラリー製品ページ。銅配線用CMPスラリーにおいて世界トップシェアを獲得。「写真材料研究で培った電気化学反応や数多くの機能性素材の技術を基に開発」
*4|富士フイルム「アスタリフトメン」公式コンテンツ。「事業の再編に活用する技術の棚卸しを行った際、4つの研究・技術に注目した」
*5|nippon.com「富士フイルム:写真技術で女性の肌を美しく」。写真フィルムの厚さは約20マイクロメートルで人間皮膚の角質と同程度。100種類以上の機能性粒子を約20層に重ねるナノ分散技術を化粧品に応用
▼ 新人さんのためのマーケティング講座 Season6
「なぜこのブランドは選ばれ続けるのか」を事例で深掘りしていきます。
- 第1回:なぜイソップの茶色いボトルは、素敵な空間に行くたびに現れるのか
- 第2回:なぜティファールは、電気ポットメーカーが気づかなかった「前提」を崩せたのか
- 第3回:なぜPlayStationは絶対王者任天堂と肩を並べるブランドになれたのか
- 第4回:なぜキーエンスは、顧客に「何が欲しいか」を聞かないのか
- 第5回:なぜガリガリ君の「お詫びCM」は、怒りではなく応援を生んだのか
- 第6回:なぜカップヌードルは、あさま山荘事件という「偶然」を必然に変えられたのか
- 第7回:なぜYouTubeはYouTuberという職業を生み出せたのか
- 第8回:なぜコダックは沈み、富士フイルムは3兆円企業になれたのか(本記事)
- 第9回:近日公開
▶ Season1(全14回)はこちら|マーケティングの基礎概念からWeb広告の実務知識まで
▶ Season2(全15回)はこちら|PL翻訳術、弱者の戦略、広告評価、インタビュー技術まで▶ Season3(全20回)はこちら|現場で使える顧客心理・ブランド戦略・価格設計の本質
▶ Season4(全20回)はこちら|「摩擦の除去」で読み解く世界的ブランドの設計思想
▶ Season 5【準備中】
岡 健作(おか・けんさく)
株式会社新恵社代表取締役/スタディーハッカー(現(株)イングリッシュカンパニー) 創業者。
1977年生まれ、福岡出身。同志社大学卒業。2010年に創業。「Study Smart(合理的に学ぶ)」をコンセプトに、科学的知見に基づく英語パーソナルジム「ENGLISH COMPANY」を設立し、人気ブランドへと成長させる。 事業拡大の要として、自らオウンドメディアとSNSの編集長を兼任。オウンドメディアは最大500万PV、Instagramでは月間700万PV、フォロワー27万人規模のメディアにするなど、広告費に依存しない集客モデルを確立する。現在はその知見を活かし、「企業の認知獲得の専門家」として、論理とデータに基づいた再現性の高いメディア戦略・ブランディング論を発信している。
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