離陸した飛行機が目的地に到着するまで「現場のリーダー」を務めるのが機長です。総飛行時間1万8500時間を超える日本航空の元パイロットで、現在は危機管理専門家として活躍する小林宏之(こばやし・ひろゆき)さんは、「現場のリーダーひとりひとりの心構えこそが、組織全体を支える」と語ります。では、長年にわたって「現場のリーダー」として活躍してきた小林さんのリーダーシップ論を教えてもらいましょう。
構成/岩川悟 取材・文/清家茂樹 写真/穴沢拓也
現場のリーダーが持つべき謙虚心と自律心
私は、日本のビジネス界ではもっと「現場のリーダー」に権限と責任を与えるべきだと考えています。なぜかと言うと、時代の流れがどんどん速くなっているからです。
ところが、日本の多くの企業では、何かの意思決定をするにも社内でいろいろな委員会をつくったり稟議書を回したりしなければならず……なかなか進まない。それでは、いまの時代のスピードにはついていけません。そうではなく、変化が速いいまの時代のスピードに合わせるには、現場のリーダーに権限と責任を与えて、即断即決で動けるようにすべきなのです。
考えてもみてください。私は長年、機長として世界の空を飛んできましたが、みなさんが搭乗した飛行機の機長が、何をするにもいちいち本社にお伺いを立てていたらどうでしょうか? そんなことでは不安で仕方ありませんよね。飛行中の飛行機における現場のリーダーである機長に権限と責任が与えられているからこそ、機長は迅速な判断をできてお客さまを安全に目的地まで運べるわけです。
もちろん、現場のリーダーに権限と責任を与えるには、リーダー自身に心構えが必要です。その心構えとは、「謙虚心」と「自律心」だと私は考えています。
謙虚心とは、「初心を忘れない」気持ちのこと。初心とひとことで言っても、それには「新人の初心」「中堅の初心」「ベテランの初心」と呼ぶべきものがあります。
新人が相手なら、わざわざ「初心が大切だ」と言う必要もないでしょう。気をつけなければならないのは、リーダーとなり得る中堅とベテランです。中堅はほとんどの現場仕事を経験し、脂が乗っている年代ということも多く頭の回転が速い。だからこそ油断して思わぬミスをすることもある。また、ベテランの場合は、周囲が遠慮して言いたい意見も言えないということもあります。だからこそ、リーダーになりえる中堅とベテランこそ、初心を忘れない謙虚心が大切になるのです。
それから、自律心が大切になる理由として、仕事がうまくいかないときに人はついその理由を自分以外に求めてしまうことが挙げられます。誰かのせい、会社のせい、政治のせい、景気のせい……というふうに考えてしまうのです。たしかに、客観的に見ればそれらの影響もあるかもしれません。でも、部下を抱えるリーダーとしては、「それらはただの条件であって原因ではない」と考えなければならない。それが自律心であり、リーダーに必要な責任感なのです。
いまの組織像を体現したラグビーワールドカップ日本代表チーム
また、いまのリーダーには「役割遂行型」という思考を持ってほしいとも考えています。みなさんは「リーダー」と聞くと、どんな人をイメージするでしょうか。「俺についてこい!」と部下をぐいぐい引っ張っていくような人物を想像した人もいるかもしれませんね。でも、それは従来のリーダー像でしょう。
人材不足が大きな問題となっているいまは、多くの組織が最少人数で構成されています。つまり、入社したばかりの新人にもそれなりの役割が与えられているわけです。そして、組織のメンバー全員がそれぞれの役割をきっちりと果たして初めて仕事がうまくいくのです。
そのなかでリーダーは何をすべきなのでしょうか? それは、平時においては組織のメンバーそれぞれが自分の役割を果たせるように努めること。「主役はあなたたちだよ」「しっかり役割を果たしてくれよ」という「After you」の姿勢であとをついていくのです。一方で、何か大きな問題が発生したようなときには、「私が決断するから、今度はしっかりついてきてくれ」と「Follow me」の姿勢でメンバーを力強く率いる。この切り替えが大切だと考えます。
それを見事に体現していたのが、2019年に開催されたラグビーワールドカップの日本代表チームではないでしょうか。ラグビーのチームには、背の高い人、体重が重い人、力がある人、小さいけれど速い人などさまざまな選手が集まっています。もちろん、それぞれに役割があり、その役割をしっかり果たしたチームが勝利を手にすることができる。
そして、日本中を興奮させた日本代表チームの主将であるリーチ・マイケルさんは、大会を振り返って「チームの全員がしっかり役割を果たしてくれた」と語っていました。まさに、リーダーに必要とされる思考を持ってリーダーの役割を全うし、メンバーの役割を果たさせたのがリーチ・マイケルさんだと言えるでしょう。
「互いに信頼しながらも確認し合う」ことの重要性
でも、組織はただの仲良しグループでは問題があります。無条件にお互いが信頼しているだけでは、重大なミスを見逃してしまうこともあるからです。
私は、日本人宇宙飛行士安全検討チームに所属していたこともあるのですが、その関係で宇宙飛行士の若田光一さんにインタビューして聞いた印象的な話があります。国際宇宙ステーションには、国籍も文化も思考もまったく異なる6人の宇宙飛行士が滞在します。もちろん、重大なミスは即座に命に関わることになりますから、6人の誰ひとりとしてミスをすることは許されません。
そこで、「チームのメンバーとしてどのような考え方を持っているのですか?」と若田さんに聞いてみたところ、「Trust but verify」という言葉を教えてくれました。「信頼して、でも確認する」という意味です。
チームのメンバー同士が信頼し合うことが大切だというのは言うまでもないでしょう。それこそ宇宙飛行士ともなれば、全員がとんでもなく優秀な人たちの集まりですから、信頼することは難しくありません。でも、どんな優秀な人でも、人間である以上ミスをすることもある。そう考えて、互いに信頼しながらも、互いの行動をしっかり確認し合うことが大切なのです。
この考え方は、地上で働く私たちにもとても有益なものであるはず。そして、リーダーであるなら、自身がメンバーを信頼しながらも行動を確認し、またメンバー同士がきちんと「Trust but verify」の考え方を持てるように促すことが重要なのです。
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【プロフィール】
小林宏之(こばやし・ひろゆき)
1946年10月4日生まれ、愛知県出身。危機管理専門家。元日本航空パイロット。1968年に日本航空に入社以来、42年間、一度も病欠などによるスケジュールの変更なく乗務を続ける。乗務した航路は、日本航空が運航したすべての国際線と主要国内線であり、総飛行時間は1万8500時間に及ぶ。社内では飛行技術室長、運航安全推進部長、運航本部副本部長、首相特別便機長、湾岸危機時邦人東南アジア人救出機長などを歴任。また、社外でも宇宙開発事業団(現宇宙航空開発機構)危機管理嘱託委員、日本人宇宙飛行士安全検討チーム、原子力発電所運転責任者講習講師などを務める。現在は、危機管理の講師として活動する傍ら、航空評論家としても活躍中。『旅客機・エアライン検定 公式テキスト 航空機の構造や航空管制の知識が身につく』(徳間書店)、『JALで学んだミスをふせぐ技術』(SBクリエイティブ)、『航空安全とパイロットの危機管理』(成山堂書店)、『ザ・グレート・フライト JALを飛んだ42年 太陽は西からも昇る』(講談社)、『JAL最後のサムライ機長』(ポプラ社)、『機長の「健康術」』(CCCメディアハウス)、『機長の「集中術」』(CCCメディアハウス)など著書多数。
【ライタープロフィール】
清家茂樹(せいけ・しげき)
1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。