「運命」とは、本人の意志にかかわらず人に訪れる巡り合わせのこと。つまり、本来の意味においてはその人自身が変えられるものではありません。
受験や就職など人生の節目で、努力の甲斐なく希望とはちがう道に進まざるを得なくなったり、なんらかの不幸な出来事に見舞われたりしたことを、「運が悪かった」という言葉ひとつで片づけることもできるでしょう。運命は自分で変えられないのですから、そう考えることで自身を慰めることもできます。
しかし、野球評論家の野村克也さんは「運命は変えられる」と断言します。
【格言】 運命は変えられるか? わたしの答えは、「YES」である
人は誰も、ひとりでは生きていけない。
わたしはミーティングで選手たちにそういい続けながら、その意味について自分自身に問い続けてきた。自分がほかの人によって生かされていることに気づいたとき、人のためになにかができる人間になる。人のためになにかができる人間になったとき、人の気持ちがわかるようになる。人の気持ちがわかるようになったとき、わたしたちは人との縁や運を知る。
運命は変えられるか? 運は自分で切り開けるものなのか? そう聞かれたら、わたしの答えは「YES」である。
心が変われば行動が変わる。 行動が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。 人格が変われば運命が変わる。
わたしの好きな言葉である。
これは、正しいプロセスで努力すれば、必ず幸運に恵まれるときがくるという、わたしの考えをいい尽くしてくれている言葉なのだ。
【プロフィール】 野村克也(のむら・かつや) 1935年、京都府に生まれる。京都府立峰山高校を卒業し、1954年にテスト生として南海ホークスに入団。3年目の1956年からレギュラーに定着すると、現役生活27年間にわたり球界を代表する捕手として活躍。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王などその強打で数々の記録を打ち立て、MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回など、タイトルを多数獲得。また、1970年の南海でのプレイングマネージャー就任以降、延べ4球団で監督を歴任。ヤクルトでは「ID野球」で黄金期を築き、楽天では球団初のクライマックスシリーズ出場を果たすなど輝かしい功績を残した。現在は野球評論家として活躍中。
Photo◎産経ビジュアル
*** 1954年、契約金もないテスト生として南海ホークスに入団し、ルーキーイヤーのオフには早々に戦力外通告を受けた野村克也さん。どん底からスタートしたプロ野球人生でしたが、そこから這い上がりプロ4年目にパ・リーグ本塁打王となって初の個人タイトルを獲得すると、その後は8年連続本塁打王、6年連続打点王、戦後初の三冠王となるなど、球史に大きく名を刻む大打者へと成長しました。
野村克也さんのプロ野球人生を変えたのは、自身の絶え間ない努力以外のなにものでもありません。間違いなく、運命を自分の手で変えたのです。