映画『THE FIRST SLAM DUNK』ヒットの裏にあるバイアス「バラ色の回顧」とは

『THE FIRST SLAM DUNK』をイメージしたグラフィック

2022年に公開された映画『THE FIRST SLAM DUNK』は、予想を超える大ヒットを記録し、多くの人の心を揺さぶりました。

なぜ、ここまで多くの人が熱狂したのか――

その背景には、「ノスタルジア」と呼ばれる感情と、私たちの記憶にひそむ「認知バイアス」が存在しているかもしれません。

本記事では、そうした謎を探りつつも、ノスタルジアを活用したマーケティングの考察も行ないます。

「バラ色の回顧」がもたらす記憶の美化 

「ああ、昔はよかったなあ……」
「学生時代は、いまよりもずっと楽しかった」

実際には決していいことばかりではなかったはずなのに、私たちは過去を美化してしまうことがあります。

なぜならば、私たちの記憶には「認知バイアス」が隠れているから。認知バイアスとは、思い込みや先入観で、判断や選択が偏ってしまうことです。*1

認知心理学が専門の、十文字学園女子大学教授の池田まさみ氏らによると、過去の出来事を “いまよりもよいかたち” で思い出す認知バイアスを、「バラ色の回顧(rosy retrospection)」と言います。*2

この認知バイアスは、私たちが過去を懐かしむ気持――いわゆるノスタルジアノスタルジー)にも影響していると考えられています。*2

「ノスタルジア」が私たちに与えるもの 

とはいえ、ノスタルジアはネガティブな存在ではありません。むしろ、未来を切り開く力になってくれる可能性があります。

その理由を、以下に示しましょう。

2016年に発表されたサウサンプトン大学の研究では、こう報告されています。*3

これまでノスタルジアは、「過去への不健全な執着」としてネガティブにとらえられてきたが、実際には、前向きな行動力を高め、楽観性を向上させ、創造性やインスピレーションを刺激する効果があると判明。他者との協調性や社会性を育む働きもある。

つまり、ノスタルジアは現実逃避ではなく、むしろ「実現可能な未来への推進力」として機能している。

また、2020年に発表されたノース・ダコタ州立大学の研究でも、次のように伝えられています。*4

ノスタルジアは楽観性、インスピレーション、社会的効力感、人生の目的意識を向上させる。さらに、ノスタルジアを感じた人は、慈善活動を含む向社会的行動をとりやすくなる。また、目標への動機を高める効果も確認されている。

これほどまでに、ノスタルジアがポジティブな効果をもたらす理由は――

そのなかに「意味のある体験」や「体験に応じて起こった感情のインパクト」そして、その際の「人とのつながり」が思い出されるからかもしれません。

たとえ認知バイアスが含まれるとしても、有用性が高いので、懐かしむだけなら回避する必要もない気がします。

古い写真

『THE FIRST SLAM DUNK』がヒットした背景 

また、ノスタルジアは、エンターテイメントの世界でも多大な影響を示しています。

代表的な例のひとつが、2022年に公開された劇場版アニメーション映画『THE FIRST SLAM DUNK』。国内にとどまらず海外でも大ヒットを記録し、社会現象となった作品です。

マーケティング・リサーチ事業を手がけるKITT株式会社は、15歳~69歳の男女1,757名を対象にインターネット調査(2023年1月)を実施・分析。そのうえで、本作ヒットの背景を以下のとおり3点挙げています。*5

  1. 動員が難しい30~40代を取り込んだ
    原作世代の30~40代は、ライフステージ、ライフスタイルが多様で、映画館に足を運んでもらうのが難しい。この年代層を集客できたことがポイント。

  2. ネット・SNSを起点とした宣伝効果が絶大だった
    映画の詳細情報が制限されるなか、ネットニュースやSNSで関心が広がった。原作ファンによる考察や批判も含め、SNSでの盛り上がりを見せた。

  3. これまでのアニメ映画とは異なる観客層を動かした
    本作は、従来の大ヒットアニメ映画(ファミリー層・若年層)とは違い、30~40代の非ファミリー層(友人・恋人・夫婦)で鑑賞する人が多かった。メディアに依存せず、この層を動員できたことがヒットのカギ。

動員が難しいとされる「原作世代の30~40代」が、忙しく不安定な日々のなか映画館に足を運んだのです。

『SLAM DUNK』に夢中だったころの記憶が懐かしく思い出され、普段は行かない映画館に足を向かわせた可能性は否定できません。

この例からも、「ノスタルジア」が人の心を動かし、実際に行動を起こさせる大きな力になっていることが見えてくるはずです。

『THE FIRST SLAM DUNK』をイメージしたグラフィック

「ノスタルジア」を活用したマーケティング

多大な影響力をもつノスタルジア……。最後に、このノスタルジアを活用したマーケティングの可能性について考察してみましょう。

ル・モインカレッジの心理学教授Krystine Batcho氏によると、ノスタルジーには以下ふたつのタイプがあります。*6

  • 個人的ノスタルジア
    感情:自分の経験から生まれる懐古感情
    きっかけ:変化への不安やストレス

  • 歴史的ノスタルジア
    感情:自分が体験していない時代や文化への憧れ
    きっかけ:現在への不満

そして、ニューロサイエンティストで医学博士の辻本悟史氏は、マーケティングにノスタルジアを活用するポイントを、それぞれ次のように提案しています。*7

  • 個人的ノスタルジア:ターゲット世代が幼少期に経験した出来事や文化を再現したり、彼らが共感できるようなストーリーや表現を使うこと

  • 歴史的ノスタルジア:消費者が憧れる過去の時代や文化を強調する
    例)ヴィンテージ風のデザイン、クラシックなスタイルの商品など

ですから、たとえば映画や商品プロモーションにおいて、「当時流行した音楽を挿入する」「昔の制服や文房具を登場させる」「CMに往年の名セリフや映像を差し込む」など、世代特有の懐かしさを喚起する演出を取り入れることで、個人ノスタルジアを自然に刺激できるのではないでしょうか。

また、あえて自分が経験していない時代を感じさせる「昭和レトロ」「〇〇年代リバイバル」などのデザインは、歴史的ノスタルジアをくすぐる要素になります。

ノスタルジアは、ただの過去回帰ではなく、記憶と感情を通じて購買行動を促進する「心理的なスイッチ」として、今後のマーケティングでも活用の余地が大いにあるのではないでしょうか。

***
『THE FIRST SLAM DUNK』のヒットは、単なる人気作品の再燃ではなく、記憶と感情が結びついた「ノスタルジア」の力を象徴する出来事だったのかもしれません。

記憶は正確さよりも「意味づけ」が重視される──そんな認知の仕組みが、私たちの行動や選択に影響を与えているのです。

もし、懐かしさに心を動かされたことがあるなら、それは過去からのエールが、いまのあなたを少しだけ前向きにしてくれている証拠かもしれません。

【ライタープロフィール】
上川万葉

法学部を卒業後、大学院でヨーロッパ近現代史を研究。ドイツ語・チェコ語の学習経験がある。司書と学芸員の資格をもち、大学図書館で10年以上勤務した。特にリサーチや書籍紹介を得意としており、勉強法や働き方にまつわる記事を多く執筆している。

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